第2話 白い天井


 みんなは一体どんな夢を見るのだろうか。

 俺の見る夢は決まって嫌な夢だった。昔からずっと同じ夢を見ている。どこまでもどこまでも終わらない夢を。

 いつからこんな夢を見るようになったのだろう。

 そこはどこかさえ分からない。

 ただ俺には痛みがある。臭いがある。感触がある。

 夢であるのが信じられない。

 そして、俺は泣いていた。何もかもを否定してしまいたいのに、逃れられない。

 それが運命なのだと…


「こらっ。志村くんっ。起きなさいっ」

「お前かよ。笹森」

 とっくに始業式は終わりを告げ、今は何時間目かの休み時間だった。

「いつもの志村くんの苦しそうな寝顔が好きだよっ」

「俺はお前のせいでうなされてるんじゃないのか? 毎日」

 先ほども言ったとおりに笹森は俺とは別のクラスだ。Aクラス。この学園は成績に応じてクラス分けされている。AからFまで。Aが一番上。俺はFだ。それから先は言わずともわかるだろう。

「なんだか騒がしいのはいつものことだが、これはお前のせいではないようだな」

 Aクラスの奴らはFクラスなんて底辺クラスのことをドブネズミのように扱っているし、Fクラスの奴もまた当然Aクラスのことを嫌っている。笹森に関してはクラスの区別などせず平等に接しているので、やっかまれるというよりは囃されているいるのだ。

「お前、Aの奴らに嫌われてるのか?」

「心配してくれるのっ?やっさしいっ」

「アホか」

 Aクラスの中には笹森のことをよく思わないやつはいるだろう。それは想像に難くない。

「火の粉が降りかかるのは俺なんだよ」

 そしてまあ、言わんこっちゃないというところなのだ。

「志村。お前楽しそうじゃねえか。ああん?」

 ジャイアンが俺に喧嘩を売ってくる。

「誰がジャイアンだ!」

「肥ってるし、態度が威圧的だし、音痴だし。スネ夫が居たらジャイアンそのものじゃないか」

 だって、口癖は俺のものは俺のもの。お前のものは俺のものだしな。

「なんだテメェ、喧嘩売ってんのか?」

「いや。喧嘩しても面白くないぞ。俺、弱いから」

 喧嘩などしたことはないし、運動音痴なのだよ、俺は。

「死んだ魚のような目をしやがってよ。なんで笹森はこんなヤツと仲がいいんだか」

「いや、中は最悪だ。グランドキャニオンなみの仲の悪さだぞ」

 向こうはそう思っていないのが玉に瑕なのだが。

「お前、それ、本当だろうな」

「ああ、本当だ。前前前世くらいから殺しあう仲なんだ」

「お前が笹森と付き合ってるってのはどうなんだ」

「あり得ない。そもそもAクラスの才色兼備と俺が釣り合うか?いいや、むしろ、天秤自体この世に存在しないね」

 そんな天秤乗りたくもない。命が危うくなる。

「そうか…そうなのか」

「ジャイアン。いっそこくっちまえよ。俺が相談に乗るぜ」

「お、おう…どうなんだろう?俺と笹森は付合えるだろうか」

 あや? 冗談くらいのつもりだったのだが…というか、俺に相談するなよ。友達いない…んだろうな。

「そうさな。アイツが誰かと付き合ったなんて話は聞いたことがあるか?」

「お前くらいだ」

 嫌な噂だなぁ、オイ。

「そうか。でも、それは間違いだ。故に笹森は誰とも付き合ったことがない。となると、ガードが堅いのやもしれん」

 ジャイアンは柄にもなくしょげた顔をした。なんか可愛いな。ギャップ萌えというやつか。

「俺にも付き合うとかよく分からんが、そうだな。最初から笹森というのがハードル高めだろう?とすればハードルの低い女子と付き合って、経験値を積むというのはどうだ?レベル1で魔王に挑む奴はいないだろ?最初はスライム狩りと決まってる」

「そ、そうだな」

「というわけでジャイアンの最初の彼女はこのカバ子だ」

 俺は名前そのまんまの女子を連れてきてジャイアンに紹介する。

「あら?いい男っ」

「な?語尾の小さなつも同じだろう?今なら紹介料は1000円にしてやるよ」

「テメェ!ふざけてんのか!」

 ジャイアンは机を蹴り飛ばして俺の胸倉を掴む。机が床に打ち付けられる音が響いた。

「きゃあっ。怖いっ」

 カバ子は悲鳴を上げて逃げていった。

「ブスの方が性格いいって言うじゃねーか。な?」

「何が、な、だ!」

 ジャイアンが腕を引く。丸太のような腕で殴り飛ばされるな、こりゃ。なんとかしないと。

「待て待て。さっきのはジョークだ。お前にお薦めなのは、これだ」

 俺はエロゲのパッケージを取り出す。

「絶対に画面の中の女の子はお前のことを好きになる。裏切ったりはしない。どうだ? エロが苦手なら全年齢版もあるぞ?」

「歯ァ食いしばれ! そんなもんとっくの昔にプレイしてんだよ! サヨちゃんを何度も何度も攻略しては泣いてんだ!」

「俺たち、友達になれるぜ」

 コイツはよく分かってるじゃねーか。でも、今はそんな状況ではないらしい。

「テメェをいつも食ってる梅干しみてぇな顔にしてやんよ!」

「ふざけんなよ?」

 流石に俺もキレる。

「テメェはな、何の気持ちも告げずに笹森が振り向くとでも思ってんのかよ! 今ここでお前が笹森のことを好きな気持ちを吐き出せよ! ちょこまかと手を回したって俺にはお前の熱い気持ちが伝わってこねぇんだよ!」

 すると、ジャイアンは俺の胸倉を離した。死んだ魚のような目をしてるくせにいいこというじゃねえか、とぼそりと言って。

「俺は笹森のことが好きだ! 世界中の誰よりも! 気がつけばいつもアイツのことを考えてる! 四六時中考えてて痩せちまったくらいだ!」

 いや、嘘だろそれは。

 というか、クラスの人間がいるところでよくもまあ、そんな恥ずかしいセリフを吐ける。

「ジャイアン。後ろ後ろ」

「うん?」

 ジャイアンの後ろには笑顔の笹森が。俺っていいことしたなぁ。

「ごめんっ、ジャイアンっ。私、マニアックな趣味とかなくって…」

 現実は無情である。これ定期。

 何も言わずにジャイアンの拳が迫ってきた。

 避けられるわけもない。

 そして――世界は暗転した。


 俺は保健室にいた。

 寝込んでいるのは俺ではない。

「お前、バカだろ」

 目を覚ました笹森に俺は言った。

「パンダみたいじゃねーか」

「だって、パンダだもんっ」

 腫れた顔のせいで笑顔が上手く作れずにいる。そんな笑顔なんて見たくはない。

「なんで俺なんかをかばったんだよ。お前は女の子だろ! 顔に傷なんてついたら――」

「だって、志村くん、血が苦手でしょう?私、志村くんのこと、なんでも知ってるもんっ。ね?」

 俺が嫌いなのは他人の血だ。自分の血なんでどうだっていい。なのに、俺は――

「それに、志村くんが責任取ってお嫁さんにしますっって言ってくれるからっ」

「おい、確定事項かよ…」

 俺は笹森の痛々しい笑顔から目を背けた。笹森の頭に手を伸ばし、コツンと小突く。

「いたっ」

「我慢しろ。男の娘だろ」

「ちがーもん。志村くんのお嫁さんだもんっ」

 あほか。

 俺は笹森の額に手を伸ばし、傷付いた顔をじっと見つめる。

「もう、こんなのナシな」

 自分の責任で自分が痛い目に遭うのはいい。自業自得だ。でも、誰かに迷惑がかかるなんて、もう一生嫌だ。

「先生呼んでくるから待ってろ。俺は帰る」

「ねえ、笹森くんの望みはなに? もし、それが絶対に叶うとしたら何を願う?」

 場違いなセリフだったけれど、こんな雰囲気だからこそ真実を話してくれると笹森は思ったのだろう。

 だから、言った。

「そんなもの、何一つないよ。俺は今も昔も何一つ望むものがありはしない。どうだっていいんだ、俺は」

 笹森は何も言わなかった。俺はカバンを持って保健室を後にした。


 校舎には赤い陽が差し込んでいた。赤い学び舎に背を向けて俺はとぼとぼと歩き出す。

 赤は嫌いだ。レッドフラッシュは好きだ。そこにはどんな違いがあるのだろうか。考えても分かりはしない。

「………」

 俺の視線の先を白い日傘が横切る。その少女の纏うドレスは夕焼けの紅よりも朱い。

 結局あの少女はなんなのだろうか? 保護者なのか生徒なのか、もしくは教師か――

「なんでだろうな」

 何故か、俺はその少女を懐かしく感じた。そして、その少女ならば何かを知っている気がした。

 俺の中の疑問。それが何かさえ分かりはしない。色々と放り込まれた鍋のように雑多で、それが煮込まれ過ぎて元がなんであったのか分からないような、そんな感じだった。少女ならば鍋の中の具材がなんであるのか知っているようなそんな気がした。


 だから俺はそっと日傘の少女を尾行することにしたんだ。


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