第40話:天変地異と東日本大震災の2011年
アラブの春とは2010~2011年にかけてアラブ世界において発生した
、前例にない大規模反政府デモや抗議活動を主とした騒乱の事である。
2010年12月18日に始まったチュニジアでの暴動によるジャスミン革命
から、アラブ世界に波及した。エジプト革命は、エジプトの国内外において
2011年1月より発生した大規模な反政府デモとそれに付随する事件の結果
、当時のホスニー・ムバーラク大統領が辞任に至った。
2011年リビア内戦は、リビアにおいて2011年に起こった政治社会的
要求を掲げた大規模な反政府デモを発端とする武装闘争でカダフィ大佐
(革命指導者)の政府は崩壊し、10月内戦で受けた傷により死亡した。
2011年は、1月にオーストラリアで過去数十年で最悪の事態となった
今回の洪水では、約20万人の生活に影響がでた。同様にブラジルでも豪雨による
洪水や地滑りによる死者数が806人となり、2万人を超える被災者が避難生活を
余儀なくされていると言うニュースが1月下旬に入ってきた。1月のインドでは
首都ニューデリーで気温が摂氏3度にまで低下し40年ぶりの寒さとなった。
インドで最も人口の多い北部のウッタルプラデシュ州では、寒さで80人を
超えるホームレスが亡くなるほどで、地元当局は各地に暖を取るためのたき火
を設置するなど対応に追われていた。
この年も、NPOの活動は順調で、取り立てて問題もなく過ごしていた。
やっと暖かくなり始めた2011年3月11日、昼食を片付けていた
午後2時47分に大きな揺れが関東地方を襲った。秀夫が火を消せと言い
外に出た。食器が外に出たり、鍋、釜が散乱した。地震が収まると片付けを
始めた。数分してテレビがつくと東北の太平洋岸の大洪水の画像が
飛び込んできた。まさに信じがたい映像ばかりでSF映画でも見ている
ような気がした。夜になるとコンビナート火災が起きて大変な事になった。
仙台空港に海水が押し寄せる風景も劇的だった。翌日に亡くなった人の
数が増える度に、胸が締め付けられる様な悲しさに襲われた。
厭世観とでも言う嫌な気持ちになった。
その後の東京電力福島第一原発の事故が悲観的な気持ちを更に増幅した。
親を亡くして震災孤児の報道を聞くたびに何とかしてあげなければと
言う気持ちになった。そうして翌日、吉田秀夫は、今後、乳児院の寄付から
東北の震災孤児の救済に変更すると発表し、3月の寄付金をヤフーを
通じて400万円を送金する事を決めた。
2011年3月18日、長女の吉田幸子がNPO本部を訪ねてきてNPO経営
のレストランを見せて欲しいというので案内して回った。すごい大きな施設に
驚いていた。ここで稼いだ金を4千万円強をと東北の震災孤児の救済基金に
寄付していると言うと、すごい事業を始めたと目を丸くしていた。
ちょうど、この日、元・宝塚のNMさんがチャリティーショーをしているので
、会場の離れに案内して見てもらった。歌、おしゃべりの30分間で入場料が
¥500で百人は入る会場が満杯で立ち見が出た。5万円は寄付金になると教えた。
すごいシステムを考えたねと言ってくれNPOのために冷凍食品、パン工場、
農協、問屋が訳ありの商品を無料または格安で分けてくれるので儲かった資金
を投資したり寄付金にして運営しているといった。
秀夫が、現在は、寄付金を全部、東北の震災孤児に送っていると話した。
その後も毎月、12月までに約4千万円を東北の震災孤児の救済基金に
募金した。その後も最低5年間は東北の震災孤児の救済基金に募金する決心を
した。その後、全国児童養護施設協議会、全国乳児福祉協議会から秀夫に
問い合わせがあったが最低5年間は東北の震災孤児の救済基金に募金する
事を話した。悲劇の2011年が終わり、2012年を迎えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます