第30話:NPO運営方法の確認

 2005年3月31日の夜6時からの運営会議で吉田秀夫が今後、確実に募金

のための資金源は、募金箱と、インターネットのNPO「乳児院・助け隊」のHP

の募金箱だけだと言うことがわかり営業さんも一通り、企業やスーパー、農協を

あたってくれたので、このレストランを手伝って欲しいとお願いした。すると

フロアーの料理担当の吉川さんから、やはり自分たちの活動このレストランの宣伝

、募金活動を定期的に月に2回程度、土日の主要ターミナル駅、横浜駅、川崎駅、

新横浜駅、桜木町駅、関内駅、MM21などで活動した方が、多くの人に我々の

活動を知ってもらうため、また1人でも多くの人の募金の機会を増やすためにも

良いのではないかとの提案をした。それに対して賛否の挙手をお願いすると

20人中16人が挙手したので実行する事にした。


その活動には会長、副会長か幹事の5人のいずれかが必ず出席するように

する事にした。最後に吉田秀夫がもっと、いろんな乳児院への援助方法を

考えたが乳児院の専門家に金銭的な援助が一番効率的だと言われて、

こう言う形になったと話すと、それで行こうという拍手が起きて会合を

終えた。


 この内容をまとめた資料を500部作り今後の募金活動の時に我々の行動

の実態と行動目標を知ってもらうために活用することにした。

 また、このレストランの活動を1人でも多くの人に口コミで広めて下さいと

、みんなにお願いした。翌月3月から神奈川の主要ターミナル駅で募金と

NPO「乳児院・助け隊」のパンフレットを渡すと数名の中高年の方が

参加したいと賛同してくれメンバーが増えだした。そして事務所が大きな

サッカー場の近くなので大きなサッカーの時に通り道で弁当でも販売したら

と言う、ご意見もいただき、早速、道ばたでに長机を3つ並べて販売を始めた。

 そうして大きな倉庫があるので地元の木下肇さんにお願いして、多くの

自治会に声をかけてNPO「乳児院・助け隊」の為の募金と、

月に2回バザーをすることも決めた。そして募金額が徐々に増えてきた。


 2005年から吉田秀夫と吉田章子が個人名で毎月10万円ずつ乳児院に

募金するようになった。2005年の4月には、数コンロが4台、電子レンジ

が8台、シンクが4つとなりNPO「乳児院・助け隊」のメンバーが60人に

なった。そして60坪のほとんどをレストランにして席を倍増させて

100人入れるようにした。エアコンも8台に増やし、電気設備も大容量に

した。売上も15-20万円/日、毎月400万程度と倍増した。

 これには農協でも不揃い野菜、果物、問屋の無償提供、冷凍食品工場、

大きなパン工場からの出荷できない製品を無償提供という強い味方のお陰だった。


 こうして2005年6月30日になりNPO「乳児院・助け隊」を当初の20人

から60人に増えて大所帯になった。特に若い人が増えたのが頼もしかった。

 人数が増えたことによりレストランの仕事も分担制で週休2日でこなせる

ようになった。その後も、出荷できない商品を無償や激安で譲ってくれる

冷凍工場、パン工場、問屋を増えて農協も4ヶ所に増えて非常に助かった。

 新たに、料理係の吉川さんの紹介で3ヶ所の料理学校の研修生が研修として

、毎週20人ずつ、月、水、金と来てくれるようになり貴重な戦力で、

いろんな料理を教えてくれた。


 この活動を最初に神奈川新聞が取り上げてくれ、次々に、地元のテレビ神奈川、

FM横浜でラジオ関東が話題として取り上げてくれ、NPO「乳児院・助け隊」の

募金、レストランのお客さんが増えた。また横浜スタジアムのサッカーの日の

弁当販売も好調になった。


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