第17話:紅葉と冬の沖縄旅行

 豪州とニュージランド旅行から、家に戻り、今後、自分達が、何を、

すべきか、夫婦で話し合い、もう一度、勉強したり、大学の公開講座にも

行きたいと、章子が言うので了解した。その後、株式市場が終わる

午後3時過ぎに、夫婦で近くのジム通いを始め、無料公開講座にも出かけた


 そして、夏が終わり秋になり11月に車で清里へ行き、八ヶ岳の紅葉を楽み

、更に、信州へ入り、美味しい信州の新そばもいただいた。今年の冬は、

避寒のために、沖縄、那覇へ行く計画を立てた。そうして2004年を

迎えた。


 2004年2月3日、寒い朝早く横浜から羽田行きのバスで出かけた。

10時の飛行機で12時過ぎに那覇空港に到着し2003年にできた

ばかりの沖縄都市モノレール「ゆいレール」にのって那覇空港から那覇

市内で、遅い昼食をとって、国際通りを散策して3時過ぎホテルに

チェックインした。その晩は、買ってきた泡盛を飲んで早めに

床についた。


 翌朝レンタカーを借りてできたばかりの「美ら海水族館」へ

向かったが、沖縄の国道が車線が少なく、混んで、高速に入るまで

1時間近くかかり「美ら海水族館」につく頃には11時近くに

なっていた。最初、それ程、期待していなかったが、入館してみると

想像以上の設備で、水族館が大きくて綺麗で、明るいのが良かった。

 大型のマンタ、ジンベイザメの泳ぐ姿は壮観だった。深海生物の

コーナーも興味深く、あっという間に午後4時近くになり水族館を

出て、北谷・アメリカンビレッジへ向かった。


 5時前について大きなショッピングセンターや、多くの個性的な

店が軒を連ねていた。ウインドウショッピングに疲れてレストランで

珍しいゴーヤ・ハンバーグを食べて、また、歩いていると、北谷の

ショッピングセンターに、米ドルと円の自動交換機があり米兵が

米ドルを日本円に替えて買い物ができるように配慮されていた。

 もちろん、日本円から米ドルに交換することもでき、交換手数料

は1$、1円。また、牛肉、ステーキ、ハンバーグが安いのを不思議に

思っていた所、米国から無税で米国牛肉が手に入るようなので、

安いこともわかった。


 帰り途中に「とまりん・泊」船のターミナルに立ち寄ると、この港

から離島・渡嘉敷島、座間味島、久米島、大東島、粟国島へフェリー

が出ていて、上層階からの景色が良く、ここの素敵なホテルにも一度、

泊まってみたいと思ったほどだった。


 そうして那覇市内のホテルについたのは8時近く、風呂に入り、

床についた。翌朝は、ゆっくりして、南部、糸満市にある摩文仁の丘

平和祈念公園を訪ねた。中に入り展示施設を見ると、急に沖縄戦の

悲惨さを物語る展示物を、目のあたりにして女房の章子がハンカチを

ぬらしながら、じっくりと、眺めては、涙を拭く光景が続いた。


 ひめゆりの塔は、沖縄戦で亡くなった沖縄師範学校女子部と

沖縄県立第一高等学校の教師・生徒のための慰霊碑だった。

 2校の生徒は沖縄戦の最中「ひめゆり学徒隊」として沖縄陸軍病院

に動員され、看護の仕事を手伝った。夢見る年頃の乙女達の、

普通の明るい青春を、戦時色に塗りかえた「戦争と軍事教育」、

その過程を展示していた。 1945年3月23日ついに米軍の沖縄上陸

作戦開始。学園から240名が戦場へ動員された。軍が間近にせまった

1945年6月18日の夜「解散命令」が出され、生徒たちは、

米軍の包囲する戦場に放り出されたが、「解散命令」後の数日間

で100余名のひめゆり学徒が死亡した事を知り、

これを知った、秀夫も、たまらず号泣してしまった。

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