第14話:株投資での成功と人生感の変化

 この結果は、あなたたちの努力のたまものだというと幸子が、いえ、そう言う

良い環境を提供してくれた両親に感謝しますというと、たまらず秀夫の目から

涙があふれた。良かった本当に良かったと言うだけで後は、声にならなかった。

 そうして一番下の新一が社会への一歩を歩み出した。やがて1997年が

終わり、1998年を迎えた。


 この年に新一はシンガポール、クアラルンプール、バンコク、ホーチミン

、ジャカルタと1週間出張で出かける月が多くなり、アジアの大都市の

インフラ工事を日本のゼネコンと共同で受注するように活動していた。

 その情報入手が主な任務であり、政府の役人や要人との接待が多く、彼らの

懐に入るように行動していた。新一も、日本からの、お土産、接待など賄賂

ぎりぎりの活動をしていたが、中国、韓国の安値、見積もりと公と賄賂を送る

姿を見て唖然とするのだった。彼らにとって、安っぽい正義感なんて何の役

にも立たない1にも2にも儲けしか頭にない、そのため安い価格で受注した

橋やスポーツ施設が崩れ落ちる事故も起きたが、安く作るのだからリスクは

つきものと、彼らは自分達の責任とは全く思っていない、運が悪い程度

にしか感じていない。


 また低金利で多額の融資をおこなう国では融資が焦げ付きそうになると、

その国の天然資源や港湾施設土地などを担保に取り自国のものにしていく

という手口で暴利をむさぼる情景が多くの所で見えるのには驚かされた。

 そうして1999年を迎えた。


1999~2000年は、株の世界では、何と言っても、インターネット

バブルで。ヤフー、ソフトバンク、光通信と言ったネット関連株が毎日の

様にストップ高を続けた。つまり21世紀への期待とインターネットの

可能性がオーバーラップし実態以上に評価されてバブル化した。

 この異常な上昇に、違和感を感じた秀夫は、下がり始めが、売り時と

考えていた。そうして1999年11月にヤフー株を4株を6.5億円で

売却し純利益5億円で残金が5億円となり、1999年12月にソニー株

を7500万円で売却して残金が5.5億円になった。1999年12月

に18年間持ち続けたセブンイレブン株が株価の上昇に加えて、分割を

繰り返して1株が38株になり、2.1億円で売却し、残金が2000年

を前に7億円を越えた。


 そして新一が海外出張が多いので成田空港近い所のマンションに引っ越す

と言った。その後、夫婦で話し合いをして秀夫が運送会社を辞めて自宅で

投資活動に専念しながら、買い物、家事なども担当した。2000年になって

章子の務める銀行で八王子支店に転勤する様に命じられ、不便になり

通勤時間が1時間近くなってしまったが、残業もないので我慢して

通勤していた。


 秀夫が会社を退職した後は、毎週土日に新宿、東京、銀座、横浜へ

出かけた。最初は、今までの貧乏根性が抜けなくて、買い物をする事へ

の罪悪感があり、気が進まない章子だったが、素敵なブラウスやドレスを

買ったり、素敵なレストラン、カフェで食事をしたりして、休日を満喫

するようになり、すっかり人生感が変わった。


 そして、一番気に入ったのが映画で、邦画、洋画を毎月1回は見るよう

になり、映画を見て食事をして帰ってくると言うパターンが増えた。その後、

あこがれのランドクルーザーを買い、ドライブに出かけるようになり秀夫

と章子の世界が今までに比べて、広くなり、山梨、八ヶ岳、奥秩父、諏訪

、松本、東北に頻繁に出かけた。章子は、外の世界がこんなにも広く、

素晴らしいことを始めて感じた。

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