第11話:新一が東京外国語大学をめざす
その頃から、東京外国語大学に入りたいと言いだした。2年秋の進路指導の先生
との面接で現在の成績で70%の合格率75%を越えたら、受験したら良いと
言われ、特に英語、数学にに注力し、冬のテストで英語は主要科目で3位になり
東京外国語大学の合格確率が77%になり、出願することを決めた。
その他、秀夫の株投資は1991年10月にソニー株を1200円で4千株
480万円で購入して残金が990万円になった。
1992年、新一が東京外国語大学を見学に行きこの大学を受験することを
最終的に、決め進路指導の先生に伝え、その頃には合格確率が80%を越えた。
遂に、受験の年1993年を迎え、1月28日に受験票の出願を済ませて
受験日の2月25日に向けて体調管理をしていた。受験日の当日、姉に日頃の
実力を出せれば受かると言われ深呼吸をして試験会場に向かった。そうして試験
を終えて、2度も見直しをして答案を提出した。
翌週の3月6日に結果発表に秀夫と章子さんの3人で出かけ、受験番号の
35番を見つけ合格を確認して入学手続きをとった。これで
東京外国語大学国際社会学部に合格。その帰り昼食、何食べたいと聞くと
ハンバーグが食べたいというので、合格祝いをかねて、楽しく食事をした。
その年の夏休み、海外へ一人旅へ、行きたいと言うので50万円を渡して
60日間、ソ連に渡りシベリア鉄道を使い東欧から欧州を巡る旅へ出た。
その頃、長女の幸子は卒論のために夏休みに学校へ行き、コンピュータ
ネットワークのあるべき姿についての論文を書いていた。
そして、パソコンが欲しいと言うので50万円貸して欲しいと言われ渡し
、NEC-PC9801Aeを買った。昨年から就職氷河期と言って、
なかなか良い就職先がなく、困っていたが、近くの商店の息子さんが
NTTドコモに務めてコンピュータネットワークの仕事をしていて、
夏休みにNTTドコモでアルバイトをしないかと声をかけてくれた。
ちょうど幸子の研究テーマと同じ仕事をしていたので喜んで応募した。
日給2千円で、NTTのネットワークの図面を書いたりする仕事ばかり
であったが、実戦的な仕事に夢中で図面を書いていた。仕事終わりに、
今後、NTTドコモの移動体通信の未来について熱く語る所に入って、
いろんな意見を出して、来たるべき新時代に期待を膨らませていた。
その年の冬休みもその仕事を手伝いに言っているとき、移動体通信部門
の久光良和部長が来て、この部門には男性ばかりでむさ苦しいので、
君の様な、若くて綺麗な女性に参加して欲しいと言ってくれた。
それに対して、是非、ここで働きたいと思っていますと答えた。
卒業が決まったら訪ねてきなさいと久光良和部長の名刺をいただいた。
1994年3月、無事に卒論が受理されて卒業となった。
一方、秀夫が1994年3月にソニー株を3100円で1240万円
で売却し純利益1249万円を得て、残金が1580万円になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます