第9話:幸子の初めての挫折

 1988年、高校2年生になった幸子は学芸大学の教育学部に、興味がなく

、何か新しい事を勉強したいという気持ちがあり、コンピューターが、これからの

花形産業になると予想していた。そして、いつか電子工学に進みたいと思い始めて

、ポケットベルとか、移動電話などに興味を持っていた。


 そして、進路指導の先生に、その意志を伝えると東大、東工大、東京都立大学

、東京理科大、早稲田大学理工学部と言った所が候補になるだろうと教えて

くれた。そして数学は数Ⅲまで勉強しなければならない事を、知って関連する

参考書と問題集を買って受験に備えるようにした。


 秀夫の株の方は1989年10月にソニー株を4300円で2150万円で

売却、純利益1211万円で残金が1470万円になり大喜びした。


 1989年なり、高校三年生で、最終的にどこにするかを決めるために

進路指導の先生と話し合った。そこで経済的な理由で私学でなく、国公立大学

を受けたいと伝えた。すると現在の成績だと東大、東京工業大学の合格確率

が60%、東京都立大が80%といわれた。国公立は、同じ試験日なので

併願できないと言われ仕方なく、都立大学を受けることに決めた。


 都立大学は、家から30分程度の所にあり、その後、都立大学の受験問題集を

買い勉強し始めた。夏休みもエアコンの下でしっかり問題集を繰り返し勉強

していた。9月の模擬試験で合格確率90%、ほぼ合格圏内に入った。

東大、東京工業大学は65%で、確率が低く、やはり、東大はあきらめざるを

得なかった。それでも最後まで頑張って1990年を迎えた。


 1990年は幸子の大学受験と新一の高校受験のの年であり緊張する年に

なった。東京都立大学の受験志願書を1月22日に提出した。

 その後2月26日まで体調管理に気をつけてベストの状態で試験日を

迎えるように万全を尽くした。試験当日、早めに家を出て、20分前に大学

につき、試験会場に入り、深呼吸をしたりストレッチをして心を落ち着かせた。

やがて答案用紙が配られ、試験開始となった。答案用紙を2回見直して、

時間となり答案用紙を提出して学校を後にした。


 翌週の3月8日が合格発表で、秀夫と章子と幸子3人で出かけた。到着後

、掲示板へ向かい受験番号34番を見ると出ていたので合格したが、幸子は

、特に表情を変えず受かったと一言、ちょっと憮然とした表情に見えた。


 食事して帰ろうかと言うと、いや、いらないと言うので家に戻った。

 昼食を用意して食べようと言ったが、食欲がないからと部屋から

出てこなかった。心配した章子が部屋をノックして入ると、幸子が机

に突っ伏して泣いていた。


 なんで、泣いてるのと聞くと、幾ら頑張っても東大や東京工業大学の様な

一流大学に入れなかった事を悔やんでいたようだ。その話を聞いていた秀夫

が部屋に入ってきて、なに甘えれるんだと、強い口調で言った。学校は学校

であり本当の競争は学校を出てからだと叫んだ。俺なんか勉強したくても、

家に金がなくて公立の工業高校しか出てない、章子も、同じ様に商業高校

を出ただけだ。


 昔の自分を思い出してみろ、酒飲みの親父に、家は荒れ放題で、ひどい

生活で耐えきれず実の母は出て行って、それを見かねた、章子が、君たち

を引き取って、実の子同様に愛情をかけて育ててくれたじゃないか、

それを、思い出してみろと言った。


 悔しかったら、社会人なり、東大、東京工業大学卒業の連中を仕事の実績

で負かせば、良いじゃないかと言った。この話を聞いて、心が落ち着いたのか

、わかった。確かに社会人になって、実績競争でトップになり、大金を

稼ぐ方が、重要かもしれないと言った。

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