第7話:幸子が学芸大学付属中学に合格した!

 1年もあっという間に過ぎ、1984年を迎え、遂に、幸子の東京学芸大学付属

小金井中学の受験の年となった。1月10-11日が出願日で2月3日が受験日。

 1月になってから風邪を引かない様に、睡眠時間をしっかり取り、平常心で

いられる様に、秀夫が、深呼吸する事を教えた。1月10日に出願しに行き、

めざす高校の姿を幸子は脳裏に焼き付けた様だ。やがて運命の2月3日、受験当日

、ベストを尽くせよと、秀夫が肩をたたくと、章子がたまらず、幸子を抱き

しめて、精一杯やってきなさいと送り出した。


 幸子は両親に、一礼して家を後にした。夕方帰って来たら、何と声をかけたら

良いか、困っていた時、幸子が帰って来て、笑いながら、ベストを尽くしたと

一言、言った。


 2月5日、秀夫と章子は、休暇申請を取り、幸子と一緒に合格発表に出かけた。

幸子よりも章子と秀夫の方が緊張して唇が乾いた。学校について掲示板を、

見始めると幸子が受かったと大声を張り上げ、幸子の受験番号39番を

見つけた。帰りは小金井駅近くの喫茶店で、ささやかな合格祝いをした。

 家に帰り、小学校に電話を入れると、先生達が大喜びしてる声が聞こえた。

 担任の佐藤博子先生が、我が小学校、初の快挙だと涙を流さんばかりの声で

良かったと言ってくれ、電話をした章子の顔も、くしゃくしゃになり、涙声で、

ありがとうと言うと、担任の先生も号泣しているようだ。


 それに対して幸子は冷静に学校に入ったら絶対、またトップをとって

やるんだと、意気込んでいた。そこで合格祝いに、英語の勉強用にラジカセ

を買ってやった。その後、そのラジカセでNHKの英語講座や教育放送を聞いて

、大事なところをカセットに取る様になった。そうして1984年の

大イベントが終了した。


 その後は、楽しそうに、おばちゃんの店の手伝いをしに、毎日出かけて

いった。この話を聞いた、おばあちゃんも幸子に、あんたすごいこと

したんだねと、頭をなでて、くれたそうだ。弟の新一は、ねーちゃんが

頑張るのは勝手だけど、俺は、期待されても、困るんだけれどという、

と家族で笑い声がした。


 幸子が人には、それぞれ得意分野があるから得意分野で頑張れば良い

のだよと、慰めていた。新一も決して成績は悪くなくオール4以上

だったがクラスで5-6番、学年で30番前後であった。特に、数学が

得意で数学では学年トップ5に入る実力を持っていた。


 あっという間に、暖かくなり4月から、東村山から西武線で国分寺、

そこからバスで15分程の所に東京学芸大学があり、その敷地内に

東京学芸大学付属小金井中学と高校があった。


 市営団地が手狭になったので、昨年春に一回り大きい3LDKの団地

に移動願いを提出していたが、秋が見つかったと連絡が入り、5月転居

した。月の家賃が1万円となったが、6畳3つと8畳のリビング、

ダイニングキッチンで秀夫と幸子の寝室1部屋と1部屋を秀夫と新一の机を

置いて書斎にし、もう一つの6畳を幸子の部屋にした。今年は5月の連休に

実家の車を借りて、昨年開演した東京ディズニーランドへ出かけた。

 ビッグ10と言うチケットを買って、いくつかのアトラクションを経験

したが、今ひとつ、子供達には不人気であったが、ミッキーやミニー、

ドナルドのぬいぐるみは、興味を持っていた様だ。パレードは、幸子が

綺麗と、言って、じっくり見ていた。しかし小さい頃にディズニーを

知らなかったせいか、もうひとつ、盛り上がらなかった。そのため早めに

帰り、橫浜中華街に立ち寄り夕食を食べた。中華料理の夕食の方が、

好評で喜んで、麺類、炒め物、チャーハンを食べくれた。


 その後、夏休みは、幸子が一生懸命に、勉強していたので、そっとして

おいた。家で集中できないときには、近くの図書館へ自転車で出かけて、

冷房の効いた図書館で、勉強していた。

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