第5話:子供達の夏の思い出
今年の4月、新一が小学校に入学し、保育園からの友達も多く仲良く通学した。
今年の夏休みは、銀座と東京駅、日本橋へ行き家族で散歩した。その時も幸子は
大事そうにカメラを持ち日本橋の麒麟の像やデパート、東京駅、丸ビルなど多く
の写真を撮ってきた。
その後、自宅に戻ってきて、これらの風景を数枚の絵に描いた。その中でも
日本橋「麒麟の像」の絵が横浜と東京の絵画コンクールで入賞して表彰状を
らった。その絵が戻ってきて、家で大事に額にいれて飾ってやる事にした。
その後も学校から帰ってくると近くの商店のおばちゃん所へ行って店の
手伝いをして早めに帰っ来る、秀夫か章子が迎えに行くまで店で大人しく
待っていた。幸子がおばあちゃんの手伝いをして買いに来た人に、品物を
渡したり、おつりを計算したり、幸子と新一で商品の整理の手伝いをしたり
して本当に良い子ですよと、笑って話してくれた。その後1979年が終わり
を告げて1980年を迎えた。
1980年の夏休みは実家のの車を借り、中央高速から韮崎を抜け
清里高原へ1泊2日の旅行に出かけ、朝早く家を出て韮崎に9時に着き
、ファミレスでゆっくりし清里へ向かい八ヶ岳自然センターを見学したり
、「山梨県立まきば公園」の牧場の牛を眺め、牛乳で作ったアイスクリーム
を食べた。そこから天女山の頂上の標高1500mの駐車場へ行くと
涼しい過ぎて寒い程で吹く風は爽快そのものだった。
そこから小海の方まで行き松原湖から麦草峠を目指してドライブした。
一時間くらいしてメルヘン街道の最高点、標高2127mの看板の横で
窓を全開にして30分程、涼んだ。外に出てみると雑木林で見晴らしが
良くなかった。少し行くと麦草峠の駐車場がありトイレ休憩をして
再び出発、数分後、日向木場展望台があり、駐車場に車を止めて景色を
楽しんだり、写真を撮ったりして、少し休憩し再び峠道を下っていった。
峠を下りたところが奥蓼科の別荘が見え蓼科を越えると茅野に入った。
茅野からしばらく行くと諏訪湖が見え、午後4時頃に諏訪湖の旅館に着いた。
その後、少し部屋で休み、温泉につかった。部屋から見る諏訪湖の姿は
美しく素晴しい。夕食後、秀夫はドライブの疲れもあり、すぐ寝たが、
子供達と章子は、いつまでも起きていた。
翌朝、6時過ぎに、起きて諏訪湖の周遊道路を散歩しようと出かけると、
朝の湖畔から風は爽やかで夏の暑さを忘れさせてくれる。その後、朝食をとり
、宿を出て松本に行った。国道20号線を岡谷、塩尻、南松本、松本へ
1時間で到着し、11時から、松本城に入り天守閣まで登った。
景色は良いが階段が急なのには困ったが、子供達は身軽でひょいひょい
と上がり天守閣で待ってくれた。
堀に囲まれた、漆黒の松本城は、噂に違わず素晴らしい城だ。昼は地元
の蕎麦屋に入り、そばと、「信州お焼き」をいただいた。午後、お腹が
空いたので、多めにお焼きを買い込み、午後1時に出発して高速で
20分程で諏訪のパーキングエリアに着いた。このパーキングエリアは、
昨晩泊まった旅館の反対側の高台にあり諏訪湖の雄大な景色と、遠くには
八ヶ岳が見えて晴らしい景色。午後2時過ぎに出発して3時半に大きな
談合坂パーキングエリアに到着して、ゆっくりと休憩をとり
5時過ぎには自宅に着いた。
この夏休みも多くの写真をとって幸子は絵日記に諏訪湖と松本城、
まきば公園の絵を描いてくれた。松本城の絵が今年も展覧会に入選して
会場に張り出された。
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