第4話:子供達の才能

 やがて1976年が終わり1977年を迎え、初詣で新しい家族の健康と

今後の我が家の発展を祈った。この頃には子供達もすっかり家になれてきて

、寄付してもらった絵本などを長女の幸子が興味深げに毎日の様に読んで、

いろんな事を思えた。


 やがて長女、幸子が6才になり近くの小学校へ行くようになり、そこで習った

事を弟に教えてやるようになり、小学校でも真面目で勉強ができると評判が

良かった。その年の6月に預金が500万円に達して何とか吉田秀夫が、

この団地から出たいので、資産つくりのため株を始めたいと言ったが、

最初、章子は反対していたが、章子の務める銀行でも、これからは日本の

将来のために株式を持つ時代だと言っていたことを思いだして了解した。


 しかし株価は高止まりしていたので、下げ始める待つ事にした。夏休みに

実家の車を借りて丹沢の麓のキャンプ場へ行きバーベキューを楽しんだり、

近くの服部牧場でサラブレッドを見たり乳牛を見たりして子供達も大喜び。

 夕方帰る頃には子供達は熟睡していた。この様子を長女の幸子が、絵日記

にしっかりと書いていたのを見て母の章子は涙ぐんで良い子に育って

良かったと、しっかり幸子を抱きしめた。 


 そして1977年の秋頃、注目していたソニー株が下げてきて、1978年

1月に、ソニー株を615円で4千株246万円で購入し、持ち金の

500万円の残金が254万円になった。この年の4月には長男の新一が

近くの保育園に通い始めた。腕白盛りに育ち生傷が絶えない元気な男の子に

育ち、保育園でも友達ができ、喜んで通っていた。小学校2年生なった幸子

は成績が良く絵もうまくコンクールで入賞して学校の廊下に張り出された。


 国語と算数、理科が得意だったようで秀夫が小学校の問題集を帰って

くてから、暇を見つけては勉強していた。そしてある日、勉強している

幸子の脇を章子が通り過ぎた時、集中していたのか気づかず、少しして、

お帰りと言ったのには章子の方が驚いた位だった。なんと、すごい

集中力なんだろうと驚かされた。年末、ほとんど小学校の問題集を終えて

しまっ様だ。新一は、学校でかけっこが早かった。 寝る前に、

お姉ちゃんが絵本を読んで聞かせて算数などを教える様になり、

少しずつ絵本を読むようになった。


 この年は、電車で横浜の港や山下公園に連れて行き、中華街で、

中華そばや中華料理を食べさせた。幸子は、山下公園の花に興味を持ち

スケッチブックを持って行き盛んに絵を描いていた。その頃、新一は、

公園の中を意味もなく走り回っていた。海の景色は気持ちよく、港の風景

も幸子が書いていた。そんな事で、今年の夏休みの横浜の港、山下公園の

思い出を夏休みの日記にしっかりと書いていた。


 その中の横浜の港に絵が小学校のコンクールで金賞、横浜市の小学校

コンクールで銀賞をとったのには家族が驚かされた。そんな思い出と共に

1978年が終わり1979年を迎えた。ご褒美に、新一の誕生日に

かけっこが早いので格好いい運動シューズを両親がプレゼントすると、

大喜びで寝るときも枕元に置いて寝る姿を見て、秀夫も章子も目頭を

熱くした。そういえば小さい頃から、親の愛情を知らずに育った子なので

少しの喜びも普通の子の数倍いや数十倍も、うれしいのだろう

と痛感させられた。


 そして長女の幸子にも誕生日プレゼントにポラロイド・カメラを

買ってやると喜んでくれ、出かけたときに写真を撮り、それを見ながら

絵を描く様になった。こう言う子供の才能が開いている姿が、親に

とって最高の瞬間だと、秀夫と章子が、子供達の寝顔を見ながら話した。

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