屋敷巡り

KCLC

変化

1959年6月。私の住む京都は、梅雨の真っ只中であった。

梅雨前線が近づいているのか、雨しか降らない毎日。しかし、買い出し以外では碌に屋敷の敷地外にでない私にとって雨音の騒音が増えただけで、日常はあまり変わらない。そして、この日の夜も嵐だった。

明治初期に建てられた歴史ある我が家は激しい風と雨のせいでガタガタと地震のように揺れている。正直壊れてしまわないだろうかと心配するが、もし壊れたとしても修理屋を呼ぶこともできないような大雨なので考えるだけ無駄だろう。私には祈ることしかできない。

そして私は今晩御飯を食べている。晩御飯と言っても一人暮らしの独身の男が作る素朴な料理だ。ささっと晩御飯を食べ終えた私は、一般家庭なら喉から手が出るほど欲しい最新型のテレビでニュースを見ていた。ニュースと言っても最近は先月発表された東京オリンピックの開催決定の話しかしていない。ニュースの中で言っていた東京オリンピックがアジア初のオリンピックというのは初耳だったが、正直世捨て人のような生活をしてる私からしたら特に興味が湧くような出来事でもない。興味もないものを見続けるのは労力と時間の無駄かもしれないが、それでもやることのない私は、半開きの目で白黒テレビの画面を眺め続けた。


ガタっという音で私は目を開いた。テレビを見ている途中でどうやら一瞬の間眠ってしまっていたようだ。時計をみるとすでに針は11時をさしていた。明日の予定もとい、ここ一週間の予定はないが、このまま寝室で寝よう。

テレビの電源と部屋の電気を消して廊下へと出る。そして、自分の寝室へと向かうが、面倒くさかったので廊下の灯を付けずに私は、外の街灯の光だけを当てにして廊下を進んだ。その途中、私は、廊下が濡れていることに気づく。雨漏れだろうか?

暗くて見えにくいが、天井を見上げても水漏れのあとはないし、水滴がぽたぽたと落ちる音もしない。どちらにしろ今は暗くてよく確認できないので、明日にでも確認しよう。早く寝たい一心で私はそのまま廊下を進み、自分の寝室に入ると布団も敷かずに畳の上に倒れこんで寝てしまった。


翌朝


家の門をガンガンと叩く音で目を覚ました。何事だ?と思いながらも、寝起きでずれていたメガネを正すと、急いで壁時計で時刻を確認する。時計の針は六時を指していた。こんな朝早くから一体何の用なのだろうか。どっちにしろ、きっとろくなヤツではない。二度寝を決め込んで、無視してみようと試みるが、数分経っても門を叩く音は続く。このままでは二度寝もできないので、私は仕方なく外に出ることにした。急いで半纏を羽織り、下駄を履いて外に出る。昨晩の雨はもう止んでいた。扉を叩く音はまだ続く。数寄屋門の目の前まで駆け足で来ると、私はそろりと門を開いた。


「こんな朝早くから一体なんの用だ?」


二度寝を邪魔されたせいか、少し高圧的な物言いになってしまったが、気にすることでもないだろう。眠たげな顔で扉を開ける。そこにいたのは強面の警官。それも一人だけではなく、後ろを見渡せば五人はいるだろうか?私は先ほどの高圧的な物言いを後悔すると共に眠気も吹っ飛んでいた。

辺りを見回すと道を通っている人々は遠巻きに私のことを眺めながらひそひそと話している。

私は何か知らない間に犯罪を犯してしまったのだろうか?世情に疎い私が知らない間に、私が刑罰対象になるような法律が可決したのだろうか?いや、そんなことはないだろう。不穏な考えを頭から追い出す。そして、私は震える声で恐る恐る警察官に問いかけた。


「あの…警察官殿が私になんの用でしょうか?何かあったんですか?」


私は一転して、先ほどの高圧的な態度を隠すように穏やかな口調で話しかける。


「ふむ。君が重森宗一郎君かね?」

「えぇ…そうですが…」

「鳴宮家の分家である重森家の一人息子で間違いはないね?」

「はい」

「この女性は知ってるだろう?」


警察官は胸ポケットから一枚の写真を取り出す。

そこに写っていたのはセーラー服を着た長い黒髪の少女がいた。

知っているだろう?と私が知っている前提で警察官が聞いてきたってことは、私と面識がある人物であることは間違いないはずだが、よくみるとこの少女、私の母の若い頃の写真に似ている。そこで私は思い出した。


「もしかして…美雪ちゃんですか?」

「そう。彼女は君の再従妹である鳴宮美雪だ」


美雪ちゃんと一番最初に会ったのは私が小学一年生のころだった。そのころ彼女はまだ二歳だったが、私が大学に入るまでは、親戚の付き合いということで結構な頻度であっていた。最後に会ったとき、彼女はまだ中学生だっただろうか?大学に入ってからの5年間は全く会っていないので、容姿が変わっていても不思議ではない。しかし、あんなに優しかった彼女に警察が関わっているというのは少し不穏だ。何か事件に巻き込まれたのだろうか?


「彼女がどうかしたのですか?」

「どうやら家出したようでね。彼女の実家から捜索依頼が出ているんだよ。この重森邸の近くで目撃証言があったのも相まって、もしかしたら分家の重森家に逃げ込んでいる可能性があると鳴宮家の方が仰っていてね。よろしければ中を確認させては貰えないだろうか?」


美雪ちゃんが家出とは意外だ。私の知っている彼女は大人し目で少なくとも家出をするような大胆な子じゃないと思っていた。だが、自分含め人は短い間に変わるものなのだと私はあらためて認識する。


それと私の家の中を捜索するとのことだったが、特に断る理由もないので快く承諾した。それから警察官たちと一緒に家の中を回ったり、質問に答えたりしているといつの間にか数時間が過ぎていた。捜査の結果だが、もちろん美雪ちゃんはいなかったし、特に異常もなかった。

捜査が終わり、警察官らを私は玄関で見送る。


「いや、すみませんね。時間を取らせてしまって。」

「いえいえ、とんでもない。警察官殿の捜索に協力するのは一国民としての義務でしょう」


警察官は快く笑う。


「ははっ。そう言ってもらえますと助かります。それでは…」


そういって彼らは扉を開けて家の外へと出て行った。

運動をしない私にとって数時間立ちっぱなしは重労働だ。それに警官が家にいるとなると、緊張して体が強張ってしまっていた。しかし、捜索も終わり、やっと息を抜くことができる喜びと疲れに溜息を洩らすと、私は自室へと向かった。


近頃、私は、毎日同じような生活をしているように思う。実際に同じような生活と言えるだろう。それも毎日勤勉に仕事に励んでいるわけでもなく、毎日怠惰に一日何もせずに過ごしているだけだ。

一年前までは、毎日執筆活動に励んでいた。たまに小説の題材探しに京都の町を散歩してみたり、父が残した車で府外にまで行くことも度々あった。それらをしなくなったのはいつからだろうか。毎日ダラけているから、想像力が欠けてしまって上手く小説が書けないのかもしれない。しかし、今日は警察官殿が私の家を訪ねてきた。どうやら、私の再従妹である美雪ちゃんが家出したようだ。オリンピックを興味ないと言って退ける私にとって、親しかったとは言え親戚の家出など興味の欠片もない出来事だった。しかし、毎日起きて食って寝るだけの生活を数か月間も続けてきた今の私にとってそれは興味がなくとも確かな変化だった。それはまるで川に投げ込まれた小石。小石は大きな流れを変えることはできなくとも、川に落ちた瞬間、それは確かに変化を生み出す。そして今日、私という川に小石が投げ込まれた。今なら何か書けるかもしれない。そう思った私埃まみれの原稿用紙とペンを取り出すと、原稿用紙を机の上に置いた。筆が進む。しかし、それはすぐに止まった。私は腕を組んで、数分間原稿用紙を見つめる。何か思いつきそうなのに、なぜか思いつかない。つっかかるような感覚が続いた。それを一時間ほど続けていると、私はついにあきらめた。ペンを真上に放り投げると、机にひれ伏した。


「ダメだ…もう書けない…」


しかし、少しながらも筆が動いた。そして、つっかかるような感覚。さらに先へ筆を進めるためには、更なる変化が必要なのかもしれない。結局その日は何も思い浮かばないまま一日が過ぎた。


その日の真夜中、私は何故か目が覚めた。なんとか眠ろうとするものの、何故だか眠りにつけない。そんな中尿意を感じた私は、布団から出ると廊下へと出て厠へ向かった。ガタガタと襖が雨と風で揺れる。私が眠りについたあとに、また雨が降り出したようだ。寒さに体を震わせながらも、尿を済ませた私は寝室へと戻ることにした。


しかし、廊下を歩いている途中、私はガタガタと何かが揺れる音が聞こえることに気づいた。最初は嵐のせいだと思っていたが、その音は外からではなく、屋敷の内側から聞こえてきた。盗人かと思い、忍び足で廊下を徘徊し、ゆっくりと音のする方向へと向かう。そしてたどり着いた先は物置部屋だった。私は物置部屋の目の前まで来ると頭を襖に近づけ耳を澄ます。やはり中からはガタガタと何かが揺れる音が聞こえる。そのまま聞き耳を立てていると、ガチャっと鍵が外れたような音が聞こえた。この物置部屋には確か私の身長よりも遥かに高い2メートル半程度の巨大な金庫があったはずだ。この屋敷ができた当時からあったらしいこの金庫はなぜか動かすことができず、金庫の中身を確かめようと鍵開け師を呼んでも開くことはなかった。ガチャという音から推測するに、今物置部屋の中にいる盗人は金庫を開けることに成功したのだろうか。おそらく中には重森家の貴重な財産がしまってあるのだろう。断定はできないが、鍵開け師を読んでも開かないような厳重な金庫に保管するものなんて金銀財宝以外ないだろう。そんな重森家の宝を薄汚い泥棒にくれてやる気など私にはなかった。しかし、策もなしに感情だけで飛び込むのは愚者のすること。知恵者は予め計画して物事を行うものだ。そこで私は物置部屋の扉を開けたすぐ隣に昔父がアメリカからお土産として持ってきた木製バットがあったことを思い出した。ベーブルースのサイン付きだというそれは、大の野球好きの父にとっては家宝に近い品物だと思うが、背に腹は変えられない。私は、重森家の財産と誇りを守らなければいけないのだ。すまない、親父と心の中で父親に謝罪しつつ、サイン付きバットを武器にすることに決めると、勢いよく扉を開ける。そして、予想通りすぐ近くにかけてあったバットを手に取った。


「薄汚い盗人め!覚悟しろ!重森家の財産と誇りは私が守る!」


しかし、勢いよく部屋に入っていった私を出迎えたのは、泥棒ではなかった。

開いた金庫の前で唖然とした表情で私を見つめていたのは、セーラー服を着た長い黒髪の少女。

私は口をあんぐりと開け、驚愕したまま固まってしまっていた。


「美雪…ちゃん?」


私の問にたいして、彼女は気まずそうに頭を縦に振った。

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