第17話:金井秀子、進学校をめざす
亡き金井次郎の長女、金井秀子は今年1997年4月に中学3年生
になり、来年高校受験する事になり家から一番近いのが桐蔭学園が
川和高校にするか迷っていた。最終的には、学園祭に行って決め様と
思っていると言い、とりあえず、両方に合格できるように、頑張るよ
と言い、夜遅くまで勉強していた。秋に両校の学園祭を見てきて、
自由な感じの川和高校に決めたと言った。
1997年11月22日に義朗から一郎へ電話かかり11月上旬に
ヤフーを4株800万円で買ったと言い、これが今後の勝負株になる
と意気込んでいた。
1997年の12月一斉テストの結果で川和高校に合格できる可能性
が80%近くなり、受験を決めたようだ。1998年の初詣ででは、
しっかりと合格祈願のお願いをしてきたと良い、あとは、体調管理に
気をつけて風邪引かないようにしようと言い平常心を保てる様に呼吸法
を覚えたようだ。そして2月の中旬の受験日、朝、朝食後、金井一郎
と、かなえさんに言ってきますと挨拶して家を後にして夕方、落ち
着いた表情で帰って来て精一杯やったので悔いはないと晴れ晴れとした
表情だった。
2週間後、一郎と、かなえさんが、一緒に来るまで川和高校へ行き
、掲示板をみると、受験番号43番と書いてあり1998年3月に
合格した事がわかって、入学手続きを取って帰って来た。
この話を聞いた、次男の秀二が俺は、俺、マイペースで行くから気に
しないでくれと言った。1998年4月から川和高校に家から田園都市線
で市ヶ尾駅で橫浜市営バスに乗り換えて通う様になり30分程で到着する。
その後、川和高校の写真部に入って学校の運動部の大会にカメラマン
としてついていき多くの写真を撮り続けた。長男の秀二は中学生になり
得意科目は数学が得意で読書が好きだったが英語がちょっと苦手であり
英語の勉強のためにラジカセ(ラジオとカセットが一緒になったもの)
を5月20日に買ってもらい英語の放送を聞いたりカセットに録音して
復習したりして、英語に興味を持ち始めた。
1998年になり長津田中学2年生になり英語の成績が上げてきて
4月にに学年3位になり翠嵐高校が射程距離に入ってきた。12月に
学年トップになり翠嵐高校を受験することを決めて、将来の進路を医者
に決めたと教えてくれ2000年を迎えた。長女の秀子は2000年は
4月に川和高校3年生になり東京都立大学経済学部をめざすことに決め
受験勉強を開始して夜遅くまで勉強していた。2000年秋の高校での
成績は10番目で東京都立合格の可能性が80%で、受験を最終的に
決断して、2001年を迎え、2月に受験して、3月に合格発表を
金井一郎とかなえと3人に見に行くと、受験番号38番があり
、東京都立大学経済学部に合格した。
同じ頃、弟の秀二も翠嵐高校に合格し義朗の長男の金井太郎は
翠嵐高校を卒業して橫浜国大工学部、精密機械科に合格してセンサー
の勉強をしたいと考えて就職希望もキーエンスと決めたと話していた。
その頃、金井義朗はソニー株とヤフー株をいつ売るか考えていたが
、急上昇してきたので、早めに売ることをめざし1999年11月に
ヤフー4株を65000万円で売り、1999年12月にソニー株
2万株を30000万円で売り、税引き後利益25000万円の利益
をえて、資産が4億円となり、金井一郎に借りた3千万円を6千万円
にして返し、義朗の残金が34000万円になり、一郎の資産が
15000万円となった。その後、2000年の春過ぎから一気に株が
下がりだし、早めに売ったのが大正解だった。
これが、いわゆる、日本のネットバブルだった
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