第5話:曾祖母の金の菩薩像

 1979年に79歳になった金井八重が、金井猛と一郎に相談があると

いうので話を聞くと神棚の下に置いて、いつも大事そうにしていた桐の箱

をあけると純金の菩薩像が出て来たのを見て男達が腰を抜かさんばかりに

驚いてこれどうしたの聞くと1916年、旧制水戸工業高校を出て29年間

、日立市の日立製作所の技術部の仕事をしていた。その日立の技術部に

東京の大学を出た吉川卓という賢そうな男性が入社してきて、最初は近く

で昼食をとるだけだったのが、彼の方から金井八重が地元出身とわかり

銀行や、安くてうまい食堂など、多くの地元の情報を教えて上げるうちに

、たまに男女数人で食事に行ったりするようになり、個人的にも親密な

交際を始めた。ある日、彼が、私にもしも時、私の宿舎のロッカーに

桐の箱に入った仏像があるから、君に持っていてもらいたいと鍵を渡して

くれ、この事は絶対に、2人だけの秘密にして他人には口外するなと

言われて、その後、秘密にし続けた。しかし、そんな夢の様な時間も

短く、その彼が、1916年12月15日体調を崩して日立総合病院

に入院し、どんどん痩せて弱り、1週間程でなくなった。


 医師が急性白血病を言う珍しい病だったと教えてくれた。あまりに

彼が可哀想なのでグループで遊んでいた会社の男女5人で質素な葬式を

上げて、近くの墓地に埋葬した。この話をしたあと、桐の箱の中の

金の菩薩像を金井猛と一郎に見せると、2人は腰を抜かさんばかりに

驚いた。続けて金井八重が実家で、この話がばれたら、すぐに、お金に

替えて仏像なくなってしまうと思い秘密にして隠しておいたんだと

話してくれた。そして田舎を出る時、金井猛のリックサックに桐の

箱ごとしっかり梱包して入れて出て来たと話し、それで、あなた方が

都会へ行くと聞いて一緒についてきたって訳なんだと打ち明けてくれた。


 ひ孫も3人できて、これから、あの子達のために大事に使ってくれと

言われ、話を聞いていた金井猛と一郎が、ありがとう、本当に

ありがとう、これから子供達が大きくなって、金がかかるので本当に

ありがたいと、涙を流して金井八重の手を握りしめた。私も、これで思い

残すことはなくなり、先に逝った愛する彼の待つ、あの世へ旅立つよと、

薄笑いを浮かべた。早速、金井猛が東京・銀座の田中貴金属に電話を入れ

、金の価格のことを聞くと急上昇の最中ですと言い、事情を話すと、

早めに来店したほうが良いと言われ、1979年12月12日に銀座

の田中貴金属に行くと、金価格のチャートを見せてくれた。


 1980年1月3日に電話がかかり、すぐ金を持って来て下さいと

言われ持って行き、銀座本店で売買の書類を書いて、できるだけ高い

値段で売りますからと言いお願いした。1月18日に6500万円

で売れましたよと電話が入り、橫浜銀行の中山支店に入金してくれた。

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