第2話:金井猛、一家の上京
戦後、1950年5月10日に北関東から大きなリックに重たい荷物を2人の男
が背負って金井猛40歳、奥さんの金井はつ39歳、息子の金井一郎20歳と、
奥さん金井かなえ17歳、それに加えて、金井猛の母、金井八重60歳も田舎は
嫌だと4人についてきて5人で上野駅から京浜東北線に乗り換えて品川から
京浜急行に乗り換えて金沢文庫に着いた。田舎の知り合いの息子さん、
山根辰巳さん40歳の家に着くと、山根さんが借家を探しておいたが、野島と
いう海の近くに昔、漁業協同組合の漁師小屋を月に1万円で使っても良いと
言われたと教えてくれた。ただ、自分で家の中を修理して畳を入れたりする
必要がある様だ。実際に現地に行くと広さは十分にあり金井猛と息子の一郎で
木の板を買って修理すれば使えることがわかった。
そこで今晩は、いたみの少ない6畳で寝ることにして明日、金物屋で木の板を
買って1日かけて、2人で板を全て貼りあけて、明後日に壁を修理していくこと
になりトイレも新しくして、4日間かけて全室、板張りの6畳の広さの部屋を
4つと台所を完備した4LDKの家にした。
畳を買うだけのお金がないので、座布団や、マットレスを引いて、布団を
敷いて寝た。6月過ぎて仕事探しにで買えたが戦後不況で仕事がな、仕方なく
近くの工務店に雇ってもらい大工仕事をする事になった。
その後、金沢から自転車で20分行くと釜利谷という田んぼ畑、竹林が多い
地域があり、春は山菜、フキノトウ、竹の子、タラの芽、せり、のびろを
とり、仕事に行く前の早朝に、金井猛と一郎の親子で魚釣りに行き、アジ、
タコ、イカ、シャコ、いわし、サバを釣って、米だけは買いに行き、
それ以外のおかずを調達して、安い給料でも、うまくやりくりした。
あっという間に1年が経ち、1952年の9月に金井かなえに子供が
でき1953年2月27日が予定日だとわかった。2月25日に産気づいて
、近くの産婦人科で1953年2月27日に2.9kgの元気な男の
赤ちゃんを産んで金井義朗と名付け、3月15日に退院してきて、
母のはつさんが、かなえさんの面倒を見ていた。
1953年になり、その年の9月25日、夜11時過ぎに台風13号に
風速25mを超す強風と高潮で、住んでいた野島の漁師小屋を改修した家が
吹き飛ばされて、近くの友人の車で1歳半の金井義朗と母の金井かなえと
祖母の73歳の金井八重の3人が近くの公民館に避難して助かった。
男衆は家に添え木をしたりしたが完全に吹き飛ばされて強い風の中、
公民館に逃げ込んだ。翌日は、金井かなえと息子と祖母が友人の高山豊の
家に寄せてもらい、食事もいただいた様で2日後、お礼に行くと災害の
時はお互い様だからと言い、それより住む家がなくなり大変だなと心配
してくれた。高山豊が橫浜市役所の職員であり、市営住宅と神奈川県営
住宅を探してあげるから家族の氏名、年齢と収入を書いてくれと言われ、
書いて渡した。それを見て、現在被災して困ったいる状況を書いた便せん
を入れて、それぞれの役所に提出すると最近完成した大規模なの横浜北部
の橫浜市営住宅に空きがあることがわかり優先的に入居させてくれると
連絡が入った。
その知らせを聞いた金井一郎が高山豊に、お礼を言って、固い握手を
交わした。2日間、公民館で避難生活していると、近所の人達が心配して
ミルクやオムツをくれたりして非常に助かった。2日後、横浜の北部の
市営住宅に金井猛が働いている工務店のトラックを借りて家族全員で
引っ越していった。
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