第39話(最終章):薫子の父の死とホンダジェットへの就職
2026年立山太郎が東京都市大学理工学部機械工学科に合格し立山哲男
が三島駅間に4LDKのマンションを5千万円で購入し太郎が新幹線、
新横浜経由でセンター南の東京都立大学橫浜キャンパスに通った。
2030年にホンダジェットに入社して米国ノースカロライナ州の
ホンダジェットの工場に就職し製造機械のメンテナンスを中心に仕事を
して社内で航空工学の勉強を続けて年末か夏休みには日本に帰って来る
様になった。
その後2030年4月に立山真弓が橫浜国立大学工学部機械工学科に
合格して三島駅前のマンションから新幹線通学を始め、兄、太郎が
ホンダジェットに入社したのを見て自分も入りたいと、航空工学の勉強を
猛勉強し、その後、毎年、兄の働くホンダジェットの工場に出かけて
見学させてもらい工場の兄の仲間とも親しくなっていった。
2030年7月7日、薫子さんの父、佐藤直太朗さんの具合が悪くなった
と朝9時に連絡があり薫子さんと輝一が入院先のKU病院にお見舞いに行くと
、心不全の兆候が見られるので、この数日間が山だろうと言われ、
石川町の佐藤家に泊まって、毎日、病院へ火曜と7月11日夜10時に
病状が悪化して危篤となり12時過ぎに息を引き取った。
その後、薫子さんと輝一は一時、三島のマンションに帰り7月15日が、
お通夜で16日に告別式なったと電話が入り、15日昼に佐藤家に出かけて、
16日の告別式に参列して、疲れきって帰って来た。
2031年になり立山真弓も大学に2年生になり、その年の夏休みに
兄の働くホンダジェット、ノースカロライナ工業を見学しに行き、
その後2,3、4年生の夏休みも出かけて、ホンダジェットに入社したい
という気持ちが強くなっていった。その話を聞きつけた上司が、この工場
も男ばかりで花になる女性が欲しいと言う工場長の話が出たようだ。
2034年4月橫浜国大工学部機械科を卒業してホンダジェットを受験
して合格しノースカロライナ工場に配属され、学校時代、既に航空工学を
勉強していたので製作グループの一員として活躍する様になった。
その後、兄と一緒に毎年、最低年に1-2回、静岡の両親、祖父母の所へ
帰って来た。立山哲男と泉は70歳を過ぎても釣り仲間と釣りに出かけたり、
富士五湖、箱根をドライブして人生を楽しんで生活して年には見えないくらい
元気だった。2036年の7月20日、気分転換に熱海の料理の美味しい
ホテルに、米国から帰省してきた、孫の立山太郎と真弓を含め総勢6人で
新型ヴェルファイアに乗って熱海に出かけて、ゆっくり夕食を食べながら、
太郎と真弓の働、ホンダジェット・ノースカロライナ工場の話を楽しそうに
聞いていた。その後、ゆっくり温泉に入り、床に入った。翌朝の海に海側の
ベランダに出ると、立山家の将来を明るく照らすかのように素晴らしい朝日
が昇るのを見て、薫子さんが亡き父を思い出して涙を浮かべてると、輝一は
彼女の方をしっかり抱きしめて、亡きお父さんも私たちファミリー天国から
見守ってくれているに違いないと言い、これかも末永く家族全員、元気で
頑張っていこうと話すと薫子も泣き止んで息子の太郎と娘の真弓に、
これから人生の荒波に出て行くけれど、決してくじけず、疲れたら、
休息しに伊豆に帰って来なさいと伝えた。その後も立山夫婦は、
釣りに出かけたり、隣のコミニティセンターで小さな子供達と遊んだりして
人生を楽しみ、立山哲男は2045年、92歳、立山薫子は2048年、
95歳まで長生きしたそうだ。(終了)
伊豆で若隠居 ハリマオ65 @ks3018yk
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