第16話:斉藤正子さんが体調崩す

 2006年1月18日、斉藤正子さんが急に腹痛を訴えて救急車で聖霊沼津

病院に運ばれたの連絡が入ったので、立山哲男と奥さんが病院に駆けつけた。

 病院に駆けつけると、ご親戚の方ですかと看護婦さんに聞かれ知り合いです

というと肉親か親戚の方はいませんかと言うので知らないと言うと、ご本人も

近所の親しい親戚や肉親はいなくて子供達は全員海外で久しく帰宅せず連絡も

取ってないと言っているので困っているのですと言うと、もし良かったら

伺いましょうかと言うと、じゃーお願いしますと言われ、後で先生が来られます

ので詳しい事を聞いて下さいと言われ了解し待っていると少しして消化器内科

の先生が来られ斉藤正子さんは大腸癌で進行していて余命半年、長くても1年

と言われ外科手術しても厳しいかも知れないので手術するかどうか近いうちに

外科と協議すると知らされた。そんなに悪いですかと聞くと下血もあり精密

検査の結果は数日で出ますが、もし膿が出ていれば手の施しようがありません

と、もっと早く検査を受けていれば良かったのにと思うだけですと言われた。


 1人で生活していて他に見てくれる人がいなかったと使えると、そうですか

と言うだけで手術するかどうかは3日後にわかりますので電話番号を教えて

くれと言われ伝え、教えると数日後、電話で手術はできないと言うことに

なりましたと連絡が入った。斉藤正子さんをお見舞いに行くと、かなり具合

が悪そうですねと言い、最近、特に具合が悪いので食欲も落ちていると言い、

抗がん剤や放射線療法は、やりたくないと言い、心を落ち着けて死を待ち

たいと打ち明けた。それを聞いて立山哲男が了解しましたと言い先生と

話してみますと伝え、この話を担当医に話すと三島の郊外の静岡県立がん

センターに緩和病棟がありますから、希望があれば転院の手続きをとれる

というので、本人に確認して、すぐ連絡しますと答えて、斉藤正子さんに

話すと転院の手続きを取って下さいと言い費用は自分で出せますから、

銀行のキャッシュカードを立山さんに預けますので、手続きや支払いを

お願いしたと言ってきたので、快諾した。


 この話を先生に伝えると手続きを取りますと言い、連絡してくれた。

 数日後、転院しますと言い救急車を手配しますので立山さんは救急車に

ついていって下さいと言われ了解した。この病院から20分で静岡県立

がんセンター緩和病棟について入院の手続きを立山哲男がしてきた。


 そして支払いは毎月月末にする事がわかり、その時に斉藤正子さんの

キャッシュカードを借りて支払いますと告げた。立山が子供さん達に連絡

しなくて良いのですかと聞くと電話番号も知らないし、もう十年以上日本に

帰ってきていないので連絡のしようが無いと言った。


 昔の手紙を見せてもらい住所を控えて手紙だけでも出してみましょうか

というと、できればお願いしたいと言うので手紙を書くことにした。

 転院したのが1月25日であり、その後、カルチャースクールに、講師が

病気療養中で篆刻教室の中止を書いた。その後、毎週立山夫婦が見舞いに行き、

欲しいものがあれば買っていった。2ケ月が経ちホノルルとミュンヘンに住む、

斉藤正子さんの子供達の住所に該当する人は現在いないとの連絡が入り、

それを伝えると、お手数かけましたねと寂しそうに言い、覚悟はできましたと

話してくれた。その後も斉藤正子さんの、やつれていく姿を見るのが辛くなる

ほど病状が悪化していた様で2月下旬には寝たままで、やっと笑顔を見せる

程度まで衰弱していき2006年3月22日の早朝、訃報が入り亡くなった

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