第3話:木村泉と立山哲男の結婚と出産

 その頃、木村泉と立山哲男が仲良くなって油壺マリンパークに言ったり、鎌倉を

散策して見たりと親密になったが、数ヶ月後、木村泉は横浜・山手の小さな商社で

英語を生かして欧州やアメリカとの取引書類や電話での交渉をする会社に正社員

として雇われてた。それでも土日祭日は電話で連絡し合って映画を見たり横浜、

マリンタワー、外人墓地をデートする日が増えていった。1977年の正月は

土日に木村泉が立山哲男を誘って新幹線で大阪に行き神戸、明石、姫路の町を

散策して、明石の木村家に連れて行ってくれて、木村泉さんの両親にお会いして

、将来、結婚したいというと木村泉さんの母、木村早苗さんが喜んでくれて、

お父さんの木村俊彦さんも了解してくれた。木村泉は横浜の中華街の大きさに

おどろいていたが日曜、中華街のいろんなお店を食べ歩いてから元町で

ウインドウショッピングするのが大好になった。


 1977年1月8日に、立山は7201の日産自動車を375円で1万株、

375万円で購入し残金が268万円になり1977年10月15日に

615円で1万株を売却して税引き利益185万円で残金が827万円となり

、投資金額が2倍になったと伝えると、内藤克美、加橋小夜子が200万円

をいただいて、投資から手を引きたいというので立山哲男と木村泉が了解して

、200万円ずつ返却して827万円の残金が427万円になった。


 そして1977年の4月に金沢文庫から徒歩10分の3DKのマンション

に引っ越して立山哲男と奥さんが同居し始め、1977年10月10日に

横浜中華街の近くの結婚式場で内輪だけの結婚式をし総勢30人で祝って

もらった。新婚旅行については仕事が忙しく余裕ができたらと言う事にした。

 年末のある朝、木村泉さんが気持ち悪いと食べたものを戻したので、

念のために、婦人科を受診すると子供ができていて、出産予定日が

1978年6月8日と告げられた。


株の方では1978年2月2日に伊藤忠商事を166円で1.5万株、

249万円で購入して残金が178万円となった。


1978年、年3月から出産休暇を取り立山哲男は家で一緒に過ごす日が多く

なり食事など家事をした。4月になり暖かくなると立山哲男は一緒に散歩したり

して奥さんの健康に気を使って過ごしていたが、お腹も大きくなり食べる量も増え

動くのも大変そうになった。そうして6月3日、最初の陣痛が来て、家の近くの

総合病院に入院して1978年6月8日に2900gのしっかりした男の子を

出産した。特に問題の無い出産で1週間後の6月15日に自宅に帰ってきた。


 そうして息子の名前を一番輝けという意味で立山輝一と名付けた。夏が過ぎて

10月になると働きたいと言いだし1978年12月10日から横浜・山手の

小さな商社の仕事に復帰した。立山哲男が息子の立山輝一にミルクをやったり、

おむつを替えたりして育児に積極的に参加して乳母車を引いて証券会社に

出かけるようになり昼休みに証券会社の女性事務員がミルク作りを手伝って

くれたりして赤ちゃんを可愛がってくれた。やがて1979年の年が明け、

奥さんが年末年始の休暇を長めにもらい、1月10日から出社し会社の仕事に

戻った。


 立山輝一の一歳の誕生日の6月8日には奥さんの両親も来てくれて祝って

くれた。また、立山哲男の両親も、たびたび家に来ては立山輝一の可愛い顔

を見ては家事育児を手伝ってくれて助かった。そうして1979年も大きな

事件もなく無事に終えた。


1979年秋頃から伊藤忠の株価が上昇し10月20日に477円で2万株

954万円で売却し利益473万円で残金が787万円となった。

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