延長戦 父親(二)

― 王国歴 1050年初夏-1051年 年初


― サンレオナール王都




 マキシムは舞踏会の翌朝に我が家を訪れました。彼はナタニエルでもローズでもなく、まず僕達夫婦に話があるそうです。執事によると礼服姿で薔薇の花束を持っているという事でした。


 非常に嫌な予感がしました。僕はまだそこまで心の準備が出来ていません。フロレンスも何か察しているようでしたが、彼女はどっしりと構えているのです。


「マキシムには僕達は留守だって言って追い帰して」


「アントワーヌ、この期に及んで何をおっしゃるの? 先延ばしにしてどうなさるおつもりですか? それに彼が持ってこられたという立派な花束を無駄にするのはもったいないわ」


「花が無駄になるかならないかは彼の覚悟がどれだけかによるよ!」


「ですから居留守など使わずにきちんと彼に向き合ってあげて下さい」


「分かったよ、フロレンス」


 初めての舞踏会で羽目を外して疲れたのか、ローズはまだ休んでいるようでした。


 僕はフロレンスと一緒に彼が通された居間に向かいます。マキシムの奴は略式の礼装に見事な花束を持って立っており、男の僕から見てもつくづく絵になるいい男でした。もちろん見た目がいいだけではローズの相手としては十分ではありません。


 僕が無言なのでフロレンスの方が先に口を開きます。


「マキシムさん、いらっしゃい」


「お早うございます、ソンルグレ侯爵夫妻」


 フロレンスが僕を肘でつついてきました。


「お早う、マキシム。まあそこに座りなさい」


「あ、いいえ」


 マキシムは座ろうとせず、花束を椅子の上に置きました。そして僕達の前に進み出て、いきなりひざまずいて言いました。


「アントワーヌ、フロレンス・ソンルグレ侯爵夫妻、この私にローズ・ソンルグレ様に求婚する許可をお与え下さい」


 交際の許可かと思っていたら何といきなり求婚したいとは……隣のフロレンスが僕の手をしっかりと握り、僕に微笑んで大きく頷きました。


「とりあえず座りなさい、マキシム。そうして君が床に這いつくばっていては話なんて出来ないからね」


「……はい」


 僕達二人は彼と向かい合って座りました。


「君も知っているように僕達夫婦には三人の子供が居る。僕はそれぞれの子に思い入れがあってね、そのうちローズには特別な感情があるのだよ。彼女が僕の血を引いた初めての子供だからじゃなくて、僕たちの下から最初に飛び立ってしまうかもしれないからだよ」


 僕はそこでフロレンスの手を更にしっかりと握り、彼女と一瞬見つめ合いました。


「フロレンスが僕達夫婦に子供が出来たと告げた日、フロレンスのお腹に話し掛けていた日々、ローズが誕生した日、まるで昨日のことのように思い出すよ。僕がナタニエルの父親になったのは彼がもう三歳の時だったから、ローズの誕生は殊更僕にとっては感慨深かったね。ナタニエルは妹の誕生を喜びながらも、本当は弟の方が良かったとぐずっていたね」


 フロレンスは何が可笑しいのか、クスクスと笑い出しました。マキシムの方は真面目な顔で頷いています。


「こうしてローズの成長について僕が話し出すと十八年分もあるし長くなるから、今日はこのくらいにしてまた次の機会にでもするよ」


「うふふ、もうアントワーヌったら」


 後でフロレンスに言われました。次の機会があると言い出すから僕はもうマキシムを婿として認めていたのだ、と。確かにそうでした。


「要するに僕が言いたいことは一つだけだ。ソンルグレ家の、僕達の子供と生涯を共にする幸運な人間に僕が父親として求めるのは、夫婦二人お互い深く愛し合って幸せになること、それだけだよ。必要なのは身分でも地位でも財力でもない、騎士道大会で好成績を修めなくてもいい、将来出世しなくてもいい。王族だろうが平民だろうが関係ない」


 僕は窓の外をちらりと見て、にっこりと微笑みました。僕達の話をそこで聞いている人物が居ます。ドウジュの他にも誰かの気配がします。


「君がナタンの友達になった頃から、一応色々調べさせてもらったよ。意外と真面目な所もあるのだね、君は。僕が言いたいこと分かるよね?」


「え、あ、はい……」


「司法院に配属が決まっているローズの方が僕よりも法律に詳しいけれど、最近法改正されたことは君も知っていると思う。夫婦の権利が夫と妻でほぼ同等になったのだよ。妻側からも夫の不貞などの理由で離縁を申請出来るようになったし、慰謝料も請求できるようになった」


 この法改正のために僕は学生の頃から必死で上を目指していたのです。もちろんフロレンスの不幸な最初の結婚がきっかけでした。


「はい、存じております」


「バレないように火遊びすればいい、なんて思わないことだ。家族の一員になる君だから教えよう。僕は裏の世界の人間にも知り合いが居る。彼らは尾行や盗み聞きが得意でね、木の上でも建物の何階でも、屋根の上でも簡単に上ってしまうし、錠を開けるなんて朝飯前なのだよ」


 僕の前で緊張のあまり固まっているマキシムは、僕が既に彼を家族の一員と言ったことに気付いていないようです。だからこそ、そんな話を聞かされているということにも。


「ローズは優しい子だから、例えば君が不貞を働いてもまだ君に情が残っていたら法的にあまり酷な制裁は課さないだろう。でもね、僕の裏社会の友人達は王国の司法院に訴えを起こすようなまどろっこしいことはせず、私刑を行うのだよ。不誠実な夫に対してはどんな罰を与えるのか先日聞いたところね、何と答えたと思う? アレを切り落としてしまうのだそうだよ。チョッキンとね」


 僕はそこで片手で鋏の真似をしました。


「は、ははは……」


「と言うのは冗談だよ」


 僕はマキシムに意味ありげな笑みを向けます。


「アントワーヌ、もうそのくらいになさったら?」


 フロレンスにはそこでたしなめられ、ドウジュには後日怒られました。


『若、里の人間はそこまで野蛮ではありませんよ! 冗談でも私達の評判を落とすような事をおっしゃらないで下さい!』


「君もこんな立派な花束を持って求婚に来るくらいだから、覚悟は出来ていると思う。一旦婚約したらもう結婚したも同然、婚約者に操を立てるのは当然だし、今はもう女性側からも婚約不履行や破棄を訴えることも可能になっているからね。それから貴族同士の婚姻になるのだから、父親としてはローズには貴族令嬢らしく式の日を迎えて欲しい」


 結婚までは一線を越えるなと言う意味でしたがマキシムに伝わったかどうかは不明でした。


 実は僕自身はそこまではこだわってはいません。本人達の間で決めればいいことです。貴族は当然のように女性にだけ結婚前の純潔を求めるのが、僕には納得がいきません。それでもこのマキシムには式を挙げるまでは我慢できるだろうと暗に示したかったのです。


 隣のフロレンスは呆れているのが良く分かります。


「覚悟が出来ていないのならその花束を持って今すぐお帰り頂くしかないね」


「重々承知しております。しかし私は帰りませんよ、ローズさん自身に断られない限りは」


「そう。フロレンス、君は何か他に付け足すことはない?」


「貴方が全ておっしゃったわ。マキシムさん、この親バカ度が過ぎる舅をよろしくお願いしますね」


「何それ、フロレンス!」


 そこで初めてマキシムは緊張が解けたのか、少し微笑みを浮かべていました。


「こ、侯爵、貴方が王国史上最年少で副宰相の席に上り詰めるはずですね。良く分かります」


「なに、僕は運が良かっただけだよ」


 僕の最大の幸運はこうして愛するフロレンスが常に僕の隣に居て、素晴らしい家族に恵まれたことです。


「フロレンスにはいつも釘を刺されている。あまりの親バカぶりを人様の前で披露しないように気を付けろと。でも君の前では心置きなく親バカを発揮できそうだから嬉しいよ」


「は、光栄です」


「うふふふ」


「じゃあそろそろローズ姫を呼んで来よう。流石にもう起きているかな」




 この後は皆さんもご存じの通り、とんとん拍子に事が進みました。結婚までは強引なマキシムにローズがついて行ってないような感もありました。それでも二人が愛し合っているのは間違いありません。


 新婚早々マキシムが再び遠征してしまった時のローズは本当に見ていられませんでした。マキシムが帰ってきた後は二人の絆も益々強いものとなったようです。


 あんなに小さかった僕のローズ姫がもうすぐ母親になるとは、時の経つのは早いもので感慨無量です。




     ――― 番外編 父親  完 ―――




***ひとこと***

例の物騒な発言でマキシムを脅していたのはジェレミーではなく本当にアントワーヌ君だったのでした。

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