最終戦 惨敗
― 王国歴1051年 春
― サンレオナール王宮 闘技場
季節は春、騎士道大会の季節です。
冬に右腕を負傷したマキシムは怪我こそ治ったものの、休養中に落ちた筋肉を鍛え直し、大会までに以前の状態に持って行く時間はなかったようです。準備万端でない事は分かっていながら、彼は大会に参加しないと気が済まないようでした。
「一回戦敗退でもいいから何としてでも出る」
「マキシム、無理しなくても」
「男としての意地だ」
「お前の事だから大会当日も仕事なんだろ、でも少しだけでもいいから見に来いよ」
「ええ、行くわ」
「この子にも出来ればカッコいい所を見せたいけど……」
ところが当日私はなかなか仕事を抜けられず、闘技場には遅れて行きました。私よりも周りの人間の方が、マキシムが不機嫌になることを恐れていたようでした。
兄のナタニエルは今年初めて魔法の防御壁を築く大役を任されました。兄は私がいつまでたっても現れないのでマキシムが癇癪を起こさないか心配を始めました。持ち場を離れられない彼は、アナ伯母さまに瞬間移動で私の職場まで私を迎えに行くように頼んだのです。
私は上司の室長に騎士道大会に夫が出場しているので、と言い出せずにいました。しかし、彼には結局アナ伯母さまが迎えに来たことで分かってしまったのです。
「私が意地悪で君を行かせなかったと後で言われるじゃないか! 早く行け!」
そんな叱られ方をしました。室長との関係も最近は少し良い方へ向かっているかもしれません。
「ローズ、マキシムさんの二回戦の出番がもうすぐよ」
「はい、伯母さま。彼が勝っているうちに行かないと……機嫌を損ねたら
「男の人って幼いからちょっとのことで不機嫌になるのよね。主人の若い頃を思い出すわ。まあうちの主人はいい年した今でもあまり成長していませんけれども」
この伯母にかかれば近衛のルクレール大佐も何だか幼児のようです。
「瞬間移動は念のためにやめておきましょうね。別に危険はないのですけれど、妊娠中の姪を私が瞬間移動させたと伯父さまに知られると少々面倒なことになるから。少しだけ移動魔法を使って急ぎましょう」
伯母さまは私と腕を組んで、低空飛行で闘技場まで連れて行ってくださいました。
私には前から二列目のとてもいい席が用意されていました。もう二回戦は半分以上終わっていました。私の愛する夫の二回戦には間に合ったようです。
何と私の隣の席には両親が座っていました。父によると一回戦は難なく勝てたそうです。新米の私などよりずっと忙しいはずの父が一回戦から観戦していたとは少々驚きです。今まで騎士道大会なんてまともに見に来たこともない父です。
「お父さま、お母さまもいらしていたのですか?」
「うん、ローズ。マキシムはこっちを見て妻の君が来ているかどうか確認していたよ」
「えっ……でもお父さまはどうして? お忙しいのでしょう?」
「婿殿に直々に招待されたからね、来ない訳にはいかないだろう」
マキシムが両親に見に来てくれと言っていたなんて初耳です。
さて、マキシムの二回戦が始まりました。マキシムの表情は
「今の試合、結構無理があったね。あそこで相手の隙を上手くつけたものの」
「普段のマキシムさんだったら難なく勝てていたのでしょうね。怪我が治って間もないですから」
父と母がそんな話をしています。
三回戦、マキシムは最初から不利そうでした。右腕の動きが鈍くなっているのが素人の私でもわかります。ここまで勝ち残っただけでも大変だったのでしょう。
試合が始まってほどなくして彼は剣を落としてしまいました。会場の皆が息を呑みます。試合相手はマキシムが剣を拾うまで待ってくれました。本来ならすぐそこで剣を突きつけられて試合終了です。
マキシムは情けをかけられることを良しとしないでしょう……それでも闘技場の二人の騎士はなにか一言二言交わして試合を再開しました。彼の右腕はもう限界のようです。
「マックス……」
その時です。相手の剣を交わそうとしたマキシムは地面に片膝を突き、そこで突きを入れられて勝負がつきました。
「ああ、マックスが負けてしまったわ」
二人の騎士が握手をして王室桟敷に向かって一礼したあと、マキシムは私たちの席の方へ歩いてきました。私も手すりに駆け寄りました。
「マックス、お疲れさまでした。最後まで堂々と戦う貴方はとても素敵だったわ」
「お前なぁ、また仕事に熱中して時間忘れていただろ!」
「で、でも先程の二回戦とこの試合には間に合ったわよ」
「俺が苦戦して負ける無様な姿だけ見に来たってわけか!」
マックスはそう言いますが口調は軽く、何故か機嫌は良さそうです。
「勝とうが負けようが貴方の戦いぶりが恰好よかったのよ。さすがは私の愛する旦那さまだわ」
「最近のお前、なんかやたら素直だな」
「多分妊娠のせいね」
「マキシム、君の試合、全部見せてもらった。良く戦ったね。怪我が治ったばかりだと言うのに」
父が私の後ろに来ていました。彼は手を差し出してマキシムと握手します。
「まあ、あのソンルグレ副宰相が、お珍しい……」
周りのそんな声が聞こえてきます。
「義父上、お忙しい中わざわざ見に来て下さってありがとうございました。好成績は修められませんでしたが……」
「騎士道大会は成績が全てでもないのだろう? こうしてローズも大幅に遅刻したけれど駆けつけたしね……」
「はい」
マキシムは父に深く頭を下げ、父はそのまま闘技場を去って行きます。決勝戦まで見る気はないようです。
多忙な父が娘婿であるマキシムの試合を見るためだけに闘技場に足を運んだということが、彼にとっては相当嬉しかったようです。
『俺は剣しか取り柄がないし、カッコ良いところ見せるとしたら騎士道大会くらいだろ? 義父上にもローズを幸せに出来るのだったら騎士道大会の成績なんてどうでもいい、なんて言われたからな。かえって逆に勝ち進んでやるって気にもなった』
後日彼はそう言っていました。
「ローズ、今晩は俺、祝賀会に出ずに真っ直ぐ帰宅するからな、お前も残業せずに帰って来いよ!」
私は目をぱちくりさせました。飲み会などの集まりには必ず参加するマキシムが珍しいです。
「妊娠が分かってから私、仕事は控えているでしょう、旦那さま。そういう貴方こそ本当に飲み会に行かなくてもいいの?」
「今晩はお前とゆっくり過ごしたい気分なんだよ」
マキシムは私の手を優しく握りました。
「まあ、マックス。そんな貴方に私少しときめいてしまうわ」
「少しだけかよ」
「うふふ……」
マキシムは私の一番好きな笑顔を見せました。本当は少しだけではなくて私貴方のその笑顔に身も心もとろけるのよ……と言おうとしたら彼が先に口を開きました。
それと同時に次の試合の騎士が入場してきたのか、場内の歓声がひときわ大きくなりました。
「ローズ、愛しているよ。俺の美しい薔薇」
周りがうるさすぎて彼の声は私の耳には聞こえませんでしたが、彼の愛の言葉はしっかり受け取りました。審判に注意される前に彼はくるりと背を向けて退場します。
「私も愛しているわ! マキシム」
その彼の広い背中に私も思いっきり叫びました。周りの騒音にかき消され私の声は届かなかったはずなのに、マキシムは手を上げて応えてくれました。
――― 完 ―――
***ひとこと***
本編完結です! 最後まで読んでくださってありがとうございます。次回からナタニエル視点とアントワーヌ視点の番外編が続きます。ナタニエル視点ではマキシムがローズの正体を見破ることとなったおバカな理由が明らかにされます。アントワーヌ視点では心配性で親バカなパパが将来の娘婿に……
よろしかったら続けてお読みください。後書きは番外編の最後に書きます。
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