第二十六戦 帰還
ある日の夕方、帰宅した私は屋敷の使用人全員に告げました。
「旦那さまが近いうちに王都にお帰りです。怪我を負ってのご帰還ですから大層気を落とされていることと思います。私たちに出来ることは暖かくお迎えするくらいですけれど……」
「まあ奥様……」
「旦那さまのお怪我の具合はどうなのですか?」
「重症ではありません。右腕の骨折と、右脚は打撲と捻挫です。ですけれど仕事も出来ないので任務途中でお帰りです」
私はまだ食欲もあまりない状態でしたが、周りからは顔色が良くなったと言われます。
マキシムの怪我の知らせ以降、彼からの文は来ていませんでした。本当は左手でもいいから、一言でもいいから彼自身の言葉が綴られた文が欲しかったのです。
その日は快晴でとても寒い日でした。モードにまるで雪だるまのようにたくさん着込まされて私は出勤します。
妊娠が確認されてからは益々体調に気を遣うようになりました。机に
体がだるいのは変わりません。それに寒いと何をするにも億劫になります。
最近はもう残業をしないようにしたので仕事の能率はぐんと下がりました。以前の私は、自分がやらないといけないという使命感に燃えていました。そんな私だから同僚達に面倒な案件を丸投げされることもありました。
出来ないことは出来ない、とはっきり言うことも必要だと学びました。
その日の午後、アンリが私の執務室に転がり込んできました。またセリーヌさんたちに噂をされると思うと憂鬱でした。
「ローズ、大変だあ!」
「アンリ、お願いよ静かにして。廊下に出ましょう」
彼が勤務中に訪ねてくるなんて何事かと思いました。
「マキシム様がお帰りだぞ!」
マキシムは騎士団本部に先程立ち寄ってそのまま帰宅したとのことでした。
「アンリ、彼の姿見たの? 怪我の具合は?」
「いや、俺も勤務中だったからな、同僚に教えてもらっただけだ。でも本当だぜ、俺その足でマキシム様の直属の上司に確かめたから」
「知らせてくれてありがとう、アンリ」
「今日はもう早退しろよ」
「そういうわけにもいかないのよ……」
「文官も大変だなぁ……悪かったな、仕事中に。でも良かったじゃねぇか、ローズ」
「ええ」
「俺ってすげぇイイ奴だよな」
「アンリ……」
アンリが去った後、私は平静を装って仕事に戻ります。でも仕事が手につかないのは当然です。
定時が待ち遠しいなんてことは今までまずありませんでした。帰りに一応ティエリーさんにも報告しておきました。
「今日のお昼過ぎにマキシムさんがお帰りだそうです」
「ローズ、早退しなかったの? 早く帰って顔を見せてやれよ。落ち着いたら実家にも顔を出せって伝えておいて」
「はいっ!」
帰宅した私を執事が玄関に出迎えてくれました。屋敷に入ると居間の方からマキシムを含む男性数名の声が聞こえてきます。
「馬から落ちてこのざまか、マックス!」
「ガハハハ、お前も焼きが回ったなぁ!」
「うるせえよ!」
「お帰りなさいませ、奥様。あの、旦那様が……」
「旦那さまは王都にお帰りになったその日に友人たちを呼んで酒盛りをされているの?」
「そ、それは……」
「しょうがないわね、でも外に飲みに行かなかっただけでもましかしら!」
執事は恐縮していますが、彼のせいではありません。私は外套も帽子も脱がず、そのまま居間に向かいます。
「皆さまごきげんよう。マキシム、お帰りなさい。お怪我の具合はどうなのですか?」
マキシムは右腕を三角巾で吊っています。先程聞こえてきた声色から彼が不機嫌だということは分かっていました。友人たちはしーんと静まり返り、気まずい沈黙が流れました。
「これはこれは仕事熱心な奥様よ、負傷した亭主の分も稼ぐために益々お仕事に励んでおられるようですねぇ」
「マキシム、それは違うわ」
私たちの間の険悪な空気に
「あの、じゃあ俺達はこれで失礼致します」
「騒がしくて申し訳ありませんでした、奥様」
「オイ、誰も帰れって言ってねぇだろ!」
「マキシム、落ち着いて! 申し訳ありません皆さま、また今度の機会にどうぞゆっくりいらして下さい。私、主人に大事な話がありますので」
「お邪魔しました」
「ということで、またな、マックス」
「ゆっくり休めよ」
私たちは居間に二人残されました。マキシムはブスッとして長椅子に座ったままです。
彼は私の顔を見ようともしません。私は彼の隣に座りたかったのですが、結局向かいのひじ掛け椅子に腰をかけました。
「マキシム、あのね……」
「何だよ、お前昇進でもしたのか? やり甲斐がある仕事に燃えているから、遠征中の夫に会いに来る時間もなかったんだろーが!」
私は呆れてしまいした。マキシムはもしかして私がペンクールの街に来なかったからいじけているのでしょうか。
「仕事よりも何よりも、出来れば貴方に会いに行きたかったわ。特に怪我のことを聞いてからは、もちろん何を置いてでも駆け付けたかったわ……」
「後からだったら何とでも言えるよな。騎士が利き腕を怪我したんだ、お前が右手に怪我して筆を握れなくなるのよりももっと痛手なんだぞ!」
「どうしてそう言い切れるのよ! 私だって筆が持てなくなったら仕事にならないもの、騎士の貴方と同じだわ!」
「お前は口述して書記にでも書かせればいいだろーが! 俺の代わりに剣を振ってくれる人間は居ねえんだ!」
彼は左手でコップに残った蒸留酒を一気にあおりました。
「そんな偉そうに言うことないじゃない!」
「そもそもお前はいつも自分の仕事が一番大事で他のことは全て後回し!」
そして彼はその空になったコップを荒々しくテーブルの上に置きます。
「マックス、いじけないでよ!」
「いじけてなんかねぇ!」
「お二人共! もう少し落ち着いて下さいませ!」
モードが見兼ねたのか、居間に乗り込んできました。他の使用人達にも私たちのみっともない喧嘩を聞かれていることでしょう。
「奥さまはとりあえず外套と帽子をお脱ぎになって下さい。長靴もですわ。お部屋でお着替えになりますか?」
「モード、ごめんなさいね。貴女の言う通りだわ。そうね、まず着替えます。マックス、私たちお互い頭を冷やしてから話し合いましょう」
「俺は話すことなんてねぇ!」
「私にはとても大事な話があるのよ!」
私は外套と帽子を脱いで執事に渡し、モードと二階に向かいます。自分の部屋で普段着に着替えました。マキシムはそれでも私の部屋にすぐに来てくれました。
***ひとこと***
折角久しぶりにマキシムが王都に帰ってきたというのに……ローズは彼に伝える大ニュースもあるというのに……この夫婦は全く! モード、もっと言ってやって!
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