第二十三戦 疑惑


 実はマキシムは遠征に行きたくないふりをしているだけで、本当は羽を伸ばせるのが楽しみなのではないかと私は疑っていたのです。何度も行ったことのあるペンクールの街には恋人の二人や三人いてもおかしくないのではとも。


 でも、そんなことはどうでもよくなってきました。彼が王都に一人残される私のことを気遣ってくれたのがとても嬉しかったのです。


 彼はミシェルだけでなく、兄のティエリーさんや双方の家族にも私のことを頼んでいたのです。


 私は彼にほぼ毎日のように文を書きました。ほんの些細なことでも文にしたためました。ペンクールへは馬車で半日以上かかりますから文の返事が来るのも遅れます。


 その上マキシムはあまり筆まめな方ではありません。それでも時々来る文には私に会えなくて寂しい、休みを取って一度ペンクールまで来いと綴られています。私も行きたいのは山々でした。


 しかし最近は益々体調が悪くなり、何だか体がだるくてしょうがないのです。馬車に少し揺られるだけで気分が悪くなるようにまでなりました。仕事へは毎日行っていましたが、この寒い気候の時に旅はとても出来そうにありませんでした。


 マキシムに心配を掛けないように、王都近辺は雪深くなってきて、交通の便があまり良くないと返事をしました。




 王都は本当に本格的な冬に差し掛かり、かなり冷え込み雪も良く降るようになりました。辺りは一面真っ白です。寒さのせいか私の体調は全然良くなりません。


 モードには気分が優れないのなら仕事を休めと口を酸っぱくして言われます。でも欠勤して寝込む程ではありません。


 仕事も残業になるほどありませんが、マキシムの居ない屋敷に早く帰っても寂しいだけなので仕事で気を紛らわせることが最近は多くなりがちでした。




 その日も私は執務室に残っていました。定時で同僚は皆帰宅し、私一人でした。そろそろ帰ろうと荷物をまとめていたところでした。入口の扉が開き、人の気配がしました。


「……で、どうだったのよ? ねえ詳しく教えて?」


 女性のクスクス笑いが聞こえてきます。セリーヌさんの声でした。


「とても素敵だったわ、彼」


 もう一人の声は誰か知らない女性です。話の内容からして、そんな大きな声で言うことではないようなのですが、まるで私に聞かせるためにわざとそこで話しているような感じでした。


 ちらりと彼女たちを見ました。セリーヌさんと話している人の名前は知りませんが他の部署の一般文官です。休み時間などにセリーヌさんと一緒に居るところを何度か見かけたことがあります。


「奥さまだけがお相手だったらね、いまいち物足りないのですってぇ……」


「ああ、良く分かるわ」


 その言葉にハッとしました。彼女たちもはっきり誰と言ったわけではないですが……


「彼ってね、あの逞しい胸の下この辺りに傷があるのよね。その傷までセクシー……」


 私はドキドキが止まらなくなりました。彼女の言う通り、私の夫マキシムにも左胸の下から脇にかけて確かに傷があるのです。子供の頃ティエリーさんと遊んでいて池に落ちて出来た傷だそうです。


 母の言葉が思い出されました。


『マキシムさんは女性にとても人気がおありでしょう? 私はローズがそう言う意味で嫉妬の対象にならないか心配よ……』


 私はそこで荷物を持って立ち上がり、彼女たちの居る扉の方へ向かいます。


「お疲れさまでした。失礼いたします」


 表情一つ変えずに頭を下げて二人の間を通り抜けようとした時に、その女狐が甲高い声を上げました。


「貴女の旦那さまについて話しているのよ! お飾りだけの奥さま!」


 彼女は得意気な笑みを見せていますが、その美しく化粧が施された顔は彼女の性格が現れているのか私には醜く歪んで見えます。セリーヌさんが息を呑むのが聞こえました。


「ちょ、ちょっとナタリー!」


 セリーヌさんは流石にまずいと思ったのでしょう。一応文官として司法院に勤めているだけあって、少しは心得ているようです。如何に証拠を残さないよう、同僚にコソコソと嫌がらせをするために頭を使っているくらいですから。


 それに比べてもう一人のナタリーはちょっと軽率すぎるようです……呆れてものも言えません。


「おっしゃりたいことはそれだけですか?」


「な、何よ!」


 私はそのまま速足で去りました。彼女たちの目的は果たせました。私が精神的に受けた衝撃といったらありません。


 その後、ぼぅっと抜け殻のように帰宅した私を見たモードが医者を呼ぶと言ってききませんでした。


「モード、今はお医者さまにも会いたくないのよ。お願いよ、一人にしてくれる?」


「奥さま……」




 翌朝、私の気分は最悪でした。食欲も全くないし、吐き気までします。


「奥さま、体調が宜しくないのでしたらお休みになられてはどうですか? 毎朝のように申し上げていることですけれど!」


「モード、今日休むわけにはいかないのよ、敵の思うツボだわ!」


「はい? 敵でございますか?」


「女にはね、避けて通れない戦いがあるのよ!」


「そんなことおっしゃっても、気力だけではどうにもならないこともございます。ただでさえ私は旦那さま、ソンルグレのご両親にガニョンのご両親からも奥さまのことを頼まれているのですから……」


「大丈夫よ、今晩は伯父のところへ夕食に招かれているから残業もしないし」


 ジェレミー伯父さまのお屋敷には両親は良く行っているのですが、今晩のように私や兄妹まで呼ばれるのは珍しいです。


 その日、私は意地で全く何事も無かったかのように出勤しました。顔色が優れないのも化粧で隠してもらいました。


 セリーヌさんにも満面の笑顔で挨拶します。彼女はまるっきりの悪人でもないようです。意地悪になりきれず、良心の呵責かしゃくさいなまれている、そんな感じがします。自業自得です。


 もう一人のナタリーはもっとたちが悪そうですが、頭脳が少し足りないようです。




 昨晩私も色々考えたのです。あれだけ女癖の悪かったマキシムのことですから、こんな日がいずれは来ると分かっていました。


 でも、私だって彼との付き合いは長く、その辺りのマキシムファンの女どもより彼のことは良く知っています。


 マキシムは妻の私を悲しませるようなことは絶対しないという確信があります。


 彼がもし、浮気をするとしたら私には絶対に分からないようにするでしょう。浮気相手に私の悪口を言うことも、不倫関係を妻の私の前で得意気にベラベラと喋るような女性を相手に選ぶこともまずありません。彼はそんな人です。


 そう自分に言い聞かせているのですが、やはり昨日のあの女の言葉はかなりこたえていました。




***ひとこと***

ローズ試練の時です。マキシムは暢気に?遠征中!

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