第二十一戦 新妻

 私はマキシムの逞しい胸に寄り添い、彼の手が私の背中を撫でています。恥ずかしくて彼の顔がまともに見られません。


 でも、もしこの日が訪れることがあるならずっと言おうと思っていたことがありました。彼の顔ではなくて胸板に向かって話します。照れくさくて顔が上げられないのです。


「マキシム、あのね、私たち夫婦の営みを実行したのよね……」


「あ、ああ、ヤッたな」


「貴方のお陰で私、処女のまま人生の幕を閉じることもなくなったわ。ありがとう」


「いや……まあ……そんな感謝されるようなことでもないし……俺が昔言った憎まれ口をお前がいちいち本気にとってたとは……悪かったよ」


 そっとマキシムの顔を盗み見ると、昨日私が結婚してくれてありがとうと言った時と同じ変な表情をしていました。意外でした。マキシムが自分の非を認めています。


「私ね、貴方の何気ない一言に一喜一憂していたのよ。今でもそうだわ。それにね、私への求愛も求婚も実はお友達との賭けの延長だとばかり思っていたの」


「賭けって何だよ?」


 そこで私は舞踏会で聞いたことを彼に話しました。確かに友人の皆が悪ふざけで賭けをしていたのは本当だそうです。


「でもな、お前に求婚したのは愛しているからに決まっている。俺も心にもない悪態をつくのはもうやめるよ。まあ俺もカッとなったりすると口が滑るんだよな。それにお前がムキになって言い返してくるのが可愛くって。これからはもっと気を付ける、約束だ」


  私はそれで充分でした。


「マックス……でも貴方と他愛のない軽口を叩き合うのは楽しいわ」


「知ってる。なあ、こっち向けよ」


 そして私はもう何度目か分からない彼の熱い口付けを受けました。彼の唇が名残惜しそうに離れた後も私たちは寝台の上でしばらく抱き合っています。


「今何時くらいかしら? もうそろそろ起きた方がいいのじゃない?」


 女主人として初日からいつまでたっても寝室から出てこないのでは使用人達に示しがつかないわ……なんてことを考えてしまいます。


「何言ってんだ、お前初めてで体も辛いだろうし、昨日の式の疲れもあるだろ。朝食はここに運ばせようぜ」


 しかももう昼食と言ってもいいような遅い時間に、今まで何をいたしていたか明らかな状態で使用人に食事を運ばせるだなんて考えただけでも羞恥心でいっぱいになります。


「え、いいえ私大丈夫よ……あの、着替えて食堂に下りて行くわ。だって恥ずかしいもの」


「いいからお前はゆっくり休んでおけって。結婚式の翌朝なんてこんなもんだろーが。使用人だってそのくらいはわきまえているさ」


 私は経験が全くありませんから、こんなもの、と言われても……マキシムだって男女間のことについては百戦錬磨で経験豊富でしょうが、結婚は彼にとっても初めてなはずです。


 結局彼は呼び鈴を鳴らして侍女を呼び、朝食を運んで来るように言いつけました。呼ばれてきたモードに姿を見られるのも恥ずかしくて布団の中に隠れていました。




 私たちの結婚生活はこうして始まりました。結婚してからというもの、マキシムが夕方に帰宅する日には私も残業せずにすぐに帰り、夫婦一緒に夕食をとるようにしました。というよりも、マキシムは自分が家に帰っている時に私が不在だと機嫌が悪くなるのです。


「何よ、自分は良く飲み会や遅出の日は遅く帰宅するくせに!」


「奥さま、男性とはそんなものですよ。奥さまのことを愛しているからこその束縛です。旦那さまだって飲みに行かれても必ず日付が変わる前には帰宅されますし、今のところ午前様も外泊もありませんわ」


「それもそうね……」


 確かに婚約前はもっと頻繁に飲みに行っていたマキシムでした。




 夫婦二人とも休みの度には一緒に出掛けたり、お互いの実家も友人の所へも二人で訪れたりしました。私が結婚前に思っていたよりも、自宅でも外でも夫婦で過ごすことが多かったのです。そんな何てことのない日常がマキシムとだととても楽しいのです。


 彼はそれに加えて夜は時には優しく愛情深く、また時には情熱的に私を愛してくれます。




 ある夜のことでした。その日は私の方が先に帰宅していました。後から帰ってきたマキシムは私の部屋に入ってきます。


「お帰りなさい、マックス」


「ああ、お前また仕事持ち帰ってんのか?」


「持ち帰ったわけではないのよ。これは大事な書類だから執務室に置いて帰りたくなかったの。少し目を通していただけよ」


 マキシムは着ていた上着を脱いでいます。彼が下に着ているシャツに目が留まりました。ボタンに見覚えがあったのです。


「まあ、マックス、その白に金の模様が入ったボタンは……」


「あ、何だ?」


「私たちが初めて会った時に貴方が着ていたシャツじゃないの? ちょっと見せて……私がその時つけ直したのは二番目だったかしら……」


 私は彼のシャツのボタンを二、三個外します。


「お、おい……」


「ほら、これだわ。縫い目を見ただけで分かるわ。私が付けたボタンはまだ落ちていなかったのね! 見て、他のよりも何だか荒い付け方でしょ?」


「お前さぁ……」


「覚えていないの? マックス貴方、私のことを侍女と間違えてボタン付け直せなんて頼んだのよ」


「そりゃもちろん覚えてるさ! ていうかお前な、帰宅した旦那様にいきなり飛びついてシャツ脱がし始めたりして……ちょっと俺その気になりつつあるんだけど」


「えっ? な、何言っているのよ?」


「俺もお前を脱がせたくなった」


 マキシムの手が私のドレスのボタンにかかります。


「ちょ、ちょっと待ってったら……あぁん、いや……」


 あれよあれよという間にドレスは床に落ち私は寝台に連れて行かれました。




***




「もうヤダァ、マックス!」


 私はいつモードが夕食に呼びに来るのではないかとびくびくしていたのです。


「お前が最初に俺を脱がしたんだろーが!」


「だってボタンが……あ、そうだわ」


 私はマキシムが脱ぎ捨てたシャツを拾って改めて見ます。


「お前ホントに自分でボタン付けてくれたのか?」


「ええ。何となくね。本物の侍女に頼んでも良かったのだけど」


「刺繍以外のことが出来るとはなあ、知らなかったよ」


「確かに刺繍を含めて裁縫全般は苦手ね。侍女に見えたのは見た目だけです」


「初めて会った時には騙されたよなぁ。その次に声掛けた時もなんか素っ気なかったし。意地でもお前の正体見破ってやるって気になった」


「なによそれ!」


 私は思わず吹き出しました。それからというもの、マキシムは例のシャツを時々着ては私に脱がせるようになったのです。


「ほら、偽侍女のローズさんよ、思い出のシャツだぜ。さあ脱がせてくれよ」


「マキシムったらもう!」


 なんだかんだ言って、私はとても幸せでした。




***ひとこと***

とりあえず新婚さんらしくなってきたでしょうか?

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