第十二戦 自棄酒

 私はバルコニーに戻り、たった今聞いたことを落ち着いて考えようとしていました。手が震えてきたので、飲み物のグラスをベンチの横の小さな卓上に置き、深呼吸をします。


 まず、シャンペンを飲み干しました。私は今までお酒なんてほとんど飲んだことがありませんでした。踊り疲れた身体にアルコールが沁み渡るとはこんな感覚なのでしょうか。


 何だか馬鹿馬鹿しくなってきて怒る気も失せます。マキシムは私が彼と踊れて有頂天になっている様子を友人たちと一緒に笑っていたのです。


 こんなことだろうと思っていました。私に対して優しく紳士的なマキシムだなんて何か裏があって当然です。


 私はマキシムのためにもらった蒸留酒まで一気にあおります。喉が焼けるような感じでした。


「ゴホゴホッ、こんなものどこが美味しいのかしら、分からないわー。ああ、何もかも分からないわ!」


 もうどうでもよくなってきました。マキシムや友人が私を賭けの対象にしているならそれも結構だわ、という気になっていました。


「マックスのバカ! どこからでもかかって来なさい! 貴方だけしか目に入らないフリをして、最後の最後には手の平返してやるんだからぁ! ウッフフフ」


 独り言というよりも叫びに近かったかもしれません。私は酔うと陽気になる質のようでした。




 そしてマキシムは私のところへ戻ってきました。


「ローズ、悪いな遅くなって」


「お気になさらず、マキシムさま♡」


「ローズ?」


 ニコニコしている私を彼はなんだか不審に思っているような顔で私の隣に座りました。


「改めて貴方の礼服姿を遠目に見ていたの。良くお似合いよ。制服姿は見慣れていますけどね」


「そ、そうか?」


 マキシムは照れているのだか、何だかはにかんでいます。そして私の片手を取ると私の方へにじり寄ってきました。しばらく私たちは見つめ合っていました。


「ローズ……」


 マキシムが私の頬に手をあて、彼の顔が近づいてきたと思ったら唇に口付けられていました。何度か触れるだけの軽いキスでした。


 マキシムの唇が私から離れ、彼の精悍な顔が私の目の前にあります。彼の薄茶色の瞳に見つめられると、その魅力に私は軽い眩暈めまいがしてきました。


「マックス? 今私にキス、したわよね?」


「あ、ああ、したな」


たなくてえてしまう私が相手でもキスは出来るのね……流石守備範囲が広大なマキシム・ガニョンだわ……それとも賭けだから?)


 私はそんな下世話なことを考えながら自分の唇にそっと触れてみます。


「ねえ、もう一回して? 気持ち良かったから」


 自分が自分で信じられません。私はマキシムを見上げて彼の胸にそっと両手を当ててそんなことをおねだりしています。これは本当にこのローズ・ソンルグレの言葉なのでしょうか?


 ほら、マキシムだって驚いて目を見開いています。そして彼は私の一番好きな嬉しそうな笑顔を見せました。普段なら彼が私にそんな顔を向けることはまずないのです。


「おう、何度でもしてやるよ」


 そして私は彼にしっかりと抱き締められ、再び唇を奪われたのでした。今度は何度も角度を変え、激しく口付けられました。


 私はお酒に酔っているのだか、彼のキスに酔っているのだかもう分かりません。


「お前、何か飲んだろ? もしかして蒸留酒か?」


 唇は解放されましたが、私は今もマキシムの腕の中にいます。


「ええ、ほんの一杯だけよ」


 どうして分かったのでしょうか。私は微笑んで彼を見上げます。


「一杯だけってなぁ……今までろくに酒飲んだこともないだろうが、お前」


「大丈夫よー、ねえそれよりもっとキスしましょうよ、マックスー」


 全然大丈夫じゃないです、私はなんと彼の首に両腕を回しこんな大胆なことを……後で思い出すだけでも恥ずかしいです。


「お前、酔うとキス魔になんのか? そりゃいつもに増して可愛いけど……でも危なっかしいんだよ!」


 それから私はマキシムに支えられ引きずられるようにして私の家族のところまで連れて行かれ、我が家の馬車に押し込められました。


「まあ、ローズ!」


「マキシム、君ローズにどれだけ飲ませたの?」


 彼が父に責められ、母からは無言で睨まれています。


「おとーさま、私自分で飲んだのれす」


「ち、誓って私が飲ませたのではなくて……えっと私が少し目を離した隙に……大変申し訳ありません、侯爵夫妻」


 そして私は家族と一緒に帰宅しましたが、馬車の中で嬉しそうに笑いながら寝入ってしまったそうです。家族には呆れられてしまっていました。




「うぅー……イタタタ……」


 翌朝、私は頭痛と共に目覚めました。


「うぇ……気持ち悪っ」


「気持ち悪っ、ではございません、お嬢さま!」


「あ、モード、お早う……」


「侯爵令嬢ともあろうお方がぐでんぐでんに酔っ払ってご帰宅とは!」


 モードがコップに入った水を差し出してくれます。


「モ、モード、そんな大声出さないでよ……」


「声を荒げたくもなりますわ! 私はお嬢さま付きの侍女として恥ずかしいです!」


「あの、私そんな醜態をさらしていたの?」


「私は詳しいことは存じません! 昨晩上機嫌でご帰宅され『モードォ! 帰りましたぁ! お休みっ!』とおっしゃってそのまま寝台に倒れ込まれて! 私がドレスを脱がせるのにどれだけ苦労したか!」


「ご、ごめんなさい……もう少し小さな声で話してくれる?」


「お嬢さまが飲み過ぎるだなんて……そんな無茶をなさるなんて私は信じられません」


「実はね、昨晩マキシムとその友人たちが……私がマキシムのダンスの誘いに乗るかどうかで賭けをしていたのを聞いてしまったのよ」


「それで自棄酒ですか?」


 モードは先程とはうって変わって心配そうな表情になりました。


「ええ、まあそんなところよ……次回からは気を付けます……」


「酔っ払った上でまたガニョンさまと喧嘩されたのですか?」


「いいえ。昨晩はマキシムがやたら優しいから勘違いするところだったわ……賭けだなんて、そんな事だろうとかえって納得よ。何だかもう彼に対して怒るのでさえ馬鹿馬鹿しくなってしまって」


「お嬢さま……」


「強い蒸留酒を一気にあおるなんて私も反省しています。でも、そのお陰でウキウキした気分になったわ……だからその後もマキシムと喧嘩には発展しなかったのよ」


 私はそこで彼との口付けを思い出して赤面してしまいます。


「理由は何であれ、飲み過ぎは厳禁ですよ、お嬢さま。もう少しお休みになりますか?」


 モードは私の顔が赤くなったのをどう勘違いしたのか、それ以上は何も言いませんでした。


「そうしたいところだけど、でももうこんな時間だからいつまでも寝ているわけにはね。起きて着替えるわ」


 モードに朝食はどうするか聞かれますが、食欲などあるはずもありません。普段着のドレスに着替えて、水をもう一杯飲んだところでした。


 部屋の扉を叩いて父が入ってきました。


「僕の酔っ払い姫はもう起きたかな?」




***ひとこと***

二人の仲は進展したと言ってよいのでしょうか?

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