第八戦 嫉妬

 我が家の庭で、私たち三人はマキシムと対峙しています。ニヤニヤしているティエリーさんに対してマキシムは不機嫌そうです。


「兄上、ご無沙汰しております。ローズ、お前も遂にドブネズミドレス卒業か?」


 私は今晩お客さまがあるというので地味ではありますが、臙脂えんじ色のドレスです。


「まあ、ご挨拶ね。でも、ドブネズミ状態でなくても私だとお分かりになって下さって嬉しいですわ、マキシムさん」


「ローズ、あまりムキにならなくっても……」


 私たち二人の間に火花が散っているのが見えたのかどうか、ギヨームは不安げです。


「兄なら二階の自室だと思いますわ、それでは。ティエリーさん、ギヨーム、参りましょうか」


 ティエリーさんやギヨームの前でのドブネズミ発言には私は流石にカチンときました。


「じゃあまた後でな、マックス」


 ティエリーさんは私の腰を抱くようにして庭の奥へ向かいます。ゆったりと構えて微笑んでいるティエリーさんに対し、隣について来ているギヨームが益々不安そうな顔になっているのが分かりました。


 久しぶりに見たマキシムは日に焼けて精悍さが増していました。そんな彼の姿を見て私はドキドキしてしまいました。私に憎まれ口しか叩かない彼にはそんなことは決して知られたくありません。




「ねえギヨームはご家族と今度の舞踏会に参加するの?」


「うーん、多分両親と妹だけかな。アンリと僕は行かないと思う」


「アンリは来るのじゃない? 男性の方が少なくなりそうね、そんなことでは。うちの兄も行かないそうよ。私と妹と両親だけ」


「御両親と行くの、ローズ? だったら私に君のエスコート役を務めさせてもらえるかな?」


「まあ、ティエリーさん、よろしいのですか?」


「えっと、僕席を外した方がいいですか?」


「いや、いいよギヨーム」


「そうよ、貴方もここに居てよ」


「お邪魔かと思いましたので……でもお二人がそうおっしゃるなら」


「全然構わないわよ、ギヨーム。あの、ティエリーさんはもしかして父に何か言われたのですか?」


 最近の父はどうも私に男性を引き合わせようとしているように見えるのです。ティエリーさんは益々楽しそうな表情をしています。


「君には敵わないね、ローズ。お父様は何もおっしゃらなかったと言えば嘘になるけれども、私だって誘いたくない女性に声を掛けたりしないよ」


 ティエリーさんなら引く手あまたでしょう。彼は見た目も性格も良いし、次期伯爵で文官としても優秀な方です。私も紳士的なティエリーさんとなら舞踏会も楽しめるかも、と思いました。ダンスが苦手な私のことも優しくリードしてくれそうです。


 マキシムだって出席することでしょう。彼は賑やかな場に出るのが好きな人ですから。そして私が父にエスコートされているのを見たら、きっと私のことを揶揄からかうに違いありません。舞踏会に行く相手も居なくて父親と一緒なのか、と。


 ティエリーさんと一緒なら胸を張ってあのマキシムの鼻を明かせる、という打算がふと頭をよぎりました。


「喜んでお受けいたしますわ、ティエリーさん」


「本当にいいの、ローズ? あ、いえ僕は別にティエリーさんがお相手では駄目と言っているわけではなくてね……」


「いいのだよ、ギヨーム」


 ティエリーさんはギヨームに何か目配せしています。何なのでしょうか、この二人は。


 そしてその後は三人で他愛のない話をしながら庭を散歩し居間に戻ると、父に部下の方たちに兄やマキシムまで揃って食堂に移動していました。その日の夕食は大人数でいただきました。マキシムは我が家に入り浸っているにしては夕食をここで取ることは珍しいのです。


 男性陣は固まって座り、私は母と妹と三人で食卓の隅に座りました。


「お母さま、マルゴ、私ティエリーさんと舞踏会に一緒に行くことになりました」


「まあ、お姉さま……」


 母は何も言わずに微笑んでいるだけです。


「ええ、私もティエリーさんならと思ってお誘いを受け入れたわ。でも私が最初に踊るのはお父さまよ」


「私は予定通りお父さまとご一緒しますわ。お父さま以外の人と踊るのもちょっと……」


「そうね、ギヨームは多分行かないって言っていたけど、アンリは来るかもね。彼と踊ったら?」


 マキシムが出席ならアンリは絶対来ることでしょう。マルゴだって気心が知れている従兄となら踊れると思うのです。


「アンリですか? ガキのお守りはご免だ、なんて言いそうですわ」


「だったらエティエン王太子殿下やトーマ王子と踊ってもいいのじゃない?」


「まあ、お姉さまったら。特にトーマ殿下なんて引く手あまたで、従妹の私と踊っている暇などありませんわよ」


 マルゴは別に内気なわけでもないのですが、将来の旦那さまを舞踏会で見つけるという気はこれっぽっちもないようです。


「お母さまはお父さま以外の方と踊りますか?」


「いいえ。陛下やお兄さまが誘って下さったらきっと踊りますけれど、私はお姉さまとお喋りすることになると思うわ」


 先程庭から戻って来た時からマキシムの視線をビシバシと感じます。彼が私を睨む理由が分かりません。髪が崩れているとかドレスのボタンが外れているとかでもないようです。


 食事が済むとお客様は次々と帰宅されます。私も自室に引き取ろうかと階段を上ろうとしたところにマキシムに呼び止められました。


「よお、お前な、いつの間に文官男子をはべらせるようになったんだ?」


「しぃー! マックス、何大声出しているのよ! まだどなたか残っていらっしゃるかもしれないじゃないの、失礼よ!」


「そうだぞマックス、帰るぞ。全く私が少し目を離した隙に……早く帰宅して父上と母上にきちんと顔を見せろ!」


 そしてティエリーさんに引きずられるようにして彼も帰って行きました。何なのでしょうか、一体。彼だってもういい大人なのに、ティエリーさんも大変です。




 舞踏会が次の週に迫ったある日、私はティエリーさんに歌劇を観に行こうと誘われました。以前から観たかった演目でした。実は両親と妹の四人で行く予定だったのです。しかし妹のマルゲリットが行かないと言うのです。


「私ちょっと悲恋ものは……観たい気分ではないのです……ですから三人でどうぞ」


 確かに身分違いの男女の物語で最後二人はこの世では結ばれません。父も母もマルゲリットがそんなことを言い出すので、行く気をそがれたようでした。


 兄は女子向け内容の歌劇なんか観に行かないと最初から辞退していました。


 そんな時丁度ティエリーさんに誘われたので二つ返事で承諾しました。妹や家族に遠慮せずにその歌劇が観られるということが純粋に嬉しかったのです。


 良く考えてみれば家族や親戚以外の男性と二人で出掛けることなんて私にとっては初めての経験でした。でも紳士的で大人なティエリーさんなら、誰かさんのように顔を合わせている間中言い争いになることもないですし、嫌な気分にさせられることも、劣等感をあおられることもないでしょう。


 私は楽しみでしょうがありませんでした。




***ひとこと***

大変ですよ、マキシムさん。うかうかしているうちにローズは歌劇に舞踏会にとティエリーさんとの予定を入れています。

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