第六戦 遠征

 翌朝の私は気分も最悪で、あれだけ泣いた後で目の周りもれてしまっていました。モードに持って来てもらった氷嚢ひょうのうも効いていません。


 朝食の席では幸いなことに家族には何も聞かれませんでした。でも彼らには私がマキシムと口喧嘩の末に泣いていたことも全て知られていたのです。


 ありがたいことに家族皆、私の気持ちを尊重して何も言わずにいてくれました。私はもし今日もマキシムが兄を訪ねて来るのだったらなるべく顔を合わせたくありませんでしたので、両親に告げました。


「お父さま、お母さま、私今日は放課後学院の図書室で勉強して帰ります。あまり遅くならないようにしますから」


「そう。じゃあ僕が仕事帰りに迎えに行くよ。まだまだ日も短いからね」


「よろしいのですか? じゃあお言葉に甘えてお迎えを待ちます」




 そしてその日私は授業の後、図書室に行ったのですが勉強に身が入りません。本をパラパラとめくってはため息ばかりついていました。


「だめね、ローズ。こんなことでは……」


 自分に喝を入れ、来週初めに提出する課題に集中します。無心になって課題を終わらせることにしました。


 課題が終わりかけた頃に図書室に入ってきて、私を書架の陰からそっと見つめている人物には全然気づいていませんでした。


 課題が済んだ時には外は既に暗くなりかけていました。そろそろ父が迎えに来てくれる時間でした。


 本を片付け荷物をまとめ、いつも待ち合わせている正面玄関へ行くことにします。実は私は暗闇が苦手です。図書室を出て薄暗い学院の廊下を急ぎ足で歩きます。


 その時私の後ろから足音が聞こえてきました。怖くて振り向けない私は思わず小走りになりました。そうするとその人物も私の後ろから走って追いかけてきます。


 暗い誰も居ない廊下で人に追いかけられているこの状態に涙が出てきそうになりました。


(ちょ、ちょっと、どうして!?)


 私より足の速いその人物に遂に追いつかれそうになりました。


「おい、待てよ!」


 恐怖で私はその人の声も聞き分けられず、それと同時に腕を掴まれ悲鳴を上げてしまいました。


「キャー! だ、誰?」


「誰じゃねぇだろーが!」


 やっと私はそれが誰か分かりました。


「マ、マキシム! こ、こんな人気のない校舎で何をなさっているの? あ、分かったわ、逢引ね? 人には言えない仲なのでしょう、でも安心して! 私口は堅いから。それに貴方もいつもおっしゃるように、悲しいことですけれど、一緒に噂話をする友人も大して居ないし! 大丈夫よ、貴方の秘密は守られるから!」


 私は悲鳴を上げたことが恥ずかしくてマキシムに向かってまくし立てました。そうでもしてないとその場にへなへなとへたり込んでしまいそうでした。


 マキシムのお相手がどなたか知りませんが、人の道に外れている間柄なので、こんな人の居ない所で逢っているに違いありません。


「んなわけねぇだろーが! お前の親父さんは急な仕事で遅くなるらしいし、ナットも何か用事を思い出したとかで俺が代わりにお前を迎えに来たんだよ!」


「えっ? 私を……貴方が迎えに?」


 なんでまた、と聞きそうになりましたが、それ以上無駄口を叩くのはやめました。マキシムが来てくれたのが純粋に嬉しかったのです。


「ナットのように瞬間移動出来なくてすまねえな」


「あ、いえ……あの、ありがとう……」


 馬車でも徒歩でも屋敷に着くまで彼と一緒に居られるということです。兄となら時々瞬間移動で帰宅しますが、一瞬で家に帰りたくない私は彼が魔術師でなく騎士であることを神様に感謝していました。


「おい、その重たそうなかばん寄こせ。分厚い本を山ほど詰め込んでんだろ」


「はい?」


「それから、ほら」


 手を繋げということでしょうか、彼が空いている方の手を差し出してくれました。私は黙ってその手をとりました。


 初めて触れる彼の手は、剣だこでごつごつした大きくて温かい手でした。私の屋敷まで二人で歩いている間、何か話そうとしましたが、なんとなく沈黙の方が心地良かったので何も言いませんでした。


 時々街灯に照らされた彼の端正な横顔をこっそり見上げては一人微笑んでいました。


(マキシムと手を繋いで帰った、なんてアンリに知られたら大騒ぎになるわね……『ローズゥ、マキシム様と手繋ぎ下校だとぉ! 抜け駆けだぞぉ!』なんて泣き出しそうだわ……)


 そんなことを考えるとその微笑みはクスクス笑いに変わってしまいます。


「何笑ってんだよ」


「いえ、何も可笑しくないわ……ただね、ううん、何でもないの。私実は暗闇がすっごく苦手で怖くて、先程は悲鳴を上げてしまってごめんなさい」


「俺も追いかける前に声掛ければ良かったんだよな。お前があまりに速く走って逃げるから……」


 昨日の今日でこうして再び彼と普通に話せるようになったことが信じられません。嬉しくて、思わず自分が実は暗闇が怖いという弱みをさらけ出してしまいました。


「まだ小さかった頃にね、家族でピクニックに行った時のことよ。兄と妹は森の中の洞窟探検に勇んで出かけるのに私だけ及び腰でね。でも一人で待っているのも嫌だったから一緒に行ったのはいいけれど、途中で私が泣き出してしまって。しょうがなく私と引き返さないといけなくなった二人は足手まといな私に対して少々不機嫌になっていたわ」


「お前なあ、妹よりも怖がりだったのか?」


「だってマルゴは暗闇も高い所も毛虫も何も怖いものなんてないのよ、あの正にか弱い貴族令嬢的な外見によらず。私なんてどれも苦手なのにね」


 マルゲリットの方がよほど女の子らしい見た目なのは事実です。


「まあ不得手なものなんて人それぞれだろ、外見は関係ねぇよ」


 今日はマキシムも休戦協定に同意してくれているのでしょうか、いつになく口調も何もかもが穏やかです。


 それから屋敷に着くまでは他愛のないお喋りが続きました。


 明日か明後日には彼はまた西端の街へ行ってしまいます。喧嘩別れして彼が居ない間私だけ悶々としているという事態は避けたかったのでほっとしていました。


 マキシムとは屋敷の玄関の前で別れました。


「マックス、送ってくれてありがとう。あの、遠征気を付けて行ってきてね……」


 彼の眼差しが珍しくあまりにも優しいので、貴方が居ないと寂しいわ、と思わず口が滑りそうになりました。


「ああ、楽しみだなー、しばらく存分に羽を伸ばせる。じゃあな」


 彼は軽く手をひらひらさせながら去って行きました。


 マキシムのような独身の身軽な騎士にとって遠征とは楽しいものなのでしょう。確かにペンクールは国境近くで旅人も多く栄えている街です。娯楽も多いでしょうし、規則だらけの王宮勤めよりも気楽なのは分かります。


 私はマキシムのその後姿が見えなくなるまで見送りたかったのですが、ひょっと彼が振り向くと何だか気恥ずかしいのでさっさと屋敷に入りました。




***ひとこと***

無事に仲直りです! でも手繋ぎ下校のことはアンリ君には絶対内緒ですよ!

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