愛情

第五戦 挑発

― 王国歴1049年初秋-1050年春


― サンレオナール王都




 私は学院の最終学年に進みました。人一倍勉強していた私ですから本当は科目数も十分足りており、一年早く卒業しようとすれば出来ました。


 私の尊敬する父も飛び級して卒業していたので、私も早く父に追いつきたいという気持ちも大きかったのです。でも父は反対でした。


「僕は事情が事情でなるべく早く王宮に就職する必要があったけれど、ローズ姫はもっとゆっくり学院生活を楽しんで欲しいね」


 長椅子で父の隣に座っている母も同じ意見でした。父は母の腰をしっかりと抱いています。


「そうよローズ。貴女はお父さまみたいに急ぐ必要もないのですから。同級生のお友達と一緒に卒業する方がいいわよ」


「そうでしょうけれど……」


「僕のように年上の愛しい女性に見合うような大人にならないと、という焦りもないしね」


「アントワーヌったら……」


 そこで二人は向かい合ってお互いを熱い眼差しで見つめます。父は母よりも五つ年下です。今となってはその歳の差も気にならないのでしょうが、彼らが十代の頃はとても大きい差だったのです。


 その上、父は男爵家出身で侯爵令嬢だった母とは身分差もありました。そして母は貴族学院卒業後にすぐ最初の夫となるラングロワ侯爵に嫁がなければいけませんでした。


 それでも数ある障害を乗り越えて結ばれた二人は私たちの前でも、いくつになってもアツアツでラブラブなのです。私は夫婦というものはどこもこんなものなのだと小さい頃は思っていました。


 とにかく、学院の最終学年に上がる前に飛び級について私は両親に何度か相談しましたが、いつもこのようにやんわりと諭されていました。それでも最終学年に上がって、ミシェルやアンリといった友人たちと学院最後の年を過ごすのも悪くないなと思うようになりました。




 ある日のことでした。その日も屋敷に来ていたマキシムと私はいつものように言い合っていました。兄もその場に居ましたが、彼はまず口を挟みません。呆れて放っておかれているのです。


「よお、将来のオールドミスさん」


「そういう貴方はそのうち女に刺されるわよね」


「だからそんな遊び方してねぇって。お前こそ男友達どころか女の友達でさえいねぇくせに」


「そうおっしゃるマキシムさまは老若男女問わず幅広く八方美人でいらして……」


「何だよ、老若男女って! 俺そこまで守備範囲広くねぇっつーの!」


「それでも標準よりは広い方でしょう」


「だから違うっつってんだろーが!」


「どうだか」


「お前な『私に釣り合う男性は私よりも頭が良くて財力もあって社会的地位も……』なんて言っているからいつまで経っても彼氏も出来ねぇし縁談もねぇんだよ」


「私がいつそんなことを申しました? まあ、それでも貴方みたいに手あたり次第来るもの拒まずよりはましですわ!」


「いつもいつもああ言えばこう言う、毒舌ばっかり。お前は黙っていりゃあそこそこ可愛くないこともないのにさ……あぁ、つもんも勃たねぇ、える萎える!」


 私はマキシムのその言葉に流石に目を見開きました。私が彼の恋愛対象から大きく外れていることは百も承知です。でも、そこまで言われると……


「そうですわね、自分の意見も何も言えず、反論もしなくて、大人しくて口は開かず股だけ開く女性が貴方はお好みなのですね!」


 我ながらカッとなって少々下品なことを言ってしまいました。兄が息を呑んだのが分かりました。


「そこまで言ってねぇだろうが! お前はいちいち一言多いんだよ!」


「あのさ、二人ともそろそろいい加減に……」


「ええ、要するに私が居ると目障りで耳障りなのでしょう? お望み通りさっさと失礼致しますわ!」


「ああ、とっとと消え失せろ!」


 私はきびすを返して居間からゆっくりと歩いて出て行きました。二階への階段を上りきって、彼の視界から見えなくなったところから自室に駆け出しました。悔しさで涙が零れました。そのまま寝台の上にうつ伏せになってわんわんと声を上げて泣きました。


「うぇーん、マックスのバカァ! そこまで言うことないじゃないのよ!」


 気分は最悪です。彼に益々嫌われたに違いありません。酷く落ち込んでしばらく浮上出来そうにありません。彼にあれだけ断言されると、元々なかった女としての自信も更になくなりました。


「私もバカバカ! マックスはもうすぐ西端の街に行ってしまうのにぃー! ぐすんぐすん……」




 しばらくして侍女のモードが様子を見に来ます。


「お嬢さま、お坊ちゃまが心配されていますけれど……それにガニョンさまがお帰りになるそうです……」


「お兄さまには何も言わないで、もちろんマキシムにも……別に私は見送りに行かなくてもいいじゃない。それにこんな顔では到底出て行けないわよ……」


 モードの顔を見るとまた涙がボロボロと出てきました。涙を拭うためにモードがハンカチを手渡してくれます。


「あのねモード、手間を掛けて申し訳ないのだけど、夕食は簡単なもので良いからここに運んできてもらえるかしら?」


「まあ、お嬢さま」


「本当は食欲もないのよ。でも食事をしないなんて言うとお父さまがお医者さまを呼ぶに決まっているし……」


「そうでございますね」


「私は課題で忙しいということにしておいてね」


 こんなバレバレな言い訳でもないよりはましだと思いました。




***




 その頃、階下では両親と兄がこんな会話をしていたことを私は知る由もありませんでした。


「またローズとマックスの二人がひどくやり合って喧嘩別れですよ」


「何があったの?」


「何も。いつものしょうもない口喧嘩です。売り言葉に買い言葉で」


「僕のローズ姫に対して口の利き方を知らないのか、彼は? 今度姿を見かけたら一言ガツンと言ってやる」


「僕はどっちもどっちだと思いますが……」


「そうよ、アントワーヌ。貴方がしゃしゃり出てどうなさるの。放っておきなさい」


「ええ。マックスなんて王都に帰ってくる度に理由をつけては真っ先に僕を訪ねて我が家にやって来るのはローズに会いたいがためですよ。僕とは王宮でも会えるのですから」


「喧嘩する程仲が良いのよね、二人は」


「母上のおっしゃるとおりです。彼、あちこちで女性に声を掛けられるし、自分からも声を掛けていますけれどね、ローズに対する時だけですよ、言葉遣いもくだけて本音で喋っているのは」


「でしょう?」


「とにかくね、ローズ姫を泣かせる男は許せないよ、僕は!」


 そう息巻く父に母と兄は呆れて視線を交わし合っていたそうです。




***ひとこと***

アントワーヌはすっかり心配症なお父さんです。

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