馴初め

第一戦 不行跡

― 王国歴1046年 初春


― サンレオナール王都




 私の名前はローズ・ソンルグレです。ソンルグレ侯爵家の長女で、五つ上の兄ナタニエルと二つ下の妹マルゲリットが居ます。


 私は常々思うのです。三人兄弟の真ん中なんて損な役回りだな、と。兄は十代半ばの難しい年頃に荒れていて家出を繰り返していたし、末っ子の妹は甘え上手でこの子はこの子で好きな事ばかりしていて……真ん中の私は両親の言いつけはきちんと聞く優等生にならざるを得なかった……そんなところです。


 兄も妹も母親似でそれは美しい金髪を引き継いでいました。私はというと、大好きな父と同じ茶色の髪に茶色の瞳で、自分の外見は嫌いではありませんでした。でも、他の二人に比べるとどうしても私は見劣りがします。


 ローズという名前もそのまま華やかな大輪の薔薇をイメージされても……私はこんな地味な子なので名前負けとしか言いようがありません。


 見た目でだけで言うと私の方がよっぽど素朴なマルゲリットひなぎくで妹の方が華麗なローズばらと呼ばれるに相応しいのでした。


 私は勉強だけは得意だったので、初等科の頃から将来は尊敬する父と同じ文官として働きたいと思うようになっていました。父はペルティエ男爵家の次男として生まれ、貴族学院で優秀な成績を修めて高級文官として王宮に就職しました。その後職場の上司だったソンルグレのお祖父さまのところに養子に入り、今はソンルグレ侯爵を名乗っているのです。


 私は貴族学院に上がって年頃になってもおしゃれなどせず、日々机に向かっていました。別におしゃれに興味がないわけではないのです。自分には華やかなドレスなど似合わないと思うのです。


 美しい洋服を着ていると勉強中に袖周りが墨で汚れるのです。ですから私は屋敷ではすぐに洗える綿のドレスばかり着ています。色も紺や灰色や茶色という汚れの目立たない色が私の普段着として定着していました。髪も邪魔にならないようにいつもひっつめてまとめています。




 私が十四のある初春の午後のことでした。私はその学期、魔術理論の科目をとっていました。魔術師として働いていた兄のナタニエルに授業内容で質問があったので屋敷内で彼を探していました。


 兄が在宅していることは知っていました。一階でレモネードを乗せたお盆をもった侍女に尋ねると、庭の東屋にそれを持って行くように兄に言われたとのことでした。


「じゃあそのレモネードもお兄さまのところに私が持って行きましょう」


「え、そんなお嬢さま、いけませんわ」


「気にしないで。ついでですから」


 東屋に近付くと兄ともう一人、男の人の声がしていました。庭で球を蹴って遊んでいるようでした。


(お客さまとお楽しみのところ邪魔をしても悪いから……お兄さまには夕食の時にでも質問することにしましょうか……)


 私がお盆をテーブルの上に置き、母屋に戻ろうとしたところ、兄と同年代の男の人がこちらにやって来ます。


「丁度喉が渇いたところだったんだよな。ねえそこの君、シャツのボタンが一つ落ちかけてるんだよ、つけ直してくんない?」


 そして彼は私の目の前でシャツを脱ぎ始めます。私は目をパチクリさせました。ボタンをつけ直せ、ということは……そして気付きました。


 レモネードを運んできた、普段着の質素な紺の綿のドレスを着ている私は侍女と間違われたのです。私はこの年頃の貴族令嬢にしては珍しく髪もひっつめています。ナタニエルの妹だとは思ってもいないのでしょう。


 汗の滴る彼の美しい濃い金髪は華やかで、吸い込まれるような瞳に逞しい胸板……すべてが眩し過ぎてあまり見つめ続けることが出来ませんでした。慌てて目を伏せます。


 彼だって悪気があって間違えたわけではないのでしょうから、ここで恥をかかせるよりは大人しく侍女のフリをします。


かしこまりました。執事に預けておきますので、お帰りの際に彼にお尋ねください」


 シャツを受け取り頭を下げ、再び頭を上げた時にもう一度上半身裸の彼の姿が目に入ってきました。爽やかな笑顔と一瞬だけ目が合い、再び目を伏せました。


「じゃあ頼んだよ」


「マックス、いつまで休憩してるんだ? 早く来いよ」


 兄が彼を呼ぶ声がし、彼は戻って行きました。


(お兄さまも恰好いいけれど、このマックスという方には何だか危険な美しさがあるわね……)


 心の中でほうっとため息をつきました。兄が家に呼ぶくらいですからよほど親しいお友達なのでしょう。ということは兄の出自など気にせず、彼自身を見て付き合っている本当の友人なのです。


 兄は母の最初の結婚の時に生まれました。彼の実父ラングロワ元侯爵は麻薬栽培などの罪で捕らえられ、獄中で亡くなっているのです。


 ですから兄は学院でいじめに遭ったり、難しい年頃には両親、特に継父である私の父に反抗したりと兄も両親も色々大変だったのです。でも今は兄も落ち着いて、私たちは再び仲良し一家になりました。




 さて、彼の取れかけたボタンは本物の侍女に頼んでも良かったのですが、何となく私が自分でつけ直しました。私も裁縫は苦手な方で、簡単な刺繍くらいしか出来ません。ボタンなら何とかなりました。


 もう一度彼に会いたいなと思いながらも、あまり出しゃばるのも良くないかと、シャツは執事に預けました。その日の夜、よほど兄にあのお友達はどなたと聞きたかった私でした。けれど私が侍女と間違われたと知ると、兄は彼をとがめることでしょう。彼のせいではなく、私が地味なのが悪いのですから……




 その後すぐにその方と再会することになりました。ある日彼を偶然学院の食堂で見かけたのです。彼は兄より一つ年下でまだ学生でした。


 私の後ろに座っていた女子学生たちが噂をしていたのが耳に入ってきました。


「まあ、今日はマキシムさまのご尊顔が拝見できたわ!」


「え、どこ? あ、食堂に今入って来られたのね。彼っていつ見てもス・テ・キ♡」


「周りのむくつけき男どもが霞んで見えるわね、全く」


「私も一度でいいから彼にもてあそばれてみたいわぁ!」


 そう言えばあの彼のことを兄がマックスと呼んでいたわ、とぼんやり思い出していました。そして食堂の入口に顔を向けると彼が居たのです。このキャーキャーとうるさい女子達の言うマキシムさまと同一人物のようです。


 彼は数人の友人達と一緒でした。皆、騎士科の稽古着を着ています。確かに、彼はご友人達の中でも抜きんでて秀麗な人でした。


「私もお相手がマキシムさまなら……でも、一応貴族の端くれとして純潔は将来の旦那さまの為にとっておきたいの!」


「大丈夫、処女のふりなんて簡単よ、貴女! バレるわけないわ!」


 呆れてしまいますが、貴族学院に通う子女なんてこんなものです。


「え、それでも……」


「どうしてもっていうならね、マキシムさまに第一章だけでってお願いすればいいのよ!」


「何よ、それ?」


「清い身体のままお楽しみさせてくれるのよ、本番行為はナシだけど、天国を見させてくれることは間違いなし!」


「キャー!」


「私は第二章まで行っても全然オッケーよ!」


「そうね、マキシムさまだったら女の子をはらませるなんてヘマしないわよねー」


 聞いていられません。別に彼女たちをはしたないと責めるつもりもありませんが、兄の親しい友人には少々幻滅しました。でも納得です。そんな浮名を流している方だからこそ、私のような地味な外見の女は侍女に見えたのでしょう。


 彼は学院では有名人だったのです。私はそんな噂などには興味もなく、疎い人間でしたから今まで全然彼の存在など知りませんでした。


 彼はマキシム・ガニョン、ガニョン伯爵家の次男で騎士科の最終学年で学ぶ十八歳ということ、彼の武勇伝などの情報をその女子学生たちの話から得ました。




***ひとこと***

シリーズ作の殆どに出てくる小道具の問題作『淑女と紳士の心得』ここでも出てきました。サンレオナール王国庶民の間でのベストセラー、ねやでの技術を磨くための本です。第一章は女性の純潔を損なわないで楽しむ方法、第二章は基本的には何でもありで、女性が身籠みごもらないようにする方法などもあり。第三章は紳士と紳士バージョン、第四章はなんと淑女と淑女なのです。

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