第6話:戦時中の船不足で大儲け
このやりとりの一部始終を見ていたジェームズ加藤は、驚いた様に、
浅野総一郎に真っ向勝負で立ち向かって自分のペースで売買契約を
決めるなんて、安田亀吉さんは、さすが、原善三郎さんが惚れ込んだ
だけのことはある商売人だと驚いた。
その後1911、1912。1913年と毎年、大きな船の係留費用
や職員の給料を払って赤字だけが膨らんできた。たまらず、奥さんの
安田衣子が、あんた本当に戦争が起きて船が足りなくなるのかいと
疑い出し始めた。そんな1914年があけて1914年6月28日、
ユーゴスラヴィア民族主義者の青年ガヴリロ・プリンツィプが、
サラエヴォへの視察に訪れていたオーストリア=ハンガリーの帝位継承者
フランツ・フェルディナント大公を暗殺した事件だった。
これにより、オーストリア=ハンガリーはセルビア王国に最後通牒を
発するという七月危機がおこった。各国政府および君主は開戦を避ける
ため力を尽くしたが、戦争計画の連鎖的発動を止めることができず、
瞬く間に世界大戦へと発展した。
そして、それまでの数十年間に構築されていた各国間の同盟網が
一気に発動された結果、数週間で主要な列強が全て参戦した。
まず7月24日から25日にはロシアが一部動員を行い、28日に
オーストリア=ハンガリーがセルビアに宣戦布告すると、ロシアは30日
に総動員を命じた。ドイツはロシアに最後通牒を突き付けて動員を解除する
よう要求、それが断られると8月1日にロシアに宣戦布告した。
東部戦線で人数的に不利だったロシアは三国協商を通じて、同盟関係
にあるフランスに西部で第二の戦線を開くよう要請した。1870年の
普仏戦争の復讐に燃えていたフランスはロシアの要請を受け入れて
8月1日に総動員を開始、8月3日にはドイツがフランスに宣戦布告した。
独仏国境は両側とも要塞化されていたため、ドイツはシュリーフェン・
プランに基づきベルギーとルクセンブルクに侵攻、続いて南下して
フランスに進軍した。しかし、その結果ドイツがベルギーの中立を侵害
したため、8月4日にはイギリスがドイツに宣戦布告した。
こうして第1次世界大戦がヨーロッパで起こった。
一方、安田家では1914年に次男の安田勝二が横浜商業学校を卒業し
、その2年前に長男の安田勝一が既に横浜商業学校を卒業し、
既に、安田商事を手伝っていた。
1914年9月以降、船を貸して欲しいという依頼が安田亀吉の元に、
どんどん入ってくる様になり安い料金では断り続けた。その思惑通り、
1915年に、以前1万tの船が3千円だったのが1915年の秋に
1万円になり3隻とも貸し出した。そして貸し船の需要が多く、休む暇なく
、船を貸し出し、笑いが止まらないほど儲かった。その後1916年に
チャーター料金が3万、5万、6万円と上昇して来た。1917年になり、
一隻8万円でチャータを受けた。その後、1917年、船のチャーター料金
が最高値になったのを確認して、三隻の船を欲しい会社に売却して
最終的に50万円、現在の価値で16.25億円の儲けを手に入れた。
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