第5話:恐慌時代に船を買う
しかし日露戦争では全く賠償金がとれなかったので国内の景気が落ち込み
、日清戦争の賠償金を使って融資した会社がつぶれたり貸したお金の回収が
困難になったりして1907年に米国から始まった恐慌が日本でも始まった。
日本では日露戦争の後だったので戦後恐慌と呼ばれた。一方、退職後の
安田家では1909年、安田亀吉の長男、勝一が元町中学2年、と次男の
勝二が元町小学校の5年生になって、いたずら盛りで、喧嘩して生傷が
絶えなかった。それでもジェームズ加藤に、英語の手ほどきを受けて、
簡単な英会話をマスターし、算数は親譲りで2人共、計算が速かった。
勝二は絵が上手で、山下公園やホテルニューグランドの絵を描いては、
小学校で張り出されているようだった。1910年頃、フランクリン商事
のジェームズ加藤が安田亀吉にヨーロッパでドイツとイギリスが対立して、
何かあれば、戦争になるかも知れないと当時の世界情勢を教えてくれた。
すると亀吉が戦争になれば、物資がいる、もし不足する物と言ったら、
何かと聞くと、ジェームズ加藤が戦艦、つまり、船が足らなくなると答え
、安田亀吉も確かにと相槌を打った。安田亀吉がジェームズ加藤に橫浜商人
で船を売ってくれそうな人はいないかと聞くと、しばらく考えて、浅野総一郎
が多くの船を持っていると言い、ぼろ船でも良いから1隻、2~3千円出す
から買う交渉してくれないかと言った。彼は、わかったと言い、この話に
乗ってきたら安田亀吉さんを浅野総一郎に会える様に手はずを整えると
言ってくれた。
数日後、ジェームズ加藤が安田亀吉の所へ来て、この恐慌で、値段次第
では2-3隻の船なら売っても良いと話したと連絡してきた。
3日後1910年12月12日に安田亀吉が正装してジェームズ加藤と
一緒に浅野セメントへ乗り込んだ。ノックをして部屋に入り、安田亀吉が
挨拶をした後、浅野総一郎が安田亀吉の顔を見るなり、君、もしかして
原善三郎の亀屋で働いていた番頭だろと言った。すると、はい、その通り
ですと答えると、それなら話は早い、ところで今日は何しに来たと聞く
ので使っていない船があったら買いたいというと、この不況のさなか、
何故、船なんか買いたいのかと聞いたので、不況で安く手に入れる機会
だからと言うと、生糸と同じで、暴落の時に買えと言うことかと笑った。
いくら金を用意できるのかと聞いてたので、逆に浅野に、いくらなら
売ってくれますかと迫った。何隻欲しいのかと聞くので2-3隻という
と言うと何とかなるが1隻7千円と言うと冗談じゃないですよ、景気の
良い時ならいざ知らず、今の不況では高過ぎます、5千円なら買うと言う
と手形は何日かと聞くので、今、亀屋を辞めていますので手形は使えない
ので現金ですと、言うと、浅野の顔色が変わり現金かと、ほくそ笑んだの
を見逃さなかった。
安田亀吉は、もちろん船員もつけて下さるんでしょうねと言うと、
大笑いして亀屋の番頭はきつい商売する男だと聞いていたが厳しいなと言い
、わかった人助けだと思って、その条件を飲もうと言った。
その後、すぐに契約書を交わして3隻の船と航海士3人と3人の船乗り
をつけてくれた。今年中に入金しろと浅野が言うと、きつい商売しても
約束は絶対破りませんと啖呵を切って、固い握手を交わし、
浅野セメントを後にした。
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