第32話:義理の父・心筋梗塞と脳梗塞2
手術して2週間後の1992年の11月3日にICUから、一般病棟に移され、
毎日、左半身麻痺のため、リハビリを受けるようになった。病室にお見舞いに
行くと、今迄みたいに、早口で話すことは出来ないが、ゆっくりとした口調で、
話せる様になった。以前の生気あふれる姿はなく、やつれた感じはぬぐえ
なかったが、血色も良くなり、食事もとれていた。担当の看護婦さんが、
麻痺が右側でなくて良かったですねと、そっと言った。右は利き手で、
何をするにも使えないと困り、左側の麻痺なら、右とのバランスを
とれるようになれば、日常生活をする上で、大きな障害にはならない
と教えてくれた。
その後、1992年11月20日に、救急車で運ばれてから、1ヶ月後、
退院となった。しかし、毎週3回のリハビリ通院を余儀なくされて、奥さん
の貴子さんと、娘の淑子さんが交代で付き添って通院することになった。
そう言う事で、1992年のクリスマスは、犬山重臣の家で、家族4人で、
ケーキとケンタッキーフライドチキンを買い、質素なクリスマスパーティ-
となった。
やがて1992年が去り、1993年を迎えた。犬山家では、初詣で、最初に
、義理の父の木下公彦さんの病気が治りますようにと願い、続いて、幸子と良男
の未来に幸あれと願い、家内安全、無病息災をお願いしてきた。 昨年末から、
幸子が父の株の本を読んだり、今迄の株の売買のデータ、持っている会社の業績
を調べた。経済は、思っていた程、簡単じゃないと、驚いていた。そこで、父の
犬山重臣が、世の中のお金の回り方や、銀行がどうやって、お金を儲けているか
、日本の優良企業の情報を調べて、その仕組みを知るとかが基本だから、
それを最初に勉強すべきだと言った。
その後、中学の政治経済のわかりやすい本で、図解で書いてある経済の本を
読んで、必要なところをコピーして、自分でわかる経済のノートを作成した。
4月頃には、基礎的なことは理解したようで、祖父から、預金金利と物価上昇
で投資の必要性を説明されたことを、やっと完全に理解できた。その他、数学
の統計と表、グラフの見方も復習した。そうしているうちに、高校2年生になり
、1学期の試験でクラス52人中20番まで、順位を上げたが、ベストテンに
入りたいと、夜遅くまで勉強していたが、国立高校には、優秀な生徒が多いの
か、順位を上げられないで困っていた。
最近は、勉強で忙しくなって、アメリカ人とハーフの友人には、3ケ月に
1度、程度しか会えなくなった。5月下旬の1学期の中間テストで、52人中
15番になったが、なかなかベストテン入りが出来ずに、悩んできた。父に
相談すると、自分が努力して出た結果は正直だと良い、順位だけでなく、
その教科の内容をどれだけ理解できたかを考えるべきだと言われた。
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