ケイタの家


 突然だが、僕が小学低学年の頃はというとポケモンがゲームボーイで発売され、遊戯王のアニメが始まり、テレビチャンピオンでは大食い選手権が隔週くらいの感覚で行われていたものである。


 その後、任天堂64がマリオ64と共に発売され、少ししてからポケモンスタジアムが発売された。ポケモンはこの時すでにブームになっており、アニメも大ヒットし、先のテレビチャンピオンではポケモン王なる企画が大食い選手権と交互くらいに入っていたように思う。


 コロコロコミックには冗談のような大きさのポケモンカードが付録としてついてくるようになったのもこの頃だろうか。


 とかく、そういったポケモンブーム真っ只中を、僕は小学低学年として過ごしたのである。(なお、初代ポケモンを買ってもらったのだけは覚えているのだが、何色であったのかは忘れてしまった。とある理由から赤ではないことだけは確かなのだが、青だったような緑だったようなと曖昧である)


 放課後は友達の家か、マンションの一階のちょっとしたスペースに集まり、ゲームボーイやポケモン、あるいは遊戯王カードをを持ち寄って遊んでいたわけだが、そういった集まりでふと誰かが気になることを言ったのだ。


 いわく、やたら強いリザードンやカメックス、フシギバナを交換してくれるお兄さんが、どこそこに居るらしいと。

 リザードン、カメックス、フシギバナというのは所謂御三家と呼ばれるポケモンで、ゲームを始めるにあたり自分のパートナーとしてその内の一体が与えられるポケモンである。

 入手の機会はそれだけで、野生で出てくることもない。

 なので、それら御三家が交換に出されるなど通常はあり得ない話なのだ。


 知らない人、かつ年上ということもあり、僕はその謎のお兄さんとやらには多少の興味はあるものの会いたいとは思っていなかったのだが、当時僕がつるんでいた友達は皆『会いに行こう!』と言い、渋々着いていったのを覚えている。


 つるんでいたのは4人ほどだったか。

 その中でそのお兄さんに強い興味を示したのが『高橋』だった。

 高橋は良くも悪くも好奇心旺盛で、こういった事柄に対しても物怖じせず、自分に興味があればズカズカと前に進んでしまう性格だった。

 近所の野良猫を探しに行くだの、虫を捕まえに行くだのと僕は散々彼に振り回された覚えがあるので、少しばかり苦手意識があったが、反面、その行動力に対して憧れもあったし、引っ張ってくれることへの有難さも感じていた。


さて、そのお兄さんの目撃談を集めると、彼が居るというのは近所のSという団地の傍の公園であることが判明した。

 真ん中に横に幅広い大きな滑り台のようなオブジェがどんと置かれ、隅にベンチが置かれただけの公園である。僕たちは団地の名前を取って、S公園と呼んでいた。

 いつも行く遊び場に飽きた時にぶらりと皆で立ち寄って、その巨大な滑り台のようなオブジェで『天国と地獄』という謎の遊びをするだけで基本的には立ち寄らない場所だった。

(ちなみにその天国と地獄というのは、滑り台の下側に一人だけいて、あとは滑り台の上にいて足をだらんと斜面に垂らして待ち、下側に居る人間が誰かの足を掴んで引きずり下ろし上の人間と交代するという……遊びのような何かである)


 ちょうどその日は小雨が降っていたのを覚えている。

 S公園についたものの、それらしい人物はおらず、代わりにその団地に住んでいるであろう子供たちが少し居ただけだった。

 それも雨が降っているためか、家に戻ろうとしている所だった。


「明日も来よう」

 高橋が言った。どうやら彼は諦めていないらしかった。

 僕としては見知らぬ年上の男性に会いたくなど無かったが、しかし高橋がそう言うならと皆どこか了承していた。


 翌日。

 また普段通り放課後に遊ぶことにしたのだが、集まったのは僕と高橋の二人だけだった。

 ほかのメンバーは、昨日の小雨が原因なのか熱を出したのが一人と、塾があるため参加できないのが一人だった。

「アイツらのためにもオレらで調べとこう!」

 と妙に使命感にかられる高橋と共に、S公園に向かう。

 が、やはりそれらしい人物は見当たらない。小雨が無い分、昨日よりは人も居たが、しかし噂で聞くようなお兄さんは見当たらなかった。


 なお余談ではあるが、今こうしてこの文章を書いていて気づいたのだが……。

 そのお兄さんが配っていた御三家のポケモンというのは、初代に存在していたバグを使って量産されたものではないだろうか。

 初代ポケモンでは、特定の手順を踏むことで手持ちのポケモンをコピーすることが出来たのである。おそらく、そのお兄さんが配っていたポケモンもそれによって生み出されたものではなかろうか。

 ミュウツーの逆襲が劇場公開されていたその時期に、そんなバグ技が出回っていたというのも、何とも業の深い話ではあるが……。


 話を僕と高橋に戻そう。

 S公園についたもののそれらしい人物が見当たらず、高橋が少しばかりイライラしていたその時である。

「もしもし」

 と背後から声をかけられた。

 振り返るとそこに一人の少年が居た。背格好は当時の僕らと同じくらいだったので、たぶん同い年くらいだろう。少し黄ばんだポロシャツを着ていた。

見覚えのない顔だったので、僕たちが通っている学校の生徒ではなさそうだった。

 本来なら彼の顔の特徴も書くべきなのだろうが、何とも情けない話だがどうにも記憶に残っていないため、ここでは省略させていただく。


「誰か探してるん?」

 と少年が僕らに聞いてきた。

「ポケモン配ってるお兄さんが居るって聞いたんや」と高橋。

 ポケモン……? と小首をかしげる少年を見て僕が「なんかな、めっちゃ強いリザードンとか交換してくれる人が居るって聞いてん」

「リザードンやったらボクも持ってるよ」と少年。その後で『いる?』と聞いてきた。


「いや、リザードンは一匹しか捕まえられへんから、交換したらアカンで」

 高橋が少年の誘いをばっさりと切り捨て、そのうえで『どんなポケモン持ってるん?』と尋ねた。

「わからへん」

「分からへんてどういう事やねん」

「ボクのじゃないから……」


「誰か兄弟がやってるん?」

 何となく要領を得ない少年の返答に僕は尋ねた。

「ううん。ボク一人っ子やから。ポケモンはな、お母さんがもらってん」

「ふうん……。ポケモン、面白いからやったらええで」

 高橋の返答に、少年はオドオドしながらもこくりと頷いていた。


 その日はそれだけ話してS公園を後にして、また別の公園に僕と高橋は遊びに行った。

 以降、何回かS公園に向かったものの結局、お兄さんとやらが見つかることは無かった。代わりにその少年は僕たちがS公園に行くと必ずどこかに居て、僕たちに話しかけてくるようになった。


 僕としてはあまり知らない子と話すのは辛かったのだが、高橋は特に気にする様子もなく、そんなことが何回か続いた時に高橋は少年に名前を聞いていた。


「ケイタ」

 とだけ少年は答えた。


苗字も聞いたのだが、そちらは頑として答えず、仕方ないので僕たちは少年だけケイタと呼び続け、ついぞ彼の苗字を知ることは無かった。


◆◆◆


 例のお兄さんの件から、僕たちは何回かに一度、S公園へと向かうようになっていた。高橋曰く、タイミングが合えば会えるかも、ということだった。

 しかし結局、そのお兄さんとは会うことは出来ず、代わりにいつも公園にいるケイタと遊ぶようになっただけだった。

 

 以前来ることが出来なかった二人はケイタを不気味がっていたが、高橋が何とか説得し一緒に遊ぶようになっていた。

 僕もケイタのことを不気味に思っており、最初はその恰好かとも思っていた。

 しかし次第に自分が感じている異質さはそこではないと気付いた。ケイタはおよそ全てのことに対して無関心であるように見えたのだ。

 僕たちと一緒に遊んでいるが、別に遊ばなくても良いというか……。ポケモンもゲームもお菓子も何もかも、教えられたりすれば手を出してみるが結局どちらでもよいのだという、何とも言葉にしづらい異様な雰囲気をまとっていた。


「ウチけえへん?」

 ケイタと遊び始めてしばらくしたある日、不意に彼がそんなことを言い出した。

 その日は、僕と高橋の二人だけでS公園に着ていて、天国と地獄をするか、ポケモンでもしようかと思っていた。

 他の二人は……確か一人が怪我でもう一人が風邪だっただろうか。ともかく不在だったはずだ。


「ケイタん家って、そこの団地なん?」

「うん。ゲームとかいっぱいあるで」

 ケイタの言葉に高橋は行く気になり、彼がそうなってしまったからには、僕もそれに着いていくしかない状態になった。

 

 ケイタの家は、公園近くの団地の中にあり、家は二階の角部屋だった……はずである。角部屋かどうかは正直自信が無いが階については、おそらくそれで合っているはずだ。


 ケイタに誘われるままに彼の家の前まで行く。ケイタがポケットから鍵を取り出して鍵を開けて、扉を開く。

 と、同時に家の中の空気が、もわ、と外に向かって噴出された気がした。

 甘いような、臭いような。どこか湿気も感じるような空気の塊が、鼻先に触れた気がしたのだ。

 僕と同じようなものを感じたのか、横を見ると高橋も怪訝そうな顔をしていた。


 扉を開けたケイタが中に入り、僕らを手招きするので多少の違和感はあったものの、僕と高橋はそのまま家に上がらせてもらった。

 靴を抜いて玄関を上がったところでケイタが脇をすり抜けて、扉を閉めて鍵をかける。ガチャリという音が背後から聞こえた時、何か得体のしれない不安を感じたが、僕も高橋もこれを無視した。


 ケイタの家は玄関から続く廊下が突き当りでT字路になっており、右側がリビングへ左側が両親の寝室や洗面所に続いていた。

 また右側にはケイタの部屋もあったが、ケイタはそこを通り過ぎて僕たちをリビングへと案内した。

 リビングに入ると大きなテレビが窓の近くにどんと置かれており、壁には小ぎれいな絵画がいくつか飾られていた。

ケイタの家は金持ちなのではないか? リビングの様子を見て僕はそう思ったが、反面、ならばケイタの格好はどういうことなのだろうか。

あんな大きなテレビを買えるのだから、ケイタに新しいポロシャツを買ってあげるくらいワケないのでは? という疑問も浮かんでいた。


「ちょっと待ってな」

 とケイタが僕と高橋を置いて、リビングから出ていく。しばらくすると任天堂64本体と、いくつものゲームカセットが入った箱を持ってケイタが帰ってきた。


「どれする?」

 ダンと箱を床に置くケイタ。ずらりと並んだゲームソフトの前に、僕と高橋のこの家に対する違和感は吹き飛んでいた。

「スマブラしよ!」

 どちらだったか。僕か高橋のどちらかがそう言って、まずはスマブラを三人で遊ぶことにした。

 64を設置して、コントローラーを人数分接続する。

 しばらく3人でスマブラを遊んだものの、いかんせんケイタが弱すぎたため、半ば気を遣うような形で別のゲームに変えることとなった。


「カスタムロボせえへん?」

 これを言ったのは僕だったはずだ。当然、ケイタはそれも持っており、カセットを取り出して64にガチャリとはめた。


 なお『カスタムロボ』に関して軽く説明させてもらうと、カスタムロボとはロボ本体と武器や脚部といった4種類のパーツを組み合わせて、自分だけのオリジナルのロボをカスタマイズして対戦するというゲームである。

 対戦自体は見下ろし型のアクションゲームとなっており、カスタマイズ要素の奥深さはあるものの、当時低学年だった僕たちでも直感的に楽しめるものとなっていた。

 個人的にも今でも大好きな作品である。


 さて、そんなカスタムロボで対戦をしようとしたのだが、カスタム画面に行ったところで、選択できるパーツの種類が圧倒的に少ない事に気づいた。


「ストーリー進めてへんのちゃうん?」と高橋。

 カスタムロボのパーツはストーリーモードと呼ばれるアドベンチャーを進めることで徐々に解放されていく。

 おそらくはそれがクリアされていないのだろう。

 

 ひとまず先にストーリーを進めることとなった。プレイは僕がする。

タイトルに戻り、ストーリーモードを選択する。

 すると、3つのセーブデータが現れ、どれでプレイするかを確認される。

 セーブデータは一つしかなく、僕は一番上のものを選んだのだが、名前が妙だった。

 カスタムロボのストーリーモードは主人公の名前を自由に決めることが出来る。好きなアニメのキャラの名前を入れる子も居れば、自分の名前を入れる子もいる。

 しかしそのセーブデータには『ソウタ』という名前が付けられていた。


 そんな名前のアニメのキャラが居ただろうか。

 疑問が頭に浮かぶものの、特に気にせずゲームをプレイする。

 一時間ほど経ってからだろうか、


 うぅぅぅ


 という、うめき声のようなものが部屋の外から聞こえてきた。

 何事かと、僕と高橋がリビングの扉を見やると横でケイタが「お母さんやと思うわ」と言った。

 てっきりこの家には自分たち以外誰も居ないものと思っていたので、やや面食らいつつも、うめき声とは別に淡々と語るケイタにも少しばかりの不気味さを感じ始めていた。


 なおもうめき声は続いたため、ケイタは立ち上がり「ちょっと見てくるわ」と言ってリビングを出ていった。


「なぁ」

 ケイタがリビングから出ていったのを確認してから、高橋が小声で言った。

「やっぱおかしくないか?」

「何が」

「いや……色々やけど。カスタムロボの主人公の名前、ソウタって誰なん? 何でケイタとちゃうん?」

「そら……兄弟とか?」

「なんでや、アイツそんなん居らん言うてたやんけ。あと、そのコントローラーも……」


 そう言って高橋が指さしたのは、ケイタが持ってきた64のコントローラーが入った大きな箱である。スマブラをする際にそこから三つ取り出して使ったのだが、箱の中にはまだ5つ以上残っている。

 64で接続できるコントローラーは最大で4つまでだ。なのでそれ以上コントローラーを持っている意味はない。

 それによくよく見てみると、箱に納められたコントローラーの中には、シールが貼られているものもあった。

シールにはマジックで『サカキコウスケ』と書かれている。


気になって64のカセットも確認するが、いくつかには同じように名前のシールが貼られているものもあり、そのどれもがケイタではない名前が書かれていた。


「ここ、ホンマにケイタん家なんか……?」

 ケイタの服装と不釣り合いなほど裕福そうな家。別人の名前が書かれたゲームソフトやコントローラー。

 高橋の言う事も理解できるものだった。


 うめき声はなおも続いていた。そればかりか、激しさが増しているように感じる。

「お母さん、見に行こう」

 言ったのは僕だった。

 当時熱心に名探偵コナンを見たり、江戸川乱歩の怪人二十面相シリーズを読んでいたせいかは分からないが、僕の中で『ケイタがこの家に住んでいた誰かのお母さんを監禁して乗っ取ったのではないか』という何とも粗末な推理が浮かんでいたのである。


 だからもし、ケイタの言う『お母さん』の様子を見ればハッキリするはずだと、愚かにもそう思ったのだ。


 僕は高橋と二人でこっそりとリビングから長い廊下へと抜け出した。

 ずっと進んだ先にケイタのお母さんの寝室があり、うめき声はそこから絶えず聞こえてきていた。

 昼間ではあるが廊下には陽が射さない造りのせいでやけに暗い。

 暗く長い廊下を僕と高橋は二人でゆっくりと足音を立てないように慎重に歩き始める。


 うぅぅぅう、が、うぅぅぅ、がううう、が、が、が……!


 うめき声は次第に大きくなり、それと共に、どんどん、という何かが暴れまわるような音まで聞こえ始めた。


 ――まるで獣だ。


 大きな犬か、あるいは虎やライオンといった猛獣があの扉の向こうで暴れまわっている。そんな風に僕は思い始めていた。


 扉の前まで到達する。寝室の扉はケイタが閉め切らなかったのか、ほんのわずかだけ開いており、中を覗き見ることが出来た。


 意を決し、そのわずかな隙間から中を見る。

 しゃがんでいるケイタが見える。視線の先にゆらゆらと揺れる黒い何かが在り、しばらくすると、ぬぅ、と白く細い腕が現れる。

 次いでそれが床を叩き、どたどたと音を鳴らす。


 うぅ、うぅ、ううううううう!

 が、が、がががが……!


 手が引っ込んで、今度は足が出てくる。その次はまた手。


 犬だ。

 部屋の中で、女性が犬のように四つん這いになってぐるぐると回っていた。

 長い髪を振り回しながら、唸り声を上げながら女性が部屋の中で犬のように暴れている。


 と、不意に女性の動きが止まった。

 そして、ゆっくりと四つん這いのまま、首を回して扉のほうを見ようとして、



 僕はその瞬間扉から離れ、音も気にせず玄関へと走った。

 玄関扉の鍵を外して、靴を掴んで、扉を開けて外に出た。

 高橋も事の異様さを感じ取ったのか、何も言わずに走ってついてくる。


 寝室の扉の開く音が背中に届いたが、僕たちは気にせず走り続け、S公園もと走り過ぎ、自宅近くの溜まり場まで逃げ続けた。


◆◆◆


 先の一件以来、僕たちはS公園には寄り付かなくなった。

 特にこれと言って高橋とそういう話をしたわけではないが、しかしあんなことがあった後ではさすがにもうケイタと会いたくない、というのは互いにあったと思う。


 元々遊んでいた別の公園に集まるか、誰かの家に集まるようになっていた。

 その日もそうして集まって遊んでいた日で、夕方五時になった所でお開きになり僕は家に帰る所だった。人通りがまばらな住宅街の中を一人ぽつぽつと歩く。

 マンションが立ち並んでいるせいか、陽があまり入ってこず、妙に薄暗い道を歩いていると、ふと背中に視線を感じた。

 ほかの二人だろうかと振り返ると、ぞくりとした。


 ケイタが居たのだ。


 すぐ傍ではなく、大体100メートルくらい先の道に彼が一人でぼうと立ち、僕のほうをじぃっと見つめているのである。

 こちらに歩いてくるわけでもなく、何かを伝えようとするわけでもなく。

 ただそこに立ってこちらを見ているだけだった。

 だのに、何ともそれが不気味なもので僕は見なかったフリをしてくるりと背を向けて家に戻った。

 途中、わざと何度か家の前を通り過ぎて後ろを伺ったのを覚えている。

 何となく、ケイタに家を知られるべきではないと思ったからだ。


 遠巻きにケイタが僕を見ていることは、以降何度かあった。

 学校帰りや友人宅からの帰り。その時通っていた塾に行く途中など。

 ケイタに教えていない場所との往復ですら、彼は現れ遠巻きに僕を見ていた。


 その回数が両手で数えられなくなってきたところで、僕は一つ決心することにした。


 ケイタにゲームを返そう。


 そう。

 僕は彼にゲームを一本借りていたのだ。

 知り合ってから少し経った頃。彼の家に行く前に、僕はケイタからゲームボーイのゲームを一本借りていたのだ。ポケモンの赤である。

 ゲームボーイのゲームは当時、ポケモンとメダロット2しか持っておらず、そんなことをケイタにぽつりと漏らした所、翌日には彼がいくつかゲームを持ってきてくれたのだ。

 全部貸しても良いと彼は言ったが、さすがにそれは気が引けたのでポケモンの赤だけ借りたのである。赤だけに出るポケモンが欲しくて、僕はケイタに事情を説明して貸してもらったのだった。

 そして、そのゲームはまだ僕の家にあり、ケイタに返せていない……。

 

きっとゲームを取り返しに来たのだ。

今となっては、事実どうだったのかは分からない。しかし当時の僕は本気でそのように思っていたのだ。


高橋や他の友人に同行を相談しようとも思ったが、巻き込むのも怖かったし、何より断られるだろうと思った。両親に言おうかとも思ったが、人から借りたものをそのままにしていることを怒られると思い、候補から外していた。


一人で行くしかない。

そう決意してゲームソフトを鞄に入れて、僕はケイタの家に向かう事にした。

一度しか行っていないが意外にも団地内の家の位置を覚えていた。

学校が終わってすぐの昼。まだ外は明るい時間に、僕はケイタの家の前に居た。

恐る恐るチャイムを鳴らす。

しかし反応はない。郵便受けにゲームを入れてしまおうかとも思ったが、ちゃんと返さないとケイタがまた出てくるのでは、という謎の強迫観念に駆られ、僕はそれをすることが出来なかった。

 もしあの犬のような女性が扉を開けて飛び出して来たら、という恐怖心を押さえつけながら僕はもう一度チャイムを鳴らす。


 しかし依然として反応はない。

 日を改めるべきかと考えていると、

「開いてるで」

 と扉の向こうからケイタの声がした。

 

 どきりとしてしばらく立ったままでいると、もう一度「開いてるで」と声がする。聞き間違いではない。

 ドアノブをひねって手前に引くと、ケイタの言う通り鍵はかかっておらず、ぎぃと扉は開いた。

 恐る恐る中に入るが、玄関にケイタはいない。


 靴入れの上にゲームソフトを置いて帰るべきか。

 いや、それでは『返したこと』にはならないのではないか。

 どうすべきかと惑う僕に対し、ケイタが再度「こっち」と呼び掛けてきた。声はリビングからしている。


 行くしかない。行ってケイタに直接、ゲームを返すしかないのだ。

 僕は靴を脱いで玄関を上がり、かつてと同じように突き当りのT字路を右に曲がってリビングへと向かった。

 リビングにはケイタがいた。彼はテレビに向かって座り、64でゲームをしていた。


「ポケモン、ありがとうな……」

 鞄からソフトを取り出してケイタに向かって差し出す。

 ケイタは横目でちらと僕が手にしているソフトを見て、視線をすぐにテレビに戻した。

「ええよ、別に返さんでも」

「いや、でも」

「だって、それボクのじゃないし」

 

 ケイタの言葉に、僕はかつてこの家で抱いた疑問を思い出した。

 そうだ。このポケモンの主人公の名前も、ケイタではなかった。確か名前はコウスケになっていたはずだ。

 コウスケ……。

 

 その時、ケイタの手にしている64のコントローラーが視界に入る。

 コントローラー中央のスタートボタンの上、そこにシールが貼られており、そのシールには『サカキコウスケ』と書かれていた。


「あのさ……。そのサカキコウスケって誰なん? ケイタくんの親戚の子とかなん?」

「さぁ?」

「さぁって。ほな何でそれにそんなん書いてるん……?」

「持ってきた時にはもう張ってあったから」

「持ってきた時?」

「うん。お母さんに頼み事する人がな、こういうの持ってくるねん。ほんでな」


 どん。


 ケイタの言葉を遮るように、壁が叩くような音がリビングに鳴り響いた。

 例の寝室だろうか。いや、それにしては音が近い気がする。

 ケイタがじろりと僕のほうを向いた、かと思ったが視線はさらにその奥のリビングの壁に注がれていた。

「お母さん……?」

 訳も分からず僕は手当たり次第に質問した。

 しかしケイタは「ううん」と面倒そうに否定し、リビングの壁を顎で指す。

「ボクの部屋からやわ。壁の向こう、僕の部屋やねん」

「ネコか何か飼うてるん……?」

「ううん。この家、ボクとお母さんしかおらんから。でも、僕の部屋に今、いろんな人から貰ったもん置いてるから。多分それやと思う」

「崩れたんかな?」

「だからそんなんちゃう――」


 どんどんどんどんどん


 ケイタが言い終える前に、再び音が鳴る。

 今度は何度も。誰かがそこから出してほしいのだと伝えるように、何度も何度も壁が叩かれるような音がする。


 ケイタはため息をついて立ち上がり、壁に向かって歩いていく。

 そして、思いきり壁を叩いたかと思うと「うるさい!」と一括してまたテレビの前へと戻っていった。


 壁を叩く音はそれですっかり止んでしまった。

「お母さんにモノ持ってきてな、お母さんがそれを掴んで土下座すんねん」

 唖然とする僕を横目にケイタは、再び先のお母さんの話をし始める。

「土下座……?」

「うん、土下座」

 こんな感じやねんと、けらけらと笑いながらケイタが実演する。

 正座のまま腕を前に出して上半身を前に倒すようなポーズだ。しかし、その様は土下座というよりも、まるで何かに祈っているように見えた。


「それがお母さんの仕事やねん」

「そうなんや……。でも、お母さん、今病気やねんな」

「うん。この前な、つかれてたんか知らんけど、失敗してもうたみたいでな。そんでな、ガイシくんにお母さん見てもらおうと思うねん」


 寝耳に水である。

 当時の僕はというとただの小学生である。今でも不思議な力があるわけでもないし、まして当時の僕はと言えば、オカルトのオの字もイマイチ分かっていない子供である。

 そんな僕が、お母さんを見てどうにかなる事などあるのだろうか。

 

 色々と考えている内に、ケイタが僕の腕を掴む。

「行こう」

 ケイタが立ち上がり、僕の腕をひっぱる。


 ぐ、ぐ、ぐぐぐぐぐ


 と、同じ子供とは思えないほど強い力で僕は、ざざざざ、と綱引きで引っ張られるようにリビングから引きずり出される。

 薄暗い廊下を、もはや無理やりケイタによって寝室へと引きずられていく。

 

 うぅぅぅぅう


 近づくにつれ、あの日聞いた唸り声が再び聞こえ始める。続いて、だんだん、と寝室の中で暴れまわる音。


 それがどんどんと大きくなっていき、やがて、中にいたものが扉に当たったのか。偶発的に扉が大きく開かれ中の様子が明らかになった。


 が、が、が、ううううう


 白く細い腕。長く伸びた黒の長髪。

 そして、血走った目に、そのまわりにべったりと血をつけた口。

 ケイタが母と呼ぶその女性が、まるで犬のように四つん這いになったまま、した、した、した、とこちらに向かってゆっくりと歩いてくる。


 僕はもう腰が抜けていた。

 ケイタに腕を掴まれたまま、へなへなとそこに座り込んで、その姿勢のまま僕はケイタに引きずられていく。


「お母さん、ガイシくん連れてきたよー」

 訳も分からず泣きながらケイタに、嫌だと叫んでいたのを覚えている。

 それでもケイタは何も言わずに、腕をつかんだままずんずんと進み、僕はざぁーっと引きずられていく。


 喰われる。


犬のような女性に近づくにつれ、僕はそう思っていた。


 と、チャイムが鳴った。

 その瞬間ケイタの腕の力がふっと緩み、僕は我に返った。

 思考は相変わらずとんだままだったが、だん、と床を手で立たいて僕は立ち上がり一目散に玄関へと走って、靴を掴んで外に出た。


「待てや!」

 背後からケイタの怒号が聞こえる。

 それと共に、犬の鳴き声が響き渡る。


 外に出た時、インターホンを押したであろう驚いた表情のおばさんと目が合った。おそらく僕の声が聞こえてきて心配になってチャイムを鳴らしたのだろう。

しかし僕は構わず走って通り過ぎた。気が付けば僕は家に帰っていて、両親には散々心配されたのを覚えている。


 色々と落ち着いてから僕は、しかし僕が体験したことをそのままは話せないと思い、友達と喧嘩をしたと嘘をついて誤魔化した。


◆◆◆


 その直後、父の仕事の都合で僕は一時地元から離れ東京に住むことになった。

 一年ほどで大阪には戻ってきたが、元の家には戻らず、また別の所に住むことになり、そういったバタバタもあってかケイタの件はそれきりとなった。


 そうして、僕は今の今までケイタの話をすっかり忘れていたのである。

 それをどうして今になって思い出し、そしてこうして文章としてまとめているのかというと、つい最近、僕と一緒に遊んでいた友人から連絡があったからである。


 曰く、近日中に高橋の葬式をやるのだそうだ。

 じつは高橋も僕が東京に引っ越してから、すぐに引っ越しをしたらしいが、大人になった後、仕事の都合で地元に戻ってきていたそうだ。

 そして地元で彼は死んだのである。


 なお、連絡してきた友人に高橋の死因について尋ねると、はぐらかすばかりだった。断片的に開示される情報をつなぎ合わせると、彼が精神的に参っていてそれが原因でこの世を去った、という事までは分かったが、実際の所は今なお不明のままである。


「飼うてた犬のせい……」

 ただぽつりと漏らされた、その友人の言葉がやけに耳に残っている。


 また、僕を葬儀に呼んだ件について、友人は妙なことを口にした。

 曰く、誰かが『ガイシくんも呼ぶべきだ』と言ったのだそうだ。

葬式の招待については、地元の友人ら数名で集まって決めたらしく、その時は4~5名ほどで話し合いをしていたらしいが、僕を葬儀に呼ぼうと言った人物が誰なのかは誰も分からないのだそうだ。

 ただ、会議の参加者は全員、その言葉を聞いたらしい。


 なぜこのタイミングでケイタのことを僕は思い出したのだろうか。

 また、僕を呼ぼうと言ったのは誰だったのだろうか。

 高橋の死因はなんだったのか。


 そしてもう一つ。

 僕はケイタの話を思い出す中で、嫌なことを思い出していた。

 僕が彼から借りたのはポケモンの赤だ。理由は赤でしか手に入らないポケモンを交換で手に入れるためだ。

 ゲームボーイ同士で通信する場合、今でこそ無線が当たり前だが、当時は通信ケーブルなる専用の優先ケーブルで互いをつないで通信していたのだ。

 ポケモンの交換も、無論これを用いて行われる。


 どうやって僕はポケモンを交換したのだろうか。


 あいにくと僕は一人っ子だ。兄弟が居るわけでもないので、通信ケーブルは買っていなかった。

 つまり、あの時の僕が自分のソフトにポケモンを移すためには、どこかから通信ケーブルを調達する必要があった。しかし、僕がケイタに返したのはゲームソフトとその箱、そして説明書の3点だけだ。


 通信ケーブルはどこから調達していたのだろうか。

 誰かから借りたとも考えられるが、ケーブルだけ借りるというのも良く分からない。

 僕はケイタに事情も説明していたので、まっとうに考えるならケイタからケーブルを借りていたのだと考えられる。

 そして僕は、ケーブルを返した覚えがない。


 この家のどこかにケイタの通信ケーブルがあるのかもしれないし、無いかもしれない。2回ほどあった引っ越しのバタバタで処分したのかもしれない。


 本当にケーブルを借りていたのかは、もはや分からないが、ひとまず探すことにしようと思う。

 出てこないことを願うばかりではあるが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る