偽者

 古今東西において、自分の偽物が出た、という話は多く存在する。

 

 ある家族の話だ。

 引っ越しをした翌月に、久しぶりに以前の家の近くを通ることがあり、ふと気になって家の中をのぞくと、自分たちが居たのだと言う。

 またある女性の話では、上京したはずのその女性が、実家の自分の部屋に居るところが目撃されたりと。

 

 とかく、そういう偽物がいつしか存在している、という話は多い。


 とあるゲームの打ち上げで、そういった話があると、木原さんが言ってくれた。

 彼は関西のゲーム会社に勤めている人間で、歳は40を少し超えたくらいで、何というか《気のいいあんちゃん》といった雰囲気の人間だった。


 僕もプロジェクトの中で、彼には大変お世話になっていて、交流も多くさせてもらっていたところから、僕が怪談好きであることをバラしていた。

 ただ、普段も彼からおすすめのホラー映画や、ゲーム、番組を聞くことはあったが、彼自身の怪談を聞くということは無かった。

 

 芋焼酎のロックを3杯ほど飲み、少々酔いが回った所で、不意に彼が「そういやガイシさんにこの話をしたことは無かったやんな」と呟いた。


 以降の話は、その時木原氏が僕に話してくれた内容をまとめたものである。

 僕が話を聞いたときの雰囲気をそのままにしたいので、彼の語りをベースにまとめており、関西の方言もそのままであるが、どうかご了承願いたい。


◆◆◆


 俺が前の会社で働いてた時の話やねんけどな。

 そん時の会社は■■■にあったんやけど、引っ越しすることになってん。

 理由は色々あったけど……幽霊が出るから、っていうのが一番大きかったな……。


 うん、幽霊が出てん。


 てっぺん(0時)行くか、行かんかのくらいに誰も居らんデスクのPCが勝手について、カタカタカタカタって動き出すんよ。


 俺も見たことあったわ。

 デバッグ期間中のバグ対応で残ってる時にな。

 俺以外誰も居らんオフィスで、俺の席の近くにだけ明かりがついとって、それ以外は真っ暗やったんやけど。

 突然、ヴゥーンって音が鳴って、目の端になんや明かりが見えるんよ。

 

 そんで次はカタカタカタカタって。

 最初見た時はビビったわ。うわ、これか、って。


 でも、疲れすぎて感覚がマヒしてたんか分からんけど、そん時にどのPCがついてるんか確認したんよ。

 そんで、ちょっと納得してん。


 亡くなった先輩のパソコンがついとったんや。

 先輩は去年くらいにバイクの事故で亡くなりはってな。

 ガタイが良くて、肌は日焼けしてて、髪は金髪にしてて。

 いかにもアウトドア派っぽい人やった。


 その先輩のパソコンは元々ロム焼きマシンも兼ねてる所もあって、亡くなってからもパソコンは崩さんと、そのままにされとったんや。


 あんときは、ロム焼き専用のマシンを入れるかどうかのタイミングやったな……。


 俺はその先輩と仲良かったから、なんていうか化けて出てきても、あんまり怖くなかったんよ。

 でもそうは思わん人もおってな。

 いや、そもそも化けて出てきてるのが、その先輩なんかも分からんやろ、言う人も居った。

 

 そんで、手狭になったやら、会議室がいっぱいほしいやら言う理由もあって、引っ越すことになったんや。


 ちょうどお盆前くらいやったかな。

 そのタイミングで引っ越ししたわ。

 そんでそれからちょっとして、変なことが起こったんや。


 そん時も夜中に一人で仕事しててんけどな。

 ほら、グーグルドライブってあるやろ。

 俺もそん時、それ使っててん。今作ってるゲームに対する意見をまとめるリストをスプレッドシートで用意して、チーム全員で書き込めるようにしててん。

 ちょっと一段落ついたから、今のゲームを見ながら気になる所を書いていっててんけどな、そん時に変なもんが見えたんよ。


 スプレッドシートって、そのページを開いたらセルを選択するカーソルが出るやろ。今見てる人数分、そのカーソルが出る。

 そん時は俺が一人で見てるだけやから、カーソルは一個だけのはずやねんけど、なんや良く見たらもう一個出てるねん。


 誰かのパソコンがつけっぱなんかと思ったけど、そのカーソルは動いとる。

 つまり、誰かが会社におるってことや。

 せやけど、会社には俺一人。いつも遅くまで残ってる人事の人も、今日は風邪や言うて休んどる。

 そもそもオフィスは俺の席以外、灯りがついとらん。


 じゃあ、誰やと思ってな。

 ほら、グーグルドライブに出てるカーソルって、あれマウスポインタ合わせたら、誰がそのカーソルを出してるか表示されるやろ。

 俺、それで見てんけどな。


 ユーザー名で『堂島』って表示されてん。

 これな、死んだ先輩の名前やねん。


 それ見た瞬間、何かぞっとしてもうてな。

 あんだけ好きな先輩やったのに、そん時だけは何となく、無性に怖くなってもうてん。

 そんで慌ててパソコンの電源落とした。急に背中に視線を感じるようにもなったし、自分を囲む暗闇から何かが出てくるんちゃうかと、えらいビビった。


 そっから荷物まとめて、急いで戸締りして、会社から転げ出たわ。

 その日は、そんだけで何も起こらんかった。


 そんでや。

 一日経って、朝通勤しながら考えて気づいたんやけどな。

 あの先輩のパソコンってどこに行ったんか、俺知らんかってん。

 前の社屋では、先輩のパソコンはロム焼きマシンとして使われてたけど、引っ越してからは確か新しいマシンがロム焼きマシンになってた気がする。

じゃあ、あの先輩のパソコンはどこに行ったんやって。


 もし誰かがどっか別の場所で使ってるんなら、昨日の件もそのパソコンを初期化するんを忘れてたんやな、ってので説明がつく。


 出社してすぐに上司に確認した。

 そしたら、上司はちょっと唸ってから知らん、言うてな。

 ほんでまた別の上司に、そっからさらに別の……って、順々に聞いていったんやけど、結論としては『誰か』が先輩のパソコンを預かったってことだけ分かった。

 最後に聞いた後輩の女の子からは、引っ越しの荷造りでバタバタしとった時に、堂島先輩のパソコンをまとめる所で『ちょっと俺に貸して』って誰かに言われたらしい。

 そんでそこはその声の主に任せて、別のところに手伝いに行ったと。


 結局、堂島先輩のパソコンがどこに行ったかは分からんまま――というわけにもいかん。

 ガイシさんも知っとるように、ゲーム開発は機密性の高い業務や。

 開発に使ってたパソコンが行方不明なんて、許されるはずがない。


 それに、そん時にはもう俺も上司に昨日の夜の件を言ってた。

 誰かが堂島先輩のパソコンで、開発用のドライブにアクセスしてたって。


 もーそっからは、まぁ箱をひっくり返すかの如く、会社の中のパソコンを全部チェックしてな。

 何とかして堂島先輩のパソコンを探し出そうとしたんや。


 まぁ、会社の中にあると思ったんやな。

 確かに引っ越し当日にパソコン類は全て梱包されてたとこは、全員で確認してた。

 せやったら、今の社屋のどっかに紛れてるはずやと。


 ただ。先輩のパソコンは見つからんかった。

 元の社屋を見に行ったり、引っ越し会社に確認しても、どこにも堂島先輩のパソコンは無かった。

 

 結局探すのも途中でやめたらしくて、以降、そのことは社内であんまり触れられんようになった。

 皆もその事件を忘れて、そっから一年が経ったくらいかな。


 クライアントとの飲み会があってな。

 まぁ、別にそれ自体はよくあることやってんけど、そのクライアントが引っ越す前の会社の近くの店を気に入っとって。

 そこで飲みましょう、ってことになったんや。


 そんで、だいたい、夜の十時くらいかな。

 そんくらいで、ぱっと切り上げて解散した。クライアントは、そのままホテルに帰っていったけど、俺は何となく、前の会社を見てみようと思った。

 自分らが出て行ったあと、どんな会社が入っとんのか、ちょっと興味があったんや。


 四階建てのビルの、三階のフロア全部。それが前の社屋やった。

 店はビルの裏口の近くやったから、俺は昔みたいに裏口から入ってった。

 防犯のためなんか知らんけど、裏口には砂利がひいてあって、俺が歩くと、じゃっじゃっって、音が鳴った。


 冷静に考えれば不法侵入者が音を立てながら、裏口に入ろうとしてる、って絵面やったんやな。

 酔ってたのもあって、ちょっと気ぃ大きくなってたけど。

 しかも阿保なことに、裏口の扉の前に立ったところで、一個大事なことを思いだしたんや。


 裏口の扉は、夜九時以降は鍵が掛けられるのを忘れてた。

 あぁ、でも、そういや昔もそのこと忘れて締め出されたのを、堂島さんに開けてもらったなぁって思ってたら――や。


 がちゃ。ぎぃぃぃぃぃ。

 ってノブが回って扉が開き始めた。


 まぁ、ゾッとしたわ。

 扉の向こうにおるんは、このビルで働いてる人で自分は酔っ払いの不法侵入者。

 このまま鉢合わせしたら、面倒臭いことになる。


 けど扉が開くなんて一瞬で、俺がどうしよかって思ってる間に扉は、ぎぃぃぃんって開いてもうた。


 ――今でも、そん時は酔うてて変なもんを見たと思ってる。

 

 扉の向こうには、日焼けしたガタイのいい、金髪のオッサンがおった。

 その人は俺見て、笑って『なんや、お前また締め出されとったんか』って言ったんや。

 

 堂島先輩やった。

 手にはタバコの箱が握られとって、裏口で一服しようとしてたらしかった。


 なんでや。

 盆が近いからか?


 ちょっとパニックになりつつも、俺は『はい』って返事しとった。

 

「そういやお前のパソコン、ブルスクなっとったぞ」

「え?」

「はよ見てこい」


 言われるままに、そのまま先輩の横を通り過ぎてビルの中に入った。

 二基あるエレベーターの内一基が、一階についとった。それに乗り込んで、三階に向かった。


 ざぁっとドアが開く。

 会社の前の廊下には明かりがついとって、誰かがまだこのフロアで働いてるらしかった。

 

 ――やっぱ酔うとったんちゃうんか。

 エレベーターから降りて廊下で、そう考えとったら、会社の玄関扉が開いて中から誰か出てきた。


 赤い眼鏡をかけて、髪の毛を後ろにくくった女の子。

 先輩のパソコンを『誰か』に渡した、会社の後輩やった。


「あ、木原さん。パソコン、クラッシュしてましたよ?」


 もう頭おかしなったんかと思ったわ。

 何でこの子がここに居るんや。

 ここ前の社屋やで、って。


 女の子はそう言うて、俺の横を過ぎてエレベーターに乗って下に行ってもうた。

 また俺は廊下で一人になって、そんで会社の扉をじぃっと見てた。

 死んだはずの先輩は出てくるし、ここに居らんはずの後輩も居る。

 

 なんか、引っ越す前にタイムスリップしてるみたいやった。


 で、や。

 俺は意を決して扉を開けて会社の中に入った。

 本当やったら、引っ越しした後やから、なーんも無いか、別の会社が入ってるだけ。

 でも、そうやなかった。


 前と一緒。

 引っ越す前と同じようにデスクが並んで、パソコンが置かれてて、『みんな』が仕事してた。

 

『みんな』やで。

 社員の全員が、そこに居って普通に仕事してたんや。

 

 見慣れた光景やった。

 多分ロム提出前とか、やったかな。それに近い感じやった。


 それをぼうっと見てると、また別の奴に声をかけられた。

 パソコン壊れてるから、はよ見ろって。


 しゃあなしで、自分の机に向かった。

 かつての記憶を頼りに会社の中を歩いてったら、確かに俺の机らしきものがあった。

 机の上にはパソコンがあって、覗き込んだらおなじみの青い画面が広がっとった。

 どうしよかなと思ったけど、とりあえず適当に操作して、ちょっと対応した。


 そんで、これからどうしたもんかと思ってたら、横にどかっと誰かが座った。

 堂島先輩やった。

 タバコから帰ってきたらしい。

 

 カタカタ横からキーを叩く音が聞こえてくる。

 俺がその音を聞きながら考え込んでると、堂島先輩に『なんや、なんかあったんか』って話しかけられてな。

 なんかあったも何も、って思ったけど、邪険にすんのもと思って『今作ってるゲームどう思います?』って聞いてみた。


 俺の横に堂島先輩が座ってた時は、また違うゲームを作っててな。

 そんで、そのゲームっちゅうんが、どうにも気に入らん所がいくつかあったんや。

 けど、クライアントがごり押ししてきて、結局その気に入らん仕様のまま、リリースすることになった。


 堂島先輩は当時、その仕様について、特に何か言う事は無かった。

 けど、ほんまは先輩も気に入らんやったんとちゃうんかって。

 せやから、いい機会やと思って、その事を聞いてみたんや。


「どういう意味や?」

「いや、バトルの仕様で意味わからん所あるやないですか。クライアントからこれで行きたいって言われてますけど、正直俺は納得してないんすよ」

「何のことや?」

「いや、だから――」


 って、そこで先輩のほうを見た。

 こっちを見つめ返す先輩が目に入って、それと一緒に先輩のパソコンの画面も見えた。

 真っ黒な画面が映ってた。

 というか、よくよく見たら電源も入ってないみたいやった。

 せやのに先輩の指は、キーをせわしなくたたき続けている。顔はこっちを見ながら。


 なんや、これ。

 途端にぞぉっとして、俺は『ちょっとトイレ行ってきます』って言うて席を立った。

 立ち上がって、廊下に出るまで横やら後ろから視線がザクザク刺さってるのが分かった。

 教室から勝手に出ようとしてる不良を、クラスメイトが目で追ってるみたいな感じやった。


 扉を開けて廊下を出て、そのままスタスタ、トイレに向かって個室に入った。


 ――今にして思えば、何で律儀にトイレに行ったんやと思うわ。

 まぁ、ええわ。

 そんでトイレに座って、この状況について考えた。

 俺は狐にでも化かされてんのちゃうんかって。

 でも、こんな都会のど真ん中に狐なんて出よるんか?

 それか盆やから先輩が帰って来てるんか?

 いや、それやったら他の皆は何なんや。

 何でこんな所に居るんや? まさかドッキリか?


 酔いもあってか考えがよう纏まらんまま、少し経ったくらいか。

 俺はスマホを取り出して、会社に電話した。もちろん引っ越した先の会社の番号や。

 さっき見た皆が、今も会社に居るんか確認しようと思ったんやな。

そしたらな、「もしもし」って、あの後輩の子が出たんや。


もう頭が真っ白になってな。

アカン、ここ出よって。


 そんで、個室の扉開けて、トイレから出たら――真っ暗やった。

 廊下の電気が全部消えてた。


 どういうこっちゃ、て頭が追い付かんうちに「木原、帰ろう」って。

 堂島先輩が一個だけついてる小さい灯りに、照らされて廊下に居った。

 ついてる灯りは多分警備員の巡回の時用のもんみたいで、ほんまにわずかに光ってるくらいで、先輩も真っ暗な中で顔だけがぼんやり浮かんでるみたいやった。


 その状態で俺に「帰ろう」って言うんや。


「さっきまで仕事してましたよね?」

「みんな帰ったよ」

「いつのまに帰ったんですか」

「でも0時以降にはみんな帰るやろ」


 微妙にかみ合わん会話が続いた。

 

 そんで、暗闇の中で何かが動くのが見えた気がした。

 ヒモみたいな何かがうねうねしとるような。

 それが先輩の胴体あたりから出とるように見えた。


「なんで帰らへんの?」

 

 ほんで、暗闇に浮かんだ先輩の顔が、俺にそう聞きながら、ずずずって音を立てて俺に近づいてきた。

 

 おかしいやろ?

 こつこつ、やったら分かるけど、ずずず、やで?

 何かを引きずりながら、こっちに向かって来とる。

 暗闇ん中の先輩の顔以外がどうなってるか。俺からは見えへんそれが、ほんまに人間のそれと同じやったんか。


 俺は『ソイツ』に、もうすっかりビビッてもうてな。

『すんません!』って叫んで、回れ右して走り出した。後ろにはちょうど非常階段があってな。それ使ってここから出ようとしたんや。


 ダッシュで階段に続く扉を開けて、階段を慌てて降りてった。


 階段は鉄で出来とったから、俺が降りるたんびに、カンカンカンカンカンって音が鳴った。

 ほんでそれに混じって『なんでそっち行くん?』『なんで?』『そっちが正解なん?』って声が後ろから追いかけてきた。


 べちゃ、べちゃ、べちゃ。


 気味の悪い音と一緒に、そいつは俺の後ろを追ってきたんや。

 振り返って見たわけやないけど、確かにすぐ後ろにおるんは分かった。

 視線というか気配というか。とにかく、そういうのんを背中から感じ取ってた。


 ほんで、最後の踊り場を抜けた所で、俺は階段の手すりを掴んで、横から飛び降りた。一番下の出口は、確かこの時間は鍵が掛けられてるっていうのを思い出したんや。


 俺は裏口に飛び降りた。

 掌と膝に砂利が食い込んで、えらい痛かったけど、そのまま走った。

『ソイツ』はそんな芸当が出来へんのか分からんけど、どうやら階段におるままみたいで、俺が走るにつれて『なんで?』『なんで?』って声がどんどん遠くなってった。


 裏口を抜けて、大通りに出た所で声も聞こえんようになった。

 そんで、そのまま振り返らんと家に帰った。


◆◆◆


 木原氏は話し終わると芋焼酎のロックをあおって、僕に話の感想を尋ねた。

 忖度のない感想を述べると、彼はにっこりと笑った。


「ちなみに、その前の会社ってどこなんですか?」

 と僕が尋ねると、彼は一枚の紙を渡してきた。


 名刺だった。

 色あせていて、刷られてから年月が経っていることが伺える。


 僕はそれを受け取り、その日はそれで解散となった。


 数日後。

 休みを利用して、僕は木原氏からもらった名刺に書かれた住所を頼りに、件のビルに向かっていた。

 

 思いのほか家から近い所だったので、地下鉄を二回ほど乗り換えるだけで、目的地に着くことが出来た。

 時刻は昼過ぎごろなので、怖さも何もないのだが、まぁ、とにかく気になったので少し足を運んだのである。

 帰りにはこの辺りの店で昼食を取ろうという魂胆もあった。

 

 しばらく名刺を片手にうろうろしたところで、それらしいビルの前についた。

 正面には『■■■ビル』と彫られた表札があり、名刺に書かれていたビルの名前とも一致する。



 五段ほど敷かれた階段を少し登って、一階入り口側に置かれたテナントの一覧を見る。

 見ると、三階部分の枠には何も書かれていなかった。空いたままなのだろう。


 とりあえず、周りぐるっと回って、それで終いにしよう。

 そう思い、僕はビルに背を向けて階段を下りた。


 さすがに、中に入って三階を見に行くつもりはなかった。不法侵入だからだ。

 階段を下りて、道沿いに少し歩いた所で、何か背中に視線を感じて振り返った。

 誰かいたのかと思ったが、僕の後ろには誰も追わず、昼過ぎの大通りを少し外れた静かな街並みがあるだけだった。


 しかし、どこかから、誰かに見られているという気がして、まさかとビルのほうを見やった。

 だが、そこにも誰もいない。


 そこで、すぅーっと僕の視線が上に上がった。

 そこに誰かが居ると思ったわけではなかった。

 ただ、何となく、そういえば三階だったよなと、視線を上に上げたのだ。


 目が合った。

 三階の窓にずらりと並び、こちらを見下ろす大勢の人々が僕をじぃっと見ていたのである。その中にガタイのよい肌の焼けた、金髪の男性もいた。


 それが木原氏の言う、堂島先輩かは分からないが、どうにも気味が悪くなり、僕は外を見て回ることなく、そのビルを後にした。

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