ユーザー対応


 ソーシャルゲームと聞いて、読者の皆様は第一に何を想像するだろうか。

 ガチャだろうか。あるいはイベントだろうか。


 僕は『ユーザー対応』を想像する。


 ソーシャルゲームというのは、コンビニである。

 コンビニといえば常に空いていて、中に人がいて、お客さんに対して接客をする。そういうものだ。


 ソーシャルゲームでは、接客の部分はコンビニほど熱心には行わないが、しかしトラブルがあれば即座に対応をしなければならない。

 例えそれが目出度い正月だろうが、休日の夜中の3時だろうが。

 トラブルが起こればたたき起こされ、会社までえっちらおっちらと出勤し、目ボケ眼で状況を整理しながら、不具合を特定し対応をしつつ、終了後の補填についても決定する。

 出している商品に不備があったのだから、当然と言えば当然である。


 正直ぞっとしない話だ。

 僕はソーシャルゲーム運営の経験が何度かあり、それなりの歳にもなり知見も増えたが、それでもやはり、ソーシャルゲームなんてものは人間がやるもんじゃない、と思っている。


 僕が運営をしていた案件では、僕が開発をしつつ、ユーザー対応もこなすという、業界的にはハッキリ言ってあり得ないことをしていた。

 普通、ユーザー対応は専門の会社に依頼する、あるいはチーム内で分けるものだ。


 毎朝、出社してメールを確認し、ユーザーからの不具合報告が無いかをチェックするのが日課としていたのだが、運営開始から2か月ほどで、僕はもうその日課がすっかり嫌いになってしまっていた。

 

 さて。

 僕がそんな無茶苦茶な運営をしていたのも、ある程度は笑って語れるくらいには過去になったある日。


 僕は一人の男性と出会った。

 その日は金曜日で、僕は友人と二人でなじみのバーに顔を出していた。

 時刻は深夜2時。

 薄暗い店内に人は多く、カウンターはすっかり埋まっていた。

 その中で僕の隣だけがぽっかりと開いている。

 友人の席だ。

 つまみが無い、と言って買い出しに行ったのだ。この店ではよくあることだった。


 友人がいないまま、僕は空になったグラスを前に出し、次の酒を頼もうとメニューを取った。

 と、メニューを取ろうとした手が、別の横から伸びてきた手に触れる。


 あ、とどちらのものとも取れない声がした。

 横を見ると、ちょうど20代の後半くらいの男性がいた。

 濃いブラウンのジャケットに、グレーのシャツを着ていて、がたいも良く、店の中が暗いせいではっきりは分からないが、肌も焼けているようだった。


「どうぞ」

 男性が手で促す。

「あぁ、すみません」

 言われるままに、僕はメニューを手に取る。

 さっとページを開いて、手早く次の酒を選ぼうとメニューの中から酒を探す。

 次がつかえていると思うと、何だか妙な焦りがこみあげてくる。


「あの……怪談、お好きなんですか?」

 と、男性。


 実はこの店は二件目で、僕も友人もお互いに良い具合に酔いが回っていて、そのはずみからか、僕は調子に乗って怪談をぼんやりした頭で喋っていたのである。

 途中でオチを忘れるなど、惨憺たるものだったが、どうやらこの男性はそれを聞いていたらしい。


「えぇ……まぁ……」

 と僕が、どこか恥ずかしさを感じながら返事をすると男性が僕のほうに、がたっと椅子を近づけてきた。

「……なら、少し聞いてもらいたい話があるんですけど、いいですか?」


 いつもなら、僕が相手に『何か怖い話はありませんか』と尋ねるところを、その男性は聞いてくれと言ってきた。

 その時、僕の脳裏には聞いてしまうと呪いがかかってしまうという、そういう類の話かなと思ったものの、しかしこの男性がどんな話を言いたいのかが気になって、その要求を突っぱねる事をしなかった。


 以降は、その男性が語った話を、話を聞いてすっかり酔いがさめた僕が書き記したものだ。

 なお、以降の文章に記載している人名については、全て僕がつけた仮名である。


◆◆◆


 ある所に世良武(せら たけし)という男がいましてね。

彼の仕事はソーシャルゲームのユーザー対応で、務めている会社もその業界では有名な会社でした。


 さて、ある日のこと。

その日もいつもの仕事で、メールを確認していると、その中に一通の妙なメールが届いていました。

 不具合報告でもクレームでもなく、本文にはただ『いまどこ?』という一文だけ。

 世良はそのメールを従来に対応のものから外し、送信ミス、あるいはスパムに分類しました。まぁ、実際、そういうメールがユーザー対応のメールとして届くことも珍しくなかったようです。


 ただ、その翌日も『近くに何がある?』『どこにいるの?』『会いたい』など、同じ類のメールが届き続けた。

 世良はこれを上司に報告し、このメールの送り主をブロックすることにしました。

 これも一般的なスパムメールへの対応です。


 ですが、それ以降も何の変わりもなく、同じような文面のメールは届き続けた。

 もっともスパムメールの中には、自分のアドレスを変えてくるものもあります。

 彼はそのメールも、おそらくそういうものだろうと、そう思ったのです。


 しかし。


『世良君』


 メールがもうすぐ50通になろうかというころ。

 突如として、自分の名前がメールの中に出てきたのです。

 アドレスは今までの、迷惑メールのアドレスと同じ。これは一体、どういうことなのか。

 世良はその時、かつてのメールの文面が、実は自分宛だったんじゃないかと思い始めました。


『近くに何がある?』

『どこにいるの?』

『会いたい』


『どこにいるの?』


 ゲームのユーザー対応に届いたメールは、実は全て自分宛に届いていたのではないかと。

 誰かは分からないが、自分を探しているのではないかと。


 ただ世良はこのことを上司には、その時に報告しませんでした。

 彼はメールの中に自分の名前が入っていたことを、一種の情報漏洩と考えていたようです。ゲーム業界というのは、機密情報を取り扱うことが多く、そういった情報を外部に流さないよう徹底している業界です。

 仮に自分のミスで情報漏洩が起こったとなれば、自分の立場が危うくなる。

 世良はそう考えたのでしょう。


 だからこの気味の悪いメールを、自分の胸の中だけにしまった。


 最初にメールが届き始めた夏から、秋になろうという頃。

 ある雨の日のことです。


 世良の家は、あるアパートの三階にあるのですが、アパートの入口の電柱の影に赤いレインコートを着た髪の長い女がいるのを、帰宅途中に見かけたのです。

 その女は電柱の傍でゆらゆらと揺れながら、アパートの入口のほうを見ていたそうです。

 遠くから僅かに覗き見える横顔には精気がなく、白い肌を雨に濡らしながら、ぶつぶつと何かを言いながら、そこに立っていました。


 あまりに気味が悪く、世良はとっさに迂回し、アパートの正面玄関ではなく裏手の入口から帰宅することにしました。


 ただ、女が出たのはその日だけではありませんでした。

 それ以降、雨の日は必ず、赤いレインコートの女はアパートの前に現れるようになったのです。

 しかも、だんだんと電柱から離れていき、アパートに近づいていくのです。

 

 

『世良君』

『世良君』

『世良君、どこにいるの?』

『どこに住んでるの?』


 出社すれば妙なメールが届き、帰れば得体のしれない不気味な女が居る。

 世良はすっかり参ってしまいました。

 とうとう、彼は上司にそのことを相談しました。

もっとも、普通に他人に相談できるような内容でもありませんでしたから、酒の席でつい漏らしてしまった、という感じです。

 

「メールの送り主、その赤いレインコートの女なんじゃないのか?」

 上司にそう言われて、世良は力なくうなずきました。

 彼はそこでぽつぽつと、彼の過去について語り始めました。


 彼には高校時代に付き合っていた恋人がいました。

 ただ彼が大学に上がるころには、ある理由から別れることになりました。

 

 で、彼が言うにはその赤いレインコートの女というのが、その時に振った彼女なんじゃないかというのです。

 振られた女が、振った男に復讐に……というには何とも手垢のついた話ですが、それだけによくある話です。


 上司は彼に「だったら電話して確かめてみろ」と言いました。

 会社としてはもし本当に、世良の彼女がそういう目的で動いているのであれば、会社として守る必要があったからです。

 ちなみに世良が言うには、去年の同窓会で自分の職業について、周りに言ったそうです。

 彼はどこまで言ってしまったかまでは白状しませんでしたが、結果を見れば明らかでしょう。


 ともあれ、彼は地元に電話し、別れた彼女の事について聞いてまわりました。

 彼女はすでに電話番号を変えていたようで、つながらなかったのですね。


 ただ、そこで妙なことが分かります。

 彼女はもう5年前に死んでいるのです。

 死因は溺死。大雨の日に川に滑って落ちて、そのまま溺れて死んでしまったのです。

 ニュースにもなったようで、佐藤京香(さとう きょうか)という恋人の名前はネットの事故の記事にも載っていました。


 幽霊だ。

 世良はそう思いました。

 きっと彼女は、生前の恨みで化けて出てきたのだと。

 あのレインコートも、事故の当日に着ていたものではないか?


 最初に女を見かけてから、気づけばもう女はアパートの中に入り込んでいました。

 三階の端から、一日ごとに一部屋ずつ、世良の部屋へと迫って来ていたのです。

 世良の部屋は、その階のちょうど真ん中にあり、女が現れた時から雨の日は出勤しないようになりました。


 五回目の雨の日にやってくる。

 残りの部屋数を数えた世良はタイムリミットを定めました。

 ならば、そのタイミングで自分は別の所に行けば、女をやり過ごせるはずだと。

 早速彼は近くのホテルの手配と、直近の天気について調べました。


 タイムリミットを決めてから二回目の雨の日。

 こんこん、と扉が叩かれました。

 隣の家の人間だろうかと、彼は玄関までいき、はっとして動きを止めました。


 まさか……。


 いやしかし、そんなはずはない。

 まだ雨の日は二回目です。自分の部屋の前にはいないはずです。


 だからきっと、この扉の向こうにいるのは隣の部屋の人間で、回覧板でも回しに来たのだ、と。世良は自分にそう言い聞かせました。

 それに、そんなに怖いのなら無視してしまっても良いのです。

 

 心を落ち着けながら、扉の前で立ち尽くします。

 開けるべきか否か。

 いや、その前にドアスコープを覗くべきか。


「すみません」

 扉の向こうで声がした。子供の声だった。

 声色からして少女だろうか。

 やけに元気な声だったそうです。


 何だか気が抜けてしまって、世良は気が抜けてしまって扉を開けました。

 ですが、そこには誰も居ません。


 そして。

 ぞくり、と背中を百足が這い上がるような怖気がして、振り返るとさっきまで自分がいた部屋から、ぺた、ぺた、ぺた、と。

 あの赤いレインコートの女が、ゆっくりと出てくるのです。

 

 ぺたぺた、ぺた、ぺた、と。

 濡れた足でフローリングの上を歩いて、足跡をしっかりと残しながら、女が世良に近づきます。


「京香……! 京香、ごめん! 違うんだ!」

 世良は必死に叫びました。

 もうすっかり腰が抜けてしまって、世良はドアを背にその場に座り込んでしまいました。

 女は座り込んだ世良に近づいて、屈んで、そーっと手を伸ばします。


 世良は、迫りくる女の顔を、フードの奥に見たそうです。

 そこで世良は気づいたのです。

 女の顔は、死んだ恋人に面影はあっても、本人ではないと。

 京香の顔には、左目の下に黒子がありました。

 ですが、目の前の女の顔にはそれがありません。


 では、何故。


 世良がその問いの答えを得る前に、女は姿を消していたのだそうです。

 それ以来、女は世良の前に現れることもなくなり、事件は一応の決着を迎えました。


 ただ、その数日後、世良は交通事故にあい、左手を切断。

 さらに数か月後には別の事故に遭い、右足を切断することとなりました。


◆◆◆


 全てを語り終えた男性が、オチが無くて恐縮です、と笑う。

 僕はすっかり水割りになってしまった、元ウィスキーのロックを飲んで、いえいえ、と返事をする。

 実話怪談とは基本、綺麗なオチなど無いものだ。

 ただ、僕はオチ云々とは関係なく気になった所があったので、それを男性に聞くことにした。


「お話に出てきた上司ですが……あなたの事ですか?」

 途中、明らかにその場に居たような口ぶりだったので、僕は気になっていたのだ。

「いやはや」

 ははは、と男性が苦笑する。

「えぇ、まったく。はい、世良は私の部下でした。ちょうど私の妹と同い年で、弟のようにかわいがっていたのですがね。この話も、彼に直接聞いたものなんです」

「なるほど……。では、メールはどうなったのですか? 途中からレインコートの女の話ばかりになりましたので」

「メールなら途中で来なくなったんですよ」

「いつくらいからでしょうか……?」

「うーん、さて……。結構、気になりますか?」

「えぇ。やっぱり部屋にいきなり来たのが気になりまして……。なぜ女は急に世良さんの部屋の前に来たのか……」


 話を思い返す。

 メールの文面は全て、世良さんの居場所を聞くものばかりだった。

 なら。

「もしかして、誰かが世良さんの場所をメールに書いて返信したんじゃないですか?」

「ほう……。ですが、なぜそんなことを? 動機はなんでしょう」

 男性にそう言われて、僕は押し黙る。

 正直、遊び半分に、程度しか理由が思いつかなかったからだ。


 ただ、いくら実話怪談といっても、この話には腑に落ちない所が多すぎる。

 そもそも、あの赤いレインコートの女は誰だったのか。

 メールの件は抜きにしても、そこは何とか正体を知りたいところだ。

 それに、扉を開ける前の少女の声。


 考え込む僕の前で、男性が穏やかに笑った。

「胎児が化けて出てくるとしたら、どんな姿だと思います?」

「え?」

「胎児です。――いや、水子といったほうが適切でしょうか。人間になる前の彼らが幽霊となるなら、どんな姿になるんでしょうか、ねぇ」


 男性が落ち着いて、穏やかに、その言葉を言う。

 僕は何だかその男性に言い知れぬ恐怖を感じてしまって……。


「ただいまー」

 と背後で友人の声がした。

 振り返ると友人が両手にコンビニの袋を抱えて帰って来ていた。


「ポテチいる?」

 ん、と差し出された袋を、僕は思わず受け取ってしまった。

「……買いすぎやろ」

「しゃーないやん、ここつまみないねんから」

 ポテチの袋をカウンターに置いて、腹を開く。

 

「あ、良かったら一緒に」

 とさっきまで一緒に話していた男性のほうに振り向くと、もうそこに彼の姿は無かった。

 いつの間にか会計を済ませて、出て行ってしまったらしい。


「ガイさん」

 とカウンターの中の店長が、僕に話しかけてきた。

「さっきの人、知り合い?」

「いえ、ついさっき知り合ったばかりで……」

「あー、実は入った時に名刺貰っててな、ほらこれ」

 店長が僕に名刺を差し出す。


 会社の名前は、僕も知っているユーザー対応専門の会社の名前。

 役職も部門長と書かれていた。


 名前には、佐藤彰隆と書かれていた。

 ありふれた苗字だ。偶然なのかもしれない。

 ただ、ならば彼は何故急に水子の話をしたのだろうか。


 そして、もしそれが別れた理由なら――メールを返信する動機はあったことになるのだ。

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