神の如き奉られるもの
スマートフォン用アプリ、『ポケモンGO』が出た、2016年の夏。
僕もご多分に漏れず、スマホを片手に会社から自宅までの道のりをぶらぶらする日々を送っていた。
スマホのGPS機能を使った位置情報ゲームとしては、ポケモンGOを出した『Niantic社』から、『イングレス』というゲームが以前に出ており、そのアプリも僕はプレイしていたが、こちらはどちらかというと知る人ぞ知る、というようなゲームになっていた。
あまりに目新しすぎて、その面白さがイメージしにくかったのだろう。
だから手を出す人が少なかった。
ただ、今回はポケモンである。
どこそこの公園にピカチュウが出た。
どこどこのスーパーにはイーブイが居る。
行けばそのポケモンをゲットできる。
という風に、自分がする体験とその結果が分かりやすくなっていた。
ポケモンはもともと、ゲームボーイで出ていたゲームで、そのコンセプトは「虫集め」である。ここまで元のゲームとマッチしたものも無いだろう。
――という分析もほどほどに。
僕も当時はすっかりこのアプリに夢中になっていた。
(ちなみに僕の家の近所ではポリゴンが出た)
さて。
アプリ業界というのは、良くも悪くもハングリー精神が強い業界で、こうしたヒット作が出ると、必ず二匹目のどじょうを掬いに行くものが現れるのだ。
要はシステムやコンセプトを丸パクリしたアプリが作られるのである。
僕はそういったアプリの開発には参加しなかったが、専門学校時代の友人がそのアプリの開発をしている、と呑みの席でこぼした。
金曜の夜にその友人から誘いがあり、久しぶりに一緒に酒を飲むことになった。
互いの近況について語る段で、彼から先の話があったのだ。
「ほんでな、今日お前を誘ったんは、お前が好きそうな話を聞いたからなんや」
と友人が口につけたビールのジョッキをテーブルにおろしながら言った。
以下はその友人『三枝(さえぐさ)』が語った内容をまとめたものである。
◆◆◆
俺が今やっとるんは、ポケモンGOのパクリアプリやって、さっき言うたやろ?
まぁ、丸っぽパクっとるのんを作るのは、プランナーとしては癪ではあったんやが、GPSを使った位置情報ゲームを作れるんは、まぁ悪くなかった。
ポケモンGOがどんなふうに動いてんのか、興味あったしな。
そんでしばらく開発進めていく内に、一個問題があってな……。
いや、問題や言うても、最初から分かってたことやねんけどな。
ポケモンGOやったら、ポケストップあるやろ?
モンスターボールとかもらえる場所。
あれって、どっかの公園とかスーパーとか。
人が普段から集まる、行くような場所に設定されてると思うねんけど、それを設定せなアカンかった。
ポケモンGOは、Nianticが作ってて、そういう設定はイングレスから持ってきてるらしいけど、俺らにはそんなんないから。
まぁ……やから、企画がどうにかして作っていったんや。
しんどかったけど、あれはあれで楽しかった。
卓上旅行? っていうんか。
まぁ、そんな感じで。
ほんでしばらくしたら、上司からリテイクが一か所だけ入ってな。
『S神社』って所。
ポケモンGOとかやったら、あんまり人が集まってほしくないところには、ポケストップを置かないように、とかあったと思うねん。
俺もそれは知っとるから、そういう場所はなるべく避けて、でもある程度、村おこしっていうんか。
そういう感じで、気持ち寂しい田舎には、気持ち多めに置くようにしたんや。
アプリ出たのに、遊ばれへんのはおもんないからな。
それで、その神社にも置いとったんやけど、そこがどうやら置いたらアカン所やったらしかった。
別に、特別厳かな所でもないし、変に寂れてるわけでもない。
地元の人が普段から使ってるような所。
でも、上司から『この場所はよくない』って言われたんや。
――アカン、やったら分かる。
でも、良くないってなんや、と俺は思ったんや。
そんで、俺はネットでその神社の名前入れて調べたんや。
そしたら、どうやらそこは心霊スポットになっとるらしい。
なんでも古い着物を着た女の幽霊が出るんやと。
ちょっと話ズレるけど、犬鳴トンネル……やったかな。
あそこも心霊スポットとして人気やったけど、確か嘘やったんとちゃうかな。
昔、あそこに暴走族がたむろしてて、それで近所迷惑やったから幽霊話を流したとか。
テレビで言うてたわ。
あぁ、ほんでや。
なんか知らんけど、どうにもその神社の噂が気になってもうてな、休み使って行ってみたんや。
言うて近くやし、そろそろあの辺行ってみたい思ってたから。
ほんで友達何人か連れて――いや、お前も誘ったって。お前その日休日出社するから無理って断っとったけど。
ほら、夏の、お盆の時の。
夜を待って、その神社にみんなで行った。
だいたい夜の1時くらいやったかな。
鳥居もしっかり二つあって、参道もキレイ。周りに鎮守の森があってさらに奥には山があって……と、とにかくしっかりした神社やった。
今でも誰かが使ってるみたいで、心霊スポットになりそうな、廃神社って感じでもなかった。
しばらく懐中電灯で前を照らしながら、ザッザッて歩いてったら、あっちゅうまに拝殿までついてもうてな。
特に変な音が鳴るとか、気分が悪くなるとか、そんなんもなし。
なんかみんな拍子抜けしてもうてな。
どこ見ても変なもんは無いし、ほな帰ろかいうて振り返ったら――。
参道の狛犬の所におったんや、女の子の幽霊。
もうベタやけど、白い着物着たやつで、髪型はおかっぱ頭やったかな。
手には手製の手提げ袋持っとった。
足はあるし、はっきり見えるから、一瞬人間やと思ったけど、違う。
その子の首、90度、横に折れとったんや。
首折れたまま、こっち見とるんや。
他の奴も同じもん見たらしく、びっくりして声上げとった。
怖いから逃げたい……とは言うものの、後ろは拝殿で、その奥は鎮守の森。
さすがにそこに逃げ込むんは嫌やと思ってな。
ほんで腹くくって、その子の横を走り抜けたんや。
ほんなら、走ってる途中で参道の両脇から白い手が伸びてるんが見えてな。
そんなん無視して走ろう、思っとったんやが、とうとう気になって、ちらっと見てもうたんや。
そしたらな。
いっぱいおったんや、幽霊。
全部女の子で、みんなどっか体怪我しとった。
最初の子みたいにどっかが折れとる子も居れば、千切れたみたいになっとる子も居った。
そんで、みんな白い着物で、おかっぱ頭やった。
見た時、変な声出てもうたわ。
ほんで、そいつらが全員こっちに向かって手ぇ伸ばしてきて掴もうとしてる。
全然届いてないから捕まることは無いと思ってんけど、それでも俺はそん時、そいつらが俺らの事を認識して捕まえようとしてる、っていうのがどうしても怖くてな。
結局、その神社から逃げて車に乗り込んで、どっかのファミレス入るまでは全員黙っとったわ。
◆◆◆
三枝の話を聞いた僕は、その時はネタ帳にその話を書き込んでおくに留まった。
当時は別に怪談を書くようなこともしていなかったので、三枝のエピソードは友人が体験した怖い話、という形で記憶されたのである。
それから数年が経ち、僕も仕事に慣れてきて、社外にも知り合いが出来るようになった。
「ガイシさんって、怪談お好きなんです?」
飲みの席で、僕にそう訊ねてきたのは『川原』という男性だった。
その日はちょうど、僕が携わっていたゲームの打ち上げ会をしていて、チームメンバー全員で宴会を開いていたのだ。
川原は社外のスタッフで、何の縁か、三枝の会社の人間だった。
聞けばどうやら彼の上司をしていたこともあるらしい。
怪談、という単語を彼の口から聞いた瞬間、ふと三枝の話を僕は思い出した。
おそらく、怪談と彼が三枝の上司だった、ということから無意識に連想したのだろう。
ダメ元で三枝から、かつて作っていた位置情報ゲームでとある神社の設定についてリテイクがかかった話を川原にすると彼は、あぁ、と思い出したように呟いた。
「そこ、止めるよう言うたの俺なんですよ」
「やっぱ、心霊スポットやったからです?」
「それもあるけど、あそこね、ちょっと変なとこなんですよ」
そう言って彼は、幼少期にその神社で自身が体験したことを僕に語ってくれた。
以下はその時の話を、僕が小説の形式でまとめたものだ。
◆◆◆
川原敦(かわはら あつし)は、学生時代の大半を東京で過ごしたが、父親の仕事の都合で、小学4年生の一年間だけ父方の実家の田舎で暮らしていたことがある。
当時は父の仕事の都合と聞かされ、そのように受け止めていたが、大人になった今では、その理由が全てではないと敦は悟っていた。
彼は苛められていたのである。
小学校ならどこにでもある、よくある話だ。
だが彼にとってはそれが全てだった。
仕事の都合、というのも本当はあったのかもしれない。
だが、実際の所は敦のいじめを両親が感じ取っていて、それが一時的な引っ越しを決める理由の一つになっていたのだろう。
夏休みが始まる少し前に、敦たちは父方の実家に引っ越すことになった。
父の実家には、祖母と祖父の二人が居て、両親が忙しい時にはよく相手をしてくれた。
初孫ということもあって、祖母も祖父も敦を大変かわいがった。
そんな日々に、敦は自分の心の中が満たされていくのを感じた。
新しい小学校にも通い始めた。
正直、また苛められるのではないかと内心びくびくしていたが、新しいクラスメイトたちは、都会から来た敦を珍しがり、彼に仲良くしてくれた。
聞けばクラスメイトが都会に引っ越してしまったらしく、少し寂しい思いをしていたところだったのだそうだ。
田舎での生活に最初は不安があったが、いざ始めてみると、そんなものは消し飛んだ。
学校が終わると敦はクラスメイトたちと、近くの山や森で遊んだ。
大人たちに了解を得ている、ごく狭い範囲の場所ではあったが、敦の目には大きく広がる自然の姿がどれも美しく映った。
中でも敦のお気に入りは『S神社』だった。
引っ越してきたばかりの日に、周囲を母と散策した時に見つけた神社である。
三方向を鎮守の森に囲まれた、厳かで静かな空間。
人の話し声は時折聞こえても、それも決してうるさいものではなく、聞こえるのはすぐに虫たちの鳴き声と木々のざわめきだけになる。
心が洗われる、というのはこういう事を言うのだろうか、と幼い敦はその場所に、神秘的な魅力を感じていたのである。
まるで、この世界から隔絶されたような――多少大げさではあるものの、敦はそのように思っていたのだ。
敦が住んでいた都会では、まず存在しない空間だった、というのもあるのだろう。
都会において、静かな場所、というのはそう存在しない。
いずれにせよ、敦はその場所を気に入り、よく行くようになった。
ただクラスメイトたちは誰もその神社には行こうとしなかった。
理由を聞くと、大人たちにあまり行かないほうが良いと言われたそうだ。
どうして大人たちがそんなことを言ったのか。
その疑念はあったものの、しかし敦はその神社に行くことを止めなかった。
夏の間は、都会では見ることのできない珍しい虫が鎮守の森にいて、敦はそれらを捕まえたかったのである。
夏の間はそうして虫取りを満喫した。
秋になると虫の声が無くなり、一層静けさが増した神社を、より魅力的に感じて足を運ぶようになった。
何をするでもなく、拝殿から鎮守の森をぼんやりと眺めながら、近くで買ってきたサイダーを飲んでいた。
「でもな、あっちゃん。冬は行ったらあかんよ」
十一月の末ごろ、さすがに寒かったので家のこたつで温まりながら、祖母と話していると、不意にそんなことを言われた。
祖母は自分が神社に行っていることは知っていたが、特に咎めはしなかった。
おそらくは、多少の気を使ってくれていたのだろう。
都会にはない、厳かな空間。
そこに子供が興味を示すことに、好意的だったのだ。
だが、そんな祖母も、冬は神社に行ってはいけないと、そう言いだした。
「なんでなん?」
クラスメイトたちの理由は、聞き流していたが、祖母の言葉だけは、どうにも引っかかった。
なぜ冬は駄目なのか。
「冬は食いもんが無いからなぁ」
と祖母の返事は、どうにも要領を得ないものだった。
「おなか空くん?」
「うん。おなか空くんや。冬は食いもんないから、おなか空いとるんや」
せやからな、と祖母がこちらをじっと見つめた。
「行ったら間違って喰われてまうからな」
最後に、あかんで、と祖母が念押しをして、この話は終わりになった。
学校が冬休みに入ると、クラスメイトたちと一日中遊ぶようになった。
外は寒いから、時々で、大半は誰かの家の中でゲームなどして遊んでいた。
その日は、健太というクラスの中でもリーダーのような少年の家に、六人程度が集まって遊んでいた。
交代でファミコンのゲームをする中で、その健太がおずおずと言い始める。
「あっちゃんさ、あの神社、ほんまに行ってるん……?」
健太の声で、部屋がしんと静まり返る。
気づけば、みんなテレビではなく、敦のほうを向いていた。
「う……うん……、でも最近は行ってないよ。冬は行ったらあかんって、おばあちゃんに言われたから……」
「どんなとこやった?」
「どんな、って……。普通の神社やったで。汚くもないし、キレイやったし……」
「そうか……」
しばらく健太は考えるようなそぶりをして、それから何か決意を固めるように、静かに大きく息を吸い込んだ。
「ほなさ、夜、みんなでいかん?」
健太が言うにはこうだった。
健太たちも昔から、あの神社の事が気になっていた。
けれど、大人たちはあの神社には近づくなと行っていた。
だが、そう言われれば、より一層行きたくなるのが人情だ。
そうして過去、みんなで一度忍び込んだことがあったのだが、その時もやはり先の敦が言ったように、特になんの変哲もない、普通の神社だったのだと言う。
拍子抜けして家に帰った彼らを待ち受けていたのは、大人たちの説教だった。
どうやら、忍び込む途中で誰かに見られていたらしい。
彼らにしてみれば、空振りに終わった挙句、説教をされたという、さんざんな結果となった。
以降、説教の事もあってか、神社のことをどこか敬遠していたものの、彼らも敦の祖母と同じように『冬は行ってはいけない』『喰われるぞ』と別の大人たちから改めて、念押しされたのだそうだ。
ただ、その説教の間も健太たちは『何かを見るなら冬だ』と考えていたらしい。
実際、どの家の大人たちも冬には行くなと言っていた。
「せやけど、熊かもしれんやん」
と敦が言うと、
「熊なんか出やへんよ」
「見たことないなぁ」
「喰われるって、あれちゃうんか。ソイツ、熊喰っとるん違うか」
「ソイツってなんや」
「ソイツはソイツや。喰うやつや」
「あの神社には、化け物がおるんや」
部屋の中の誰かが言った。
それは部屋の中のみんなが思い描いていた仮説だった。
結局敦たちは、その日の夜中に家をこっそりと抜け出して、神社に行くことになった。
親が夜遅くまで起きているものは、抜け出すことが出来ないので、不参加となり、行くことになったのは、敦と健太、それから他2名ほどだった。
深夜。
敦はこっそりと家を抜け出した。
二階の自室から階段で降りる際は、きしむ音がならないように必死だった。
「来たか」
家を出て神社の一の鳥居の前まで来ると、すでに健太たちが待っていた。
「行こう」
仲間が全員揃っていることを確認してから、健太は鳥居をくぐった。
敦も後に続く。
鳥居をくぐって参道を歩く。
途端に凍えるような冬の寒さが、遠のいたように感じた。
まるで神社と、それを取り囲む森が熱を発しているような……。
無言で参道を進み、気が付けば拝殿までたどり着いていた。
夏や秋に来た時と変わらない有様だった。
違うところがあるとすれば、それは空気だろうか。
拝殿のさらに奥。
鎮守の森から、何とも言えない圧のようなものが感じ取れた。
まるで、森の中から、何かにじっと見られているような。
すると突然森の木々が、ざぁざぁと揺れ始めた。
誰かの息をのむ音が聞こえる。
敦は揺れ動く木々をじっと見つめ続けた。
「やっぱ熊かなんかおるんちゃうんか」
仲間の一人が言った。
言外に逃げようと言っていたが、健太はそれが聞こえないのか、そこから動かなかった。
「そういうことか」
健太が誰に言うでもなく、そうぽつりと言った。
とたんに、ミシミシと遠くで音がして、次いで遠くで一本の木が倒れた。
そして「あーーーーー」と森のほうから、低い男の声が鳴り響いた。
声は断続的に発せられて、徐々に遠くからこちらへと近づいてくる。
木々がソレに押し倒される。
そこが限界だった。
敦たちはすぐさまそこから逃げ出した。
出口である『一の鳥居』を目指して走り出した。
逃げ出す際、健太の姿が視界の端に映った。
彼はその声の正体を見極めてやろうと、そこにとどまっていた。
逃げろと言う余裕さえなかった。
敦は健太を置いてきていることに気づきながらも、参道を必死に走った。
ぺたぺたぺたぺたぺたぺた
後ろから何かが追ってきている音がする。
獣のような音ではない。
まるで、人の手か足かが参道に敷かれた石を触っているような音だった。
ふと背中に生暖かい空気が触れて、敦はますます必死になって走った。
すぐ後ろまで来ている。
本当にそうかは分からない。けれど振り返る余裕もない。
気づけば一の鳥居をくぐっていて、背中に感じていた気配も消えていた。
恐る恐る振り返ると、鳥居の向こうはさっき入る前に見たものと同じ景色が広がっていた。
健太はと辺りを見回したが、彼の姿はどこにもなかった。
鳥居の前には彼を除いた三人だけが居たのだった。
さっきまでのこともあり、探しに戻るという事もせず、その日は誰が言い出したわけでもなく、そこで解散となった。
後日確認すると、健太は家に帰っていたそうだ。
ただ、あの夜の事を尋ねても「知らない」の一点張りだった。
健太とは、それからどこか距離を置くような形になった。
――というか、健太自体が周囲と少し距離を置くようになったのだ。
いつも何かに悩んでいるというか……。
それから春になって、敦はまた都会に帰ることになった。
クラスでお別れ会をして、一人で家に帰っていると
「あっちゃん」
後ろから呼び止められて振り返った。
そこに居たのは健太だった。
「あっちゃんはほんまに東京に帰るねんな」
「ほんま、ってなにぃよ……?」
「ううん、何でもない」
健太の奇妙な問いかけに敦が首をかしげていると、健太がまるで自分に言い聞かせるように喋り始めた。
「俺もな、引っ越ししようと思うねん」
「どこに?」
「どこでもいい。でも、ここは嫌や」
きっぱりと、健太はそう言った。
脳裏には、あの冬の出来事があった。
嫌だと言う原因は、あれではないか。
しかし、何と尋ねるべきか。
考えあぐねる敦の前で、健太は
「ほな、ほんまに気ぃ付けて帰るんやで」
と言って踵を返して去っていった。
◆◆◆
カランと、氷がグラスの中で回る音がした。
そこで僕の耳に、辺りの喧騒が入ってくるようになった。
「どうでしたか?」
幼少期の怪談を語り終えた川原敦が、僕の前で酒の入ったグラスに口を付けた。
「怖い話でした。ただ……」
「予想と違った」
「えぇ、はい。てっきり幽霊の話かと」
「そうですね。俺もその神社の噂を聞いたときは、戸惑いました。何で幽霊の噂なんだ、って」
「ところで、その後、健太さんとは?」
「会えていません。……何でも、中学に上がるころに事故で死んでしまったとか」
「そうですか……」
僕と川原の間に静寂が訪れる。
それを破ったのは川原だった。
「健太は俺と会ったときは、別に自分の村を嫌ってはいませんでした。排他的な村の大人に対しては反抗心のようなものはありましたが、土地そのものを忌み嫌っている感じはしなかった」
「それが、事件以降は変わってしまったと」
「後になって思えば、そんな風に見えたのです。土地というか、自分たちを取り巻く環境に対して……という感じでもありましたが」
「そういえば、川原さんが遭遇したという化け物は……」
「実際、子供の頃の話ですので、何かと勘違いしたのかもしれません。ただ、あの低い男性のような声と、石畳をぺたぺたと手が触るような音……。そんな音を出す動物っているんでしょうかね」
その日はそこでお開きとなった。
僕の記憶の中では、同じ神社で起こった二つ目の怪談として、川原が語った話は記憶された。
それからさらに時が流れ。
次は僕が会社を辞めて、本格的に小説を書くようになってからの事。
怪談を集めるために、東奔西走していた僕は、ある人物と出会うことになる。
嵯峨久美子(さが くみこ)という女性だ。
僕がその時集めていたのは、土着信仰にまつわる話で、人づてに彼女がある地域の変わった信仰について調べていることを聞いたのだ。
ネットで探しても、その信仰についての情報は出ず、正直僕はそれが本物かどうかは分からなかったが、しかし行かないという選択肢もなかった。
彼女の事を教えてくれた人物から、取材の申し込みを行った。
ほどなくして彼女自身から僕宛てに返事が来た。
取材そのものに問題は無いが、個人情報については伏せておいてほしいとのことだった。
条件に付いて何ら問題ないと僕は返信した。
彼女はどうやら大阪に居るらしく、僕も大阪の人間なので、適当に梅田で待ち合わせることとし、取材は梅田駅中央口の喫茶店で行うことにした。
取材当日、僕が約束の喫茶店で待っていると、一人の女性がやってきた。
見た目から察せられる年齢は、70を超えたくらいで、年齢を先に伺っていれば、自宅に行ったものをと自らの浅慮を恥じた。
わざわざこんな所まで、と謝罪すると嵯峨さんは、いえいえ散歩のついでですから、と笑って返してくれた。
ひとまず二人でコーヒーを注文し、僕は再度素性について説明した。
届いたコーヒーに少し口を付けて、僕は嵯峨さんへの取材を始めることにした。
以下は、その時の取材記録(音声データ)を書き起こしたものである。
内容はすべて嵯峨さんの語りとなっている。
◆◆◆
あたしが調べてたんは『生け贄』の信仰なんです。
怪談好きの先生やったら、何回か聞いたことがあると思うんですけど。
えぇ、えぇ。
自分の力ではどうしようもない厄災に見舞われた人間がとる、最後の手段です。
食べ物をささげる、舞をささげる、歌をささげる。
それら捧げものの頂点が、自分自身、という考え方です。
えぇ。
何にも代えがたい、という点では最も、でしょうね。
また、生け贄には女性が選ばれることが殆どです。
これは捧げる対象が神であり、それに近い存在である『巫女』を生け贄として選ぶことが多かったから、という見方もあります。
また対象を男性と捉えているから、という所もあります。
生け贄信仰というものは、当然現代には残っていません。
日本でも……そうですね、あたしが知っているのは明治初期くらいまでです。
ちなみに海外の場合ですと、1991年に悪魔崇拝者による事件がありました。
といっても、これはただの殺人事件ですので、組織的に生け贄をささげた……というのとは少し違いますね。
さて、前置きはこれくらいで。
あたしが調べてたんは生け贄信仰ですが、それを調べるに至った話を先生にさせてもらおうと思ってまして。
ただ、オチなんぞは無いんでそこはご了承くださいね。
あたしの実家は、この辺やのうて■■■■県の■■■■っちゅう村でしてね。
えぇ。
最近やと、『S神社』っちゅう所が心霊スポットとして有名ですね。
あたしの実家は、まぁちょっと大きめでして。
母屋と離れがあって、離れのほうは死んだ祖父が書斎として使っとったみたいなんですね。
小さい頃のあたしは、その祖父の書斎に忍び込むんが好きでした。
祖父は読書家で、祖父の書斎には生前のコレクションがそのまま残っとったんです。
江戸川乱歩は殆ど揃っとりましたし、海外から取り寄せたらしい外国語の本もいっぱいありました。
あとは図鑑なんかもあって、とにかくあたしはそこにこっそり忍び込んで、それらを読むんが好きやったんですね。
でも、数には限りはありますから、気づけばコレクションもだいたい読み終わってもうて、他に何かないかなと、今度は書斎をあさるようになったんです。
実は書斎の本棚から、本を抜き取った時に奥に酒があるのを見つけたことがありまして。
だから、そんな感じに他に何かないかと思ったわけなんですね。
しばらく物色してると、書斎のテーブルの引き出しになんか妙な違和感を覚えました。
引き出してみた時の引き出しの深さと、外から見た時の高さが微妙に違うような気がしたんですね。
それでもしかして、と引き出しを全部引き抜いて、ひっくり返してみると、ぺろっと底板が取れて、さらにその奥から一冊の本が出てきたんです。
えぇ。
引き出しは、いわゆる二重底になっていたんですね。
いろいろ物色しつくして、ようやく見つけたお宝ですから、あたしはうれしなって中を見たんですが、どうにも見た所、それはお祖父さんの日記でした。
故人の日記を盗み見る、という行為に抵抗が無かったわけではありません。
ただ、その時のあたしはその日記が唯一の収穫でしたから、特に面白いとも思わずにその日記をパラパラとめくっておりました。
日記はしばらく祖父の狩りについて書かれていました。
祖父は猟師でした。
ページのほとんどを埋め尽くすほどに、びっしりと仕留めた獲物や、山の天気、伴の様子について書かれていました。
あたしは狩りに興味もありませんでしたから、それを適当に呼び飛ばしてページをめくっていると、突然殆ど真っ白なページが現れました。
『姿を見た。
明日からしばらく無理だ』
そのページには、ぽつりとその二行だけが書かれておりました。
翌日からも似たような感じです。
誰誰にそのことについて連絡した、とか。
他の誰かも同じように姿を見た、とか。
そして、そういった他愛のない報告が書かれている中で、妙なものがありました。
『贄は配川家の娘に決めた』
配川、という名字にあたしは聞き覚えがありませんでした。
そう大きくない村というのに、名前を知らないという事は、どこか他所の人だろうかと思いました。
『着物を用意し、娘を迎えに行った。手荷物と娘を拾い、神社にて執り行った』
『あれは帰っていった』
『山に入ったが、姿は見えなくなっていた』
日記は、その後からはまた元の狩りの日記に戻っていました。
日記は一冊だけしか見つからず、件の配川家というのも、どういったものなのか分からないままでした。
ただ、一つ理解できるものとしてあったのは。
その配川家の娘が生け贄に捧げられた、ということ。
日記にはその後、配川家の娘がどうなったのかは書かれていません。
どころか、まったくそれらの事に対して触れられず、まるでそれを忘れたいかのように狩りの事についてびっしりと書かれているばかりでした。
それから年月が経ち、中学生になったばかりの頃。
肝試しに行こうと友達に誘われました。
村の外れにある廃墟です。
どこにでもあるような一戸建ての家。
噂では村八分にされた住人の幽霊が出るとのことでした。
ただ、全員妙に怖がりやったんか、昼間に行くことになりまして。
そんで日も明るい内にその家に行ったんです。
結果から言うと、なんも出ませんでした。
刺激のない、この片田舎でちょっとでもそういうものを求めた誰かが作った噂、だったのでしょう。
ですが帰る間際、あたしはどうしても気になって、その家の表札を確認したんです。
誰も手入れしてへんから、もうすっかりボロボロで、目視では確認できませんでしたが、掘られた溝は指で感じることが出来ました。
溝に沿って指を動かす。
右にすーっと動いて止まって、次は下に外にカーブを描くように下がって……とやっていくと浮かび上がりました。
えぇ。
そこが配川家、やったんです。
はい。
そっからあたしは村を出ようと思いました。
生け贄信仰があったのは、祖父の代までやったと思いましたが、それでもそんな血なまぐさく、非科学的な信仰がすぐ傍から地続きで存在していることが分かって、ぞっとしたのを覚えています。
あの時なぞった表札の溝。
あれが今なおそこにあった、忌むべき風習の名残だったのです。
両親は執拗に村に残るようにあたしを説得しましたが、最後は半ば家出に近い形であたしは村を飛び出しました。
それから大人になり、あたしは子供の頃に感じたその信仰への興味が捨てられず……。
この場合は怖いものを克服しようと、そのために知ろうとしていたのだと思います。
各地の文献を集めて調べて、そういった信仰があったことを知りました。
その中で、あの村付近で過去執り行われていた生け贄信仰についての資料を見つけました。
狩りによって生計を立てている村のもので、山の中から動物たちの姿が見えなくなった際に行われていたものだそうです。
村の中から若い娘を選んで、白い着物を着せて山に嫁がせる、というものだそうです。
この場合の嫁ぐ、というのは『生け贄』です。
娘が山から帰ってくることはありません。
またあくまで、嫁ぐ、という行為であるため、娘は嫁入り道具として一つだけ手荷物を持って山に入るのだそうです。
これがこの村で執り行われていたのは、江戸時代の末期ごろと書かれてありました。
ただ、その文献にあった村は明治にはすでになくなっていたようです。
着物を着せる。
手荷物を持たせる。
この二点が祖父の日記と類似しています。
資料に書かれていた、『山の中から動物たちの姿が見えなくなった際に』とあります。
単に狩りの不作に対するものかと思ったのですが、あたしは『山の中に居る何かが動物たちを喰ってしまったのでは』と考えました。
えぇ。
そう考えると、祖父の日記に会った『それの姿を見た』という文章に繋がります。
そんでその着物の色が白やったとしたら。
生け贄が全員若い娘やったとしたら。
もし、『それ』が元の山から移動して近くの村に住み着くようになったとしたら。
そら、あの辺に白い着物着た娘の幽霊、出ますやろ?
なんぼ昔のこと言うても、そんな死に方したら……ねぇ……?
◆◆◆
その日は嵯峨さんに、他の生け贄信仰の事についても教えてもらってから別れた。
あの神社の幽霊についてのあらましが、僕の中で浮かび上がる。
昔ある所の山の中に『それ』がいた。
それは山の中の動物たちを喰うが、生け贄に人間の娘が捧げられると、しばらくの間、動物たちを喰うのを止める。
だが、いつしか生け贄が用意できなくなり、それが村まで降りてきた。
子細は不明だが、その村は無くなる。
それは活動拠点を近くの山に移す。
そして、そこで同じように山の動物を喰らい、人間たちはそれを止めさせるために生け贄を差し出していた。
生け贄のシステムを提案したのは、もしかすると最初にそれが居た村の住人だったのかもしれない。
嵯峨さんの話を聞くに、彼女の祖父の代。
つまり明治初期ごろまで、この風習は続いていたのだろう。
生け贄の娘たちが化けて出るようになり、心霊スポットが出来上がる。
そして――川原さんの話を聞くに、『それ』はまだ山の中に居る……。
僕は『S神社』の怪異をそのようにまとめた。
少し日が経ってから、僕は再び三枝と会うことがあった。
なんでも今のプロジェクトが何とも気に入らないようで、その愚痴を言いたいということだった。
なら、ぱーっとやろうと、僕は三枝をアニメバーに誘うことにした。
十人程度が入るかどうかという小さな店で、置かれているテレビには常に何かしらのアニメのオープニングが流れている、という店だ。
僕はシャンディガフを頼み、三枝はウィスキーをロックで頼んだ。
二人で乾杯し、冷たい酒で唇を湿らせる。
そういえばと僕は、あの神社の話を思い出し三枝にしてやろうとして――彼の表情が怪訝に歪んでいることに気づいた。
視線の先にはアニメのオープニングを流すテレビがある。
「どうしたんや、そんな顔して」
「いやぁ、なんか思い出してもうてなぁ……」
「何を」
「昔お前に話した、神社の幽霊の話」
「何や、俺の顔見て思い出したんか」
「いやいや、テレビやテレビ。神社で見た幽霊。手提げ袋持っとってんけど、そん時の柄が、これやったなぁって」
三枝の指がテレビの中でポーズを決めているキャラに向けて指される。
アニメのタイトルは『スマイルプリキュア』
2012年から放映されていたアニメである。
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