箱の中身
「そういえば、こういう題材の時ってお祓いとかってやっぱ行くもんなんですかね?」
それは僕が若かったころの話だ。
外注の開発メンバーとのMTGの後。
ネットでそういう話を見たばかりだった僕は、ぽつりとそんな質問を、自分よりも業界歴の長い彼に投げかけていた。
当時、いわゆる擬人化ブームというものが、ゲーム業界の中であり、僕が開発に携わっていたタイトルも、そうした流れを受けて、擬人化した武将のキャラを売りにしているゲームだった。
正直、武将を扱っていると言っても、どれもこれも萌え系の美少女に変えてしまっていて、何と言うか、そういった危機感らしいものは感じていなかった、というのが本音だ。
(ペルソナシリーズのほどの題材への危機感が無かった、という感じである)
「一応、ヤバそうな所にはもう行きましたけど、ガイシさんは行ってないんですか?」
ところが、僕のそういう認識とは裏腹に外注メンバーの男性は、キョトンとした顔でそう聞き返していた。
少しばかり気まずい沈黙が続き、そこで僕はようやく自分の認識の甘さに気づいた。
つまり、それが業界の常識だったのである。
以降、僕はそうした内容のゲーム開発に絡む場合は、近くの神社に行ってお祓いを受けることにした。
何か障りがあったわけではない。ただ、そのルールが業界の中で暗黙の内にあり続ける意味を考えた時、そうするべきなのだろうと、思ったからである。
それから、もう一つ――。
障りは無いと書いたが、けれどその片鱗のようなものを味わったから、というのも理由の一つとして付け足したい。
以下にその片鱗について書き記したいと思う。
◆◆◆
ゲーム開発のイメージとして、泊まり込みで作業している、というものがあると思う。
事実としてそういう側面もあるが、ここで一つ訂正しておきたいのは、何も徹夜で作業をしているわけではない、という所だ。
大体の場合において、泊りが確定する時というのは『待ち』の場合が殆どなのだ。
ゲームは市場に出る前は必ず『品管』という部署でチェックがされる。
品質管理部門の略称であるのだが、要はここでゲームの動作確認をしてもらうわけである。
ソーシャルゲームにおいても、ここのルールは同じで、アップルやグーグルにロムを提出する前に、ここでチェックが走るのだ。
ただ、コンシューマーゲームであれば、この部分のスケジュールはきちんと取られるのだが、どうにもソーシャルゲームでは、そこがふんわりしているケースが多いように感じる。
具体的に言うと、アップルへのアプリ審査提出日当日の夜になって、チェックの全工程が終わっておらず、それが深夜にまで及ぶ、という感じだ。
しかし、それは品管や、それを抱えるクライアントがそこまで作業をしているだけの話で、その間、開発の僕たちが何をしているかというと、何もしていないのだ。
定時もとうに過ぎて、無茶なスケジュールでどうにか機能を乗せるだけ乗せた疲れに身を包まれて、ぼんやりと事の成り行きを待つだけ。
で、これが、深夜にまで及ぶと、自然と泊りになるのだ。
その日もまさに、そういう日だった。
七月末のある日の夜。
八月の盆休みに向けて新機能を乗せるために、無茶なスケジュールをこなし、どうにか開発を終えてロムを品管に提出した僕は、椅子の背もたれに深く身を預けて天を仰いだ。
時刻は既に夜の十時を回っていて、会社に残っているのは当時そのプロジェクトで開発の進行をしていた企画の僕と、同じチームのプログラマーが三人だけだった。
元々チェック自体は進めていたものの、期間が短いことと、チェック期間中に仕様変更が何度かあったために、こんな時間までかかってしまった。
僕はプログラマーたちに、明日の予定を聞き、泊りでも問題ないことを確認したうえで、振替休日をとるように伝え、クライアントと今日の進行について確認を行った。
やはり、というか、〇時を超えても作業を進めたい、とクライアントから返事があったため、僕は三人に事の次第を説明し、泊りも見越しての対応をすることとした。
しかし。
いざ、そんなことを決めたとしても、やることは無く。
基本的には、先にも書いたように待ちなのである。
僕の会社は常識の範囲内ではあるが、定時以降は何をしても良い会社なので、各人、適当に動画を見たり、ゲームをしたりして適当に時間を潰すことにした。
最初の内はそれでもある程度時間は潰せたのだが、一時間もすれば、何となく飽きてしまって、手持ち無沙汰気味になってしまう。
何かしようかと考えていると、プログラマーの岸和田が、小箱らしき何かをもって僕の所にやって来た。
「ガイシさん、これ、何の奴か分かります?」
渡された小箱を手に取る。
大きさは片手よりもわずかに大きいくらいで、材質は木で出来ているようだったが、見た感じは安物のようだった。
百均にありそうな代物だ。
「これはどこで?」
「いや……会議室で何か無いかなって見てたら、これを見つけまして」
聞けば、岸和田は待ちの間に会議室で何か皆でゲームをしようと考えていたらしい。
会議室には資料用のものと、開発に携わったゲームが保管されているので、どれか適当なものがあればと思ったそうだ。
この小箱は資料用の棚の所に、無造作に置かれていたらしい。
「ふぅん……」
と、僕が小箱の蓋を外して開ける。
中からムッとした妙な香りが漏れ出る。小箱の中には折りたたまれた紙で包まれた何かがあった。
当時の限定品だろうかと、それを取り出す。
「なんですかね、それ」
「さぁ……。触った感じは中身も紙っぽいな。あーでも、ちょっと固いから、これはカードとかかも」
「あー、指定の店舗で買うと貰えるっていう感じの」
「そうそう。何のヤツやろ――」
と、するすると紙を外してから、僕は後悔した。
中から出てきたのは、そんなものではなかったからだ。
――写真だった。
昼頃だろうか。山の道路、そのカーブ地点から撮った写真だった。
ガードレールの向こうには山と空が広がっていて、それらを背にして、中年くらいの男性が一人、こちらに向いて立っている。
手にはピースが作られていて、あいにくとその時は雨が降っていたらしく、逆の手には黄色い傘が持たれていた。
どこにでもあるような旅行写真のようだった。
だが、写真に写っていたのはそれだけではなかった。
男性の右肩から足にかけて、赤い靄のようなものがかかっていたのである。
それが何であるかは、分からないが、これは何というか――。
「え、心霊写真ですか……」
僕がするよりも早く、岸和田が結論を口にしていた。
「……かもねぇ」
言い切ることに抵抗を感じてしまって、煮え切らない返事をしてしまっていたが、正直僕はこれが心霊写真であると確信していた。
ただ、言い切らなければ大丈夫、というよく分からない思い込みをしていたがために、あんな曖昧な返事をしてしまったのだろう。
どうして、こんなものがここにあるのか。
一体何の案件で使ったものなのか。
この男性は誰なのか。
頭の中をいくつかの疑問が巡り、何かを掴もうと記憶をたどっていると――
プルルルルルル!
電話が鳴った。
驚いた僕は思わず、ガタリと背もたれから背を引きはがす。
着信表示を見ればクライアントからだった。
何か進展があったのかもしれない。
ひとまず僕は写真を小箱の中に戻して、電話に出た。
『お疲れ様です。○○社のガイシ様はおられますでしょうか』
「はい、自分です。――というか、もう自分たちしか居ませんが」
『あぁ……、す、すみません……』
電話越しにクライアントの青原が申し訳なさそうに声を震わせる。
『え、とですね。不具合の方が一件見つかりまして、そちらの対応をしていただければと思っていまして……』
「なるほど。かしこまりました。チケット自体は後程、作成いただけるということで……?」
(不具合があった場合、当時の僕たちは『レッドマイン』というタスク管理ツールを用いて、その不具合をタスク化して送りあっていた。チケット、というのはそのタスクの単位のことだ)
『はい。その認識で問題ございません。ただ、原因特定に時間がかかりそうなので、先んじて確認をしていただければと考えておりまして』
「了解です。では、現状分かっている範囲で、情報をいただけますでしょうか」
『ありがとうございます。ではですね――』
と、不具合の箇所に関して説明を受ける。
一通り情報を受け取ったところで、礼を言って電話を切る。
担当箇所的には、岸和田以外のほか二人の担当のようだったので、その二人に簡単な説明をして一応の調査を依頼する。
「そこ今更バグりますかね?」
と、言われもしたが、まぁ、仕事は仕事なので一応見てほしいと告げて、自席に戻る。
と、視界にあの小箱が入る。
忘れていたが、これがあったのだ。
隣の席に座る岸和田と目が合う。
「ガイシさん、これ戻しときましょか」
「うーん」
怖いけど戻しといたほうが良さそうやなァ、と返事をする前に、再び電話が鳴った。
ちらと着信表示を見れば、クライアントからだった。
視線で『ごめん』と謝罪をしてから、電話に出る。
「お疲れ様です。ガイシです」
『お疲れ(ザザァァァ)せん』
電波が悪いのか、何やらノイズらしきものが走っている。
もしかすると、どこか断線が発生しているのだろうか、と考えつつ、ともかくそちらの声が聞き取りづらいことをひたすらに訴え続けた。
『あの後(ザザザアァァァァ)ので(ザァァァァ)。あの件は忘れてください。ただチェック自体は終わって(ザザザザアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア)』
ただ、その声も聞こえないのか、クライアントの説明は止まらない。
対してノイズの音は、どんどんと大きくなっていく。
やむなしと、電話を一方的に切って、チャットツールでその件に関してクライアントに報告する。
すると、すぐに返事が返ってきた。
青原:あれ、そうだったんですか。かしこまりました。であれば、こちらでご連絡させていただきますが、先の件に関しまして、こちらのチェック時の設定ミスであることが分かりました。こちら設定を修正し、引き続きチェックのほうを進めさせていただきます。
僕 :かしこまりました。お手数ですが、どうぞよろしくお願いいたします。
青原:ちなみに一応、共有なのですが弊社側では、ガイシ様の声は正常に聞こえておりました。ご連絡まで。
これはどういう症状に当たる話なのだろうか。
ひとまず、青原から受けた話を担当プログラマーに展開しつつ、僕はただ唸るだけだった。
で、そうしていると、やはりまた視線にあの小箱が入ってくるのだ。
その視線に気づいたのか、隣の岸和田も『どうしますかね?』というような視線を投げてくる。
正直、無かったことにして戻してしまいたいのだが、何と言うか、僕はこういう時は決着をつけなければ気が済まない質で、戻すにしてもこの写真が何なのかを突き止めてから戻してやろうと考えていた。
無論、それが愚かな考えであることは分かっていたが、しかし、それがその時の僕の性分であったために、どうしてもそうしたくなってしまっていたのだ。
プルルルルル!
と、再び電話が鳴った。
表示を見れば、やはりクライアントからだった。
つい先ほど、連絡はチャットツールでという話をしたばかりだが、と思ったが、出ないわけにもいかず、とりあえず受話器を取る。
「はい、お疲れ様で――」
受話器を耳に当てて、僕はそう言おうとして、むぅ、とうなった。
今度は最初からノイズが酷いのだ。
ザザザザザアアアアアアアア、というノイズが頭からずっとなっていて、これでは相手が何を言っていても、聞こえないだろうと思って――。
違うのではないか、と思った。
何となくその音をずっと聞いていると、それがノイズではないような気がしてきたのである。
確かにザザザザと、ノイズのような音が鳴っているが、どことなく『雨音』のようにも聞こえたのだ。
で、その音の向こうから、何か別の音が聞こえる気がしたのだ。
何か水が跳ねるような音で――。
そこまで思い至って、僕は慌てて電話を切った。
「どうしました?」
心配そうに横の岸和田が僕を見る。
言うべきか否か迷って、とりあえず僕は「やっぱりノイズで何も聞こえんかったわ」とだけ返事をして、先ほどの電話を切った件に関して謝罪のメッセージを打つことにした。
僕 :お疲れ様です。先ほどはお電話をいただいたようですが、やはりノイズが酷く、御社様側の声が聞こえず、こちらから通話を切ってしまいました。大変申し訳ございませんが、本日の所は、連絡などはこちらでいただけますでしょうか。
青原:かしこまりました。ただ、すみません。こちら自分の方からは、お電話しておりませんので、弊社の他の人間かもしれません。電話の件に関して、先ほどのタイミングで、社内には展開をさせていただいたのですが、もしかすると不十分であったかもしれません。再度、社内にて情報共有をさせていただきます。
僕 :はい。お手数ですが、どうぞよろしくお願いいたします。
と、チャットでの会話が終わり、さてこの小箱が何なのかと、考えていると、あまり間を置かずに青原から再度メッセージが飛んできた。
青原:すみません。社内にて確認をしたのですが、やはり自分がお電話させていただいてから、弊社のほうでは特に御社様へのお電話はしていないようでした。御社様、他案件の可能性もございますので、念のため……。
そのメッセージを見た僕は、すぐに電話の履歴を呼び出した。
確かにクライアントから着信だったはずだ。
呼び出した履歴を確認する。だが、つい先ほどかかってきたはずの着信履歴が、そこには無かったのだ。
おかしい。
確かに電話は鳴り、それに僕は出たはずなのだ。
嫌な予感が頭をよぎる。
視線が小箱に戻る。全てはこの写真を出してから起こったことだ。
あまり考えたくは無いが、そういう事なのだ。
と、その時、僕たちがいるフロアの扉が開いた。
ぎょっとしてそっちを見ると、別プロジェクトの社員が二人、談笑しながら入ってきているところだった。耳に入る会話の内容から、どうやら夕食を食べて来たらしい。
どちらも中年の男性で、それぞれが企画とプログラマー。2人ともこの会社に入って十年を超えるベテランだった。
とっさに僕は小箱を掴んで、そのベテラン二人の企画のほう、近江に話しかけに言った。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です。――もしかして、フロアの鍵?」
「いえ、それではなくてですね……」
と、僕は持っていた小箱を近江に見せた。
近江はしばらくその小箱をじっと見つめてから「これは……?」とキョトンとした表情で僕に聞いてきた。
「会議室の資料棚にあったんです」
いつの間にか、僕の横に居た岸和田が事情を説明する。
「その、ボクがちょっと暇やったんで、会議室の資料棚見てたら、これがあって……」
近江はしばらく、その箱を見つめていて、やがて「あっ」と声を漏らした。
「何か、思い当たる節が……?」
「うん。そういや、これ、吉原さんのや」
「吉原さん?」
近江の口から出た人名に心当たりの無かった僕は、ついオウム返しに言ってしまう。
「あっとね、吉原さんは、キミたちが来る前に辞めちゃった人やね」
「これは、その人のものだったと」
「そうそう。出向先の会社で作ってたゲームの資料に、って言って、どっかの山に取材旅行に行って撮ってきた写真を入れてたはず。この箱は、その旅行で買った茶碗の箱やったと思う」
ほら、と小箱の裏に小さく書かれた製造販売の記載を見せる。
「――それは、その、心霊写真、みたいな感じの?」
「え?」近江が目を白黒させる。「うーーん、確かそう言うのではなかった気がするな。なんやったっけ……。野原君、吉原さんが最後にやった奴のゲームって、どんなんか知ってる?」
と、近江がもう一人のプログラマーに話を振る。
「確かギャルゲーでしたよ」
話を振られた野原が、ぽりぽりと髭をかきながら答える。
「山の神様とか妖怪とかが出てくる、和風のやつ。ホラーとかじゃなかったと思います」
という野原の答えを聞いて、近江が「やってさ」とこちらに視線を向ける。
そして、懐かしいな、とつぶやきながら、小箱を開け、紙に包まれた写真を手に取った。
見るつもりなのかと思い、僕はとっさに「あっ」と止めようとしたが、時すでに遅く、近江は既に包みを解いてしまっていた。
写真を見た近江が最初に取ったリアクションは「ん?」と、首をかしげることだった。
再び、あの男性に赤い靄がかかった心霊写真が外気にさらされる。
「えぇ、その、僕らも見ちゃったんですけど、えらく不気味だったんで……」
と、僕が何となく誤魔化そうとすると、近江は「いや……、ん?」と、再び考え込んでしまった。
「これが、入ってたの?」
「はい」
「なる、ほど……?」
どこか納得していない様子で、近江が今度は視線を野原に振る。
「野原君、吉原さんが小箱に入れてったのって、ただの旅行の写真やったよね」
「そうですよ。どっかの県の山の方の……、確か何かの伝承があるにはあるっていう山でしたけど、マジで殆どただの旅行やったって聞きました」
「確か写真一緒に見たよね」
「んー、そうでしたっけ? 結構前の事なんで、うろ覚えなんですけど」
「心霊写真、とかじゃなかったよね」
「いや、そんなんはありませんでしたよ。もし、そんなんあったら覚えてますよ」
野原の答えを聞いた僕と近江は、知らず見つめあっていた。
「つまり……こんな写真は無かった、と?」
僕の問いに近江は、うん、と眉間にしわを寄せる。
「俺が見せてもらった時は、こんな写真は無かったと思う。――ただ、取材旅行の時の写真やっていうのは、間違いないと思う。写ってるのは、吉原さんやし……」
写真の中でピースをしている男性を近江が指さす。
「この写真そのものに見覚えは……?」
「――ある。確かに、こんな写真は見た気がする。でも、そん時はこんな――」
プルルルルル!
こんな靄は無かったのだ、と近江が言おうとして、電話が鳴った。
近江の視線が自分の席の電話に向き、さっと電話を取った。
(当時、近江の案件のクライアントも、僕と同じ会社であったため、自分の案件の電話と思ったのだろう)
「お疲れ様ですー」
受話器に耳を当てた近江が応対する。
と、すぐに怪訝な顔をして、何度か電話に呼びかけ、やがてはたと何かに気づいて、電話を切った。
まだ横にいる僕のほうをちらりと見る。たまらず僕が口を開く。
「――何か、音するんです。さっきから、ずっと」
「その音っていうのは」
「雨音、みたいな。いや、もしかしたら僕の聞き間違いで、ただのノイズかもしれんのですけど……」
近江が押し黙った。
フロアの中には、時計の音と、誰かのマウスのクリック音だけがあった。
「なんか、『ばちゃばちゃ』いってなかった?」
ようやく口を開いた近江が、そんなことを言った。
「まぁ、ちょっとは……、そんな気もします」
「――ちょっとだけ?」
「えぇ。雨音に混じって、何かそんな音も聞こえるかも、っていうレベルで――」
近江が目をつむる。何かを思い出すような様子で、しばらく眉を寄せていたが、やがて、諦めたように息を吐いた。
しばらくして社内のメッセンジャーに『電話にはしばらく出ないように』とメッセージを投げて、こちらに向き直った。
「一個、確認したいことがあるねんけど」
と近江が岸和田を見る。
「これって、どこにあったん?」
「え、っと。会議室の資料棚の所に、ポンって普通にありました」
「『棚の下の段ボール』の中とかじゃなく?」
「はい。そっちは見てないんで」
「そっか……」
「中のものは、何も出してない?」
「はい。中にはこれだけでした……」
近江は、分かったと呟いて、今度は小箱の方を確認し始めた。
「ほんまに危ないもんなら、大体一緒にお札が入ってるんよ」
小箱の中には写真以外が無いことを確かめて、次は蓋を見る。
蓋の裏側、つまり写真と正対している部分を見て、近江はまたも眉間にしわを寄せる。
「――なんやこれ」
机の上に逆向きに蓋が置かれる。
僕もそれをのぞき込んで見てみる。蓋の四隅に小さなセロハンテープと、紙の切れ端らしいものが残っていた。それはかつて、そこには何かが張り付けられていたが、今はそれがはがされている、ということの証のように見えた。
得体のしれない気持ちの悪い空気が僕たちを包んだ。
思いつく仮説は、かつてここに札があって、それが何者かによって剥がされた、というものだ。
しかし、ならば誰がそんなことをしたのか、という話だ。
この写真に写っている吉原という男性だろうか。
そんなバチが当たるようなことをわざわざするだろうか。
じっと写真を見つめる。
気味の悪さから最初はあまりじっくりと見ていなかったが、開き直って見てみると、この靄が何かの形をとっていることに気づいた。
――尻尾だ。
はっきりとは分からないが、吉原の体に絡みつこうとする、何か、蛇のような尻尾に見えた。鱗らしき模様も見つかる。
それを言うべきか言うまいか、考えている横で、岸和田が、恐る恐ると言った様子で口を開いた。
「あの、その人、大丈夫なんですか……?」
写真の中の吉原に視線が集まる。
ちらと近江を見つめると、彼は何も言わず、ただ息を吐くだけだった。
それから、神妙な面持ちで一つ頷いて、それで僕たちは理解した。
「すみません……! オレがこんなもん出してきちゃって……」
責任を感じた岸和田が頭を下げるが、それを近江が手で制した。
「いや」
首を横に振りながら、言葉を選びながら続ける。
「多分、『今見つかって良かった』んやと思う。とりあえず、明日にはこっちのほうで、社長と相談してどっかに持って行ってもらうわ」
預かるな、と近江が写真を小箱にしまって蓋をした。
「あの」
だが、それで話を終われば良かったというのに、思わず僕はその疑問を口にしていた。
「見つかって良かった、というのは……」
小箱を見つめながら近江が、うん、とまたも頷く。しかし、今度はその先があった。
「この小箱な、確かに資料棚の下の段ボールにしまったんよ。それも一番奥の奴に。
なんていうか、やっぱりその時も不気味に思ったから。――だから、棚の上に在るわけが無いんよ。あと、俺も今思い出したけど、この写真は見たわ。雨やったの残念でしたねー、って吉原さんと話したんも覚えてる。
でも、やっぱり、そん時はこんなもんは無かったんや」
◆◆◆
結局。
僕たちは僕たちで仕事をして、それは深夜にまで及び、とりあえずその日は、会社の床で寝ることになった。悲しいかな、仕事をしていると、あの写真の衝撃もどこか和らいでしまって、午前三時頃には既に、いつもの調子に戻ってしまっていた。
こちらの仕事自体は、五時ごろに一度ケリがつき、クライアントにいったん仮眠をとると伝えて、横になり目をつむった。
色々あって疲れていたせいか、硬い床の上ではあったが、睡魔はすぐにやって来た。
目が覚めたのはそれから三時間後の午前八時頃だった。
自席の電話が鳴る音で目が覚めた僕は、寝ぼけ眼をこすりながら受話器を手に取り、耳に当てた。
『おはようございます。……えっと、電話ってもうしても大丈夫でしょうか……?』
電話越しで申し訳なさそうに言う青原の声を聴いて、僕はハッとした。
あの雨音が聞こえなくなっていたのだ。
「あ……。大丈夫、みたいですね」
『あぁ、良かったです。あの、審査のほうにロムを出しましたので、本日はこのまま解散とさせていただければと思いまして……』
「あぁ、かしこまりました。すみません、ご連絡ありがとうございます」
『いえいえ、こちらこそ。徹夜で対応をしていただいてしまって……。――ん?』
青原が怪訝そうな声を上げた。
「どうされました?」
『いや……。昨日の夜のノイズの件ですが、もしからすると弊社が原因かもしれませんね……。何か、さっきからちょっとガイシさんの声にノイズが入ってるっぽくて……。あの、こっちの声って聞こえてますかね……?』
◆◆◆
後日談というか――。
あの写真の件からしばらくして、僕はやはりどうしても気になったので、事情を知っていそうな別の先輩を吞みに誘って、それとなく聞いてみることにした。
その先輩は、写真の事は知らなかったが、件の吉原という男性については知っていて、会社を辞めてすぐのころに、行方不明になっているのだと言う。
ただ先輩曰く、その吉原という男性は、もともと会社の金で、半ば私的な旅行をしたり、金使いが荒く、ギャンブルにもどっぷり浸かっているような人間だったため、別に不思議にも思わなかったのだと言う。(行方不明というか、夜逃げしたと思っていたらしい)
「何か連れて帰ってきたもうたんとちゃうん?」
ハイボールのグラスをテーブルに置いて、先輩が言った。
グラスの中で氷同士がぶつかって、カランと音が鳴る。
僕と先輩は会社近くの大衆居酒屋で、向かい合って呑んでいた。
金曜日と言うせいもあってか、仕事終わりのサラリーマンでごった返していて、店は賑やかだった。
「やっぱ、そうですかね?」
「そういう伝承か何かがある山やったんやろ? そしたら、何かが居って、それがそこに封印されててもおかしないやろ」
「封印、ですか」
「せや。お前の話まとめたら、そいつ『そこから出ようとしてた』んとちゃうんか?
もともと何も写ってない写真に出てきて、段ボールにしまったはずのモンを棚に上げて、蓋の裏のお札もちぎったか、喰ったかして。
――な? 出ようとしてたんとちゃうんか……?」
「電話も、そうなんですかね?」
「せやなぁ……。そん時は、まだ出る途中やった、とか、かもなぁ。会社の中におったとか」
「でも、出て行って……どうするんですか」
「なんやろなぁ。――まぁ、今あるだけのもんで話をするなら、『復讐』とかかなぁ。それがほんまに封印されてたんなら、自分を封印した奴に復讐しに行くやろ」
「でも、吉原さんは行方不明なんですよね――って、神様とかには関係ないかもですけど」
「なんでやねん」
先輩が否定する。
なぜかは分からないが、僕はその時、鳥肌が立っていた。周りの音が遠くに聞こえていた。
サラリーマンの騒ぐ声も、店員の声も、全て聞こえなくなっていた。
その中で、先輩のこの言葉だけが聞こえて来たのだ。
「撮った奴がおるやろ」
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