劇薬である。自分が持っていた性癖の蕾のようなものを、強力な農薬を使用して強制的に芽吹かされたような感覚を覚えた。言語化されたことで気づくことが多々ある。バブみとは、簡単に足を踏み入れてはいけないパンドラの箱であるということ、自らがそんな危険な思想を持ってしまっていたのだということに。
姉による母性と姪によるバブみを明確に描き分けた点で革新的である。昨今、「バブみ」というワードを使用しつつも年下のお姉さんキャラ等という記号的なもので、結局は母性を描いてしまっている作品が多いなか、今作は対比的にわかりやすく、その二つの違いを描いている。主人公は甘える側であるが、バブらせる側である姪は、身体的にも精神的にも幼い。「ととと」という足跡や誕生日を忘れられていたことを悟った際の泣き出しそうな顔にそれは顕れる。おままごと、という破壊的なシステムが、彼女のバブみを成立させる。いい歳した男性が、自立していない年下の女性に甘えるという倒錯した状況を成立させる悪魔のシステム。それがお・ま・ま・ご・と。ため息が漏れてしまう。
題名が全てを語っているように、ガンマーデカラクトンが漂うような女性にママになってもらうことは許されはしない世の中だ。男性がそれが漂うような年齢の女性に魅力を覚え、さらにはそこに自らの責任性を持たずに甘えられるような環境が整ってしまえば、もはや蜜まみれ、ただただ甘くて脳が溶けてしまう。背徳的で、恐ろしいバブみの正体をこの作品に見た。なんて無責任で、なんてキモくて、なんて甘いんだろう。
自分の欲求がこのような形で明文化され、性癖の輪郭が整うような感覚が楽しかった。とても面白く、読んでいてときめいた。ご馳走様です。続きを是非とも読みたいです。
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—女子高生の姪がなんか靴下を脱いで置いて帰っていく話 前編—
少しずつ侵蝕され、気づけば戻ることができないところまで来てしまっている。主人公は既に魔法にかかってしまっているのだ。主人公が姪を「悪魔のよう」と例えていることを思えば、それは呪いかもしれない。いや、悪魔というよりは妖精だろうか。いつのまにか、敷居をまたいで入って来ているなんて、妖精のようではないか。
軽々と足を踏み入れてはいけない領域を訪れてしまうこの姪は、浮足立ちながらも、自らの足を差し出してくる。冒頭、その足を眺める主人公の視点は赤子の視点そのものだ。自身が夢だと勘違いして姪に甘えてしまったことを恥じ、泣いてしまうが、泣くのは赤子だけに許されたことではない。自らを律する何かと戦っているからこそ、泣いてしまうのだろう。
倒錯する姪と主人公は、ある種主人と奴隷のような関係にも映るが、どちらが主人でどちらが奴隷なのかは分からない。甘えているのか、甘えられているのか、甘えさせてもらっているのか。靴下を置いていったことで自由になったのか、それを受け取ったことで自由になれるのか。一つ確かなのは、ゴム跡が残るほど張りのあるその足は、靴下を抜いたことでより軽やかになったのだろうということくらいだ。
好きな作品だ。作者には足を向けて寝られない。一方で、自らが良くない(社会的に都合の悪い)性癖領域に足を踏み入れてしまっているとも自覚する。