第2話 赦し

オレは疲れていた。疲れきっていた。

真っ暗な家の灯りをつける。

何だか焦げ臭い。

奥の寝室で静かに泣く声がする。


「タダシさん、ゴメンなさい。

あたしもうダメみたい・・・」

灯りを着けずにゆっくり近寄る。

抱きしめてあげたいがそれは逆効果なのは分かってる。

「美樹、どうした?」

「あたし、もうダメなの・・」

「大丈夫だよ。どうしたの?」

「あたし、あたし・・・」

オレはゆっくり話を聞いた。

いつになく調子の良かった美樹は久しぶりに近くのスーパーに買物に行ったらしい。

今の美樹にとってそれがどれだけ勇気のいる事か、いつもそばにいるオレには痛いほど分かる。

なんとか買ってこれたのがスパゲティと混ぜるだけのパスタソース、明太子味だった。


帰ってスパゲティを茹でようとした時に昔オレが『明太子スパゲティはあまり好きじゃない』と言った事を思い出したらしい。

せっかく作ったスパゲティを嫌いと言われたら、嫌いなスパゲティを作った事でオレに嫌われたらと考え始めると動けなくなってしまったそうだ。

ゆっくりとゆっくりと話を聞き、鎮静剤を飲ませ眠るまでそばにいた。

美樹の寝息を確認しキッチンに行くとコンロには真っ黒に焦げたなべがのっていた。火を着けたまま寝室に篭ってしまったのだろう、空焚き防止機能のおかげで火事にはならなかったようだ。

美樹には言わないでおこう。

何でコンナ事になったんだ。。


美樹とは恋愛結婚だった。

大学時代に付き合い始め、普通に恋愛し、普通に結婚した。

共働きで3年、そろそろ子供が欲しいねと話をしていた時、美樹には子供が出来ない事が分かった。

少し残念な気持ちもあったが仕方ないと思った。美樹がいれば、二人だけの生活も悪くないと思い込む事にした。

また、今まで通りの日常が続くと思っていた。


「あたし、なんだか最近眠れないの」

「そうか?

久しぶりに・・・」

オレは美樹にキスをしようとした。

「やめて!」

「え?」

「ごめんなさい。そんな気分になれないの」

「ゴメン」


美樹はゆっくりと少しずつ壊れていった。

オレはそれに気付いてやれなかった。

ある朝美樹は泣きながら呟いた。

「あたしもうダメみたい。。」


鬱病だった。

『子供が出来ない』と言われた瞬間美樹の心が砂の城に変わり、少しずつ崩れ始めたのだ。


あれから二年間、強い風の中砂で城を作り続ける様な毎日だった。

少し組み上がりホッとした瞬間、音もなく崩れていく。

何度も、何度も、何度も。

愛している者が弱り、苦しみ、悲しんでいるのに何も出来ない日々。

絶望感はオレの心も蝕んでいく。

唯一絶対な物は『オレがオレであること』『オレは美樹を愛している』という事。

これだけは揺るがない。


「『辞令、水上晃殿、貴殿を営業部第二課課長に任命する』

水上、任せたぞ」

「水上、おめでとう」

「水上さん、頑張ってね」

「ありがとうございます。微力ながら精一杯頑張ります」

オレには遠くと世界の事の様に聞こえた。

二年下の水上が課長に。

オレが教えていた男が上司に、本当なら二年前に既にそこにいたはず。

オレは、オレは。。。


帰り道、コンビニで酒を買った。

近くの公園で一気に流し込んだ。胃の中が熱くなる。

美樹が鬱になってからは一度も飲んでいなかった。全く酔った気がしない。


「あなた、今日はパンを焼いてみたの。

コーヒーも淹れるね」

美樹は一週間に一度程調子の良い日があるらしい。今日がその日だったようだ。

「今日ね、久しぶりにテレビを観たの。

ドラマなんて何ヶ月ぶりかしら。

スーパーサラリーマン金太郎」

いつもなら美樹が話をしてくれるだけで幸せな気分になれたのに・・

「陣内くんがかっこいいの。

平社員なのに河野部長に・・・」

美樹はオレの方を見ていない。

ただ話したいから話してるだけだ。

「それでね、水島課長が・・・」

「いいかげんにしてくれ!!」

「え?」

「うるさいんだよ!黙っててくれよ」

信じられ無いような物を見る目でオレを見てる。

「美樹は!美樹はオレがどんな想いで仕事に行ってのか分かってるのか?

考えた事あるのか!」

「ごめんなさい

ごめんなさい」

美樹は怯えた子供の様な目でオレを見てくる。

「オレがどんな惨めな想いで仕事をしてるのか!

オレがどんなに不安な気持ちで仕事してるのか想像した事あるのか」

「ごめんなさい

ごめんなさい」

美樹は明後日の方向を見ながらただ謝り続けている。

誰かオレを止めてくれ!

「いいかげんにしてくれよ。

晩めしが食パン一枚!

何なんだよ!こんなんで仕事が出来るのかよ!

何で普通の事が当たり前に出来ないんだよ」

オレがオレじゃない。

違うんだオレが言いたいのはそうじゃない。

「もう勘弁してくれよ!いつまでこんな生活続け無きゃいけないんだよ」

「ごめんなさい、

ごめんなさい」

「もうイヤだ!もう一人にしてくれよ!」

その瞬間、美樹はオレの顔を見た。

そして静かに嘲笑ったんだ。。。

オレはそのまま家を出た。


これ以上美樹を傷つける訳にはいかない。

そのままカプセルホテルに泊まり仕事に行った。


そして今日。

オレは疲れていた。疲れきっていた。

真っ暗な家の灯りをつける。

家の中は静まり返っている。


「美樹?」

返事がない。もう一度声をかけてみる。


美樹は寝室にいた。

洋ダンスの下に座るように。

洋ダンスの取手にロープをかけ首をくくっていた。


オレは妙に冷静だった。

もしかしたらもう分かっていたのかも知れない。

テーブルに手紙があった。


『タダシさんへ

ありがとう。やっと本当の事言ってくれたね。

これであたし、安心して逝ける。

あたし分かってたんだ。

タダシさんがあたしの事を嫌ってたの。

あたしの事を迷惑だと思ってた事を。

でもね、あたしバカだからはっきり言ってくれないと動けないの。

ゴメンね。あたしの事は忘れていいよ。


大好きなタダシさんへ

              美樹』


何でだよ。

美樹の事を嫌いになる訳ないだろ!

迷惑だと思った事なんて一度もないよ!

何でだよ!

今まで100回も1000回も「愛してる」って言っただろ!

何でたった一度のウソだけを信じるんだよ。

何で・・・・


美樹の所にいきたい。。。

誰がオレを赦してくれるのか。

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