Act.30『女装学園・ハプニング』

「なぁ、フタ……」


「神崎先輩」


「……神崎先輩よぉ。いくら中学では札付きのワルだった俺でも、さすがに入学式までズルけたことは一度もねぇぞ?」



 どこか遠くで鳴っているようなチャイムの音を聴きながら、外階段の踊り場に座り込んでいる朔楽はつい愚痴をこぼした。

 すると彼の傍にいたフタバ──もとい神崎双葉が、意地の悪い笑みを浮かべて言う。



「入学式なんて居ても居なくても同じよ。あとでこっそりホームルームに合流しちゃえば問題ないわ」


「……あんた、思ってたより性格してるのな」



 朔楽は褒め称えるように答えた。もちろん皮肉である。

 3人組スリーマンセルユニット『トリニティスマイル』のフタバといえば、他のメンバー2人を引っ張るリーダー的な存在として知られている美少女アイドルだ。


 たまに発言がキツくなる(世間的には一応ツンデレという扱いらしい)ところはアクターとして活動しているときと変わらないが、学校プライベートの彼女はそれよりもさらに拍車がかかっていた。今の彼女を熱心なファンが見たら卒倒してしまいそうである。



「ステージの上にいる時とはまるで別人みてぇだ」


「当然よ、私は仕事オン普段オフは完全にみ分ける主義なの。私が実はアイドルだってことも、家族にしか打ち明けていないわ」



 胸に手を置きながら、双葉は自信ありげに勝気な笑みを浮かべた。

 どうやらアイドルやアクターという自身の仕事を相当誇りに思っているらしいことが伺える。今までも色々なタイプの同業者を見てきたが、これほど区別がはっきりとした人間は珍しかった。


 ……と、思わず感心してしまっていた朔楽の鼻の先に、いきなり双葉の睨み顔が詰め寄ってくる。



「それに比べてあんたは、自分が芸能人だっていう自覚がなさすぎよ! 芸歴は私より長いクセに、そんなこともわからないわけ?」


「なっ……! いやいや、べつに俺は隠すつもりなんて最初からねぇし……」


「……ハァ。その様子だと、ホントに自分の影響力がどれくらい凄いのかわかってないようね……」



 なにやら頭を抱え出した双葉は、そこでふと何かを思い出したように朔楽へと訊ねてくる。



「ところであんた、何かSNSはやってる?」


「あン? やってねーけど」


「まったくもう、情報メディアの活用はの必須項目でしょうに……」



 双葉は呆れたように溜め息を吐きながら、制服のポケットからスティック状の情報端末スマートターミナルを取り出した。

 そして何もない虚空にウェブページの映った立体映像ホログラムを出力させると、そこに映った数字を指差して朔楽のほうへと見せつける。



「見なさい。私のフォロワー数は53万よ!」


「お、おう」


「その『いきなり何言ってんだこいつ』みたいな顔やめて。要するに私が言いたいのは、たかだか3000人の生徒を相手に長ぁ〜い話ありがたいおはなしをしてる校長なんかよりも、私やあんたのほうがずっと影響力があるってこと!」



 今まさに式辞を述べている最中であろう人物を名指ししつつも、双葉はどれだけ自分たちの存在が世間にとって大きいものかを説いてみせた。



「さっきあんたはSNSをやってないって言ってたけど、もしアカウントを作っていたらたぶん70……いや50万人くらいはフォロワーがいると思ったほうがいいわ」


「なんで今ちょっと減ったんだよ」


「私より多いとなんかムカつくし。とにかくそれだけあんたは注目されてるんだから、もし何かやらかしでもしたら一発で炎上するわよ! ほんとイマドキの子ってば、事あるたびにすぐ拡散しちゃうんだからぁ……っ!」


「…………お前、過去に何かあったの……?」



 まるで親の仇みたく大げさに騒ぎ立てる双葉を見て、朔楽は呆れを通り越してだんだんと心配になってきてしまう。

 というかお前もイマドキの子だろ。思わずそうツッコミたくなったが、朔楽が開こうとした口をいきなり双葉が手のひらで塞いできた。



「むごっ……!?」


「しっ。誰か来たみたい」



 双葉は声を潜めながらも、とっさに踊り場の物陰へと朔楽を押し込める。

 彼女の急な行動にわけがわからず混乱してしまう朔楽。しかし程なくして、双葉が先ほど言っていた話し声は聞こえてきた。



「あ、あの……わたし、そろそろいかないと……」


「えー? 別にいーじゃん。中学ぶりに会えたんだしさぁ、少しくらい先輩に付き合いなよ」


「そうそう。てか入学式なんて居ても居なくても変わんないし、ぶっちゃけ後でこっそりホームルームに合流しちゃえば問題なくね?」


「アハッ! それ言えてるぅ〜」



 朔楽たちがいる非常階段のすぐ真下──そこに先ほどまではなかった4人の人影がある。

 さらに注意深く観察してみると、うちの気弱そうなひとりが朔楽と同じ新入生、ほかの声が大きい3人は2年生であることが制服のネクタイの色から伺えた。



(あのケバい2年、さっき神崎パイセンと同じこと言ってたぞ)


(……サイアクだわ)



 などと小声でやり取りをしながらも2人が聞き耳を立てていると、下からの会話は徐々に雲行きの怪しい方向へと進んでいった。



「ところでウチらさぁ、春休み遊び過ぎちゃって今ちょっち金欠なんだよねー」


「え……」


「ほら、あんたの家ってケッコー金持ちじゃん? だから中学ん時みたいにさ、またウチらにお金貸してくんない?」



 嫌がる女子生徒を囲うようにして、ほかの上級生らが表面上は優しい顔を浮かべながらも詰め寄りだす。

 それが俗に言う“カツアゲ”の現場であるということは、彼女らの品のないニタニタとした笑みを見ればすぐにわかった。



「! あいつら、何をやっていやが……」


「待って」



 居ても立っても居られずに立ち上がろうとした朔楽を、慌てて双葉が呼び止める。



「まさかとは思うけどあんた、あの子を助けようなんて言うつもりじゃないでしょうね?」


「たりめぇだ! あんな弱いものいじめみたいな真似、放っとけるわけねーだろ!」


「やめておきなさい。下手に逆恨みでもされたら面倒なことになるわ」


「何……?」



 思いがけない双葉の言葉に、朔楽は驚いたように彼女のほうを振り向く。

 双葉は冷静に話を続けた。



「変装もしてないあんたが割り込みでもしたら、収拾が付かなくなるって言ってるの。たかられている彼女には気の毒だけど、この場はやり過ごすのが賢明よ」


「は? 俺たちアクターの仕事は、困ってる奴を助けることだろ!」


はただの高校生でしょ!? べつにあんたがどうなったって構わないけど、このまま生活プライベートがぶち壊されるのも可哀想だから親切で言ってあげてるの!」



 『助けに行くのはリスクが多すぎる』という一点張りで、双葉は決して自分の意見を変えようとはしなかった。

 彼女の言い分が十分に頷けるものであるのも事実だ。世間的にもそれなりの知名度を誇る朔楽が万が一にも一般人からの恨みを買ってしまえば、それがきっかけとなって炎上騒動に繋がってしまうという可能性も否定できないだろう。



「仕事もオフも関係あるかよ……。俺は俺だ、何時いつだってな」



 だが、その理屈は朔楽が助けに行くのを諦める理由にはなり得なかった。

 彼は制止を促す双葉の手を振りほどいて立ち上がり、そして困っている少女を眼下に見据えながら呟く。



「俺はもう自分の気持ちに嘘をついたりしねぇ。そう決めたんだよ……」


「ち、ちょっとあんた! 私の話聞いてた!?」


「おう! でも女の子が困ってんだ! 指を咥えて見てるだけの野郎なんざカッコ悪いって思うだろ!?」


「でも、そんなことをしたらあんたが……」


「つーわけでパイセン、ちょっとカッコつけてくる!」



 そう言って朔楽は塀の上へよじ登ると、なんと躊躇いもなくそこから飛び降りていってしまった。



「な、なんなの? あいつ……」



 そうして非常階段の踊り場に一人取り残されてしまった双葉は、呆気にとられた顔でその場に立ち尽くしてしまう。

 こちらの忠告を無視して行ってしまった朔楽の行動を、彼女はしばらく理解することができなかった。



(なんであんなに、いつも真っ直ぐでいられるわけ……?)



 彼がなぜそうしたのかは考えても最後までわからなかったが──すぐ助けに行かなかった自分がひどく惨めに思えてしまい、双葉は無性に腹が立った。





 すぐ真下の地面へと降り立ち、着地とともにドスンと鈍い音が響く。

 そして朔楽がゆっくりと顔を上げると、そこには豆鉄砲を食らったように驚いている女子生徒たちの顔があった。



「えっ、なに……? 上から落ちてきたの……!?」


「な、なんなのよあんた! いったい何者よ!?」



 突然の乱入者を目の前にした女子生徒たちは、お互いに顔を見合わせて困惑している。

 そんな3人を睨み据えながら、朔楽は挑むように啖呵たんかを切った。



「嫌がっている奴に寄ってたかって、ダセー真似してんじゃねぇぞ」


「は? 意味わかんないし。てかあんた誰よ」


「! その顔……もしかして、麻倉朔楽じゃない? 『SakuRaik@サクライカ』の」


「うっそマジ!? じゃあハセ高うちに入学してくるって噂は本当だったってわけ? 何それウケる〜!」


(ウケねぇよ)



 どうやら双葉の危惧していた通り、10秒も経たないうちに正体がバレてしまったようである。

 それでも朔楽は物怖じすることなく、真っ向から歩み寄っていく。その堂々とした態度がよほど可笑しかったのか、女子生徒たちはあからさまに侮蔑するような冷笑を浮かべ始めた。



「あ、なに? もしかしてウチらを殴って懲らしめようなんて思ってたりする?」


「えー、芸能人がそんなコトしていいのかなぁ〜? あたしたちがそれをネットに動画晒したらイチコロだよ、イ・チ・コ・ロ」


「じゃあアタシ、カメラ回しときまーす! なんならSNSじゃなくて、週刊誌にリークするのもアリ寄りのアリかもぉ……きゃっ」



 意気揚々とカメラ搭載型の情報端末スマートターミナルを取り出そうとした女子生徒の一人だったが、行動に移すよりも先に朔楽の手に掴まれてしまった。

 しかも彼女が掴まれたのは腕や胸ぐらではない。顎から下唇にかけてを、片手でクイっと持ち上げるように掴まれていた。



「……っ!?」


「アリアリうるせーんだよ、イタリア人ですかコノヤロー」



 それまで強気だった女子生徒もようやく朔楽の異質さに気付いたのか、畏怖したように引き下がり始めた。

 対する朔楽は周りにいる彼女の仲間たちにもガンを飛ばしながら、今度はそのうちのリーダー格と思われる少女を睨みつけ、ゆっくり校舎の壁へと追い詰めていく。



「ま、まさかホントにこのあたしを殴る気!? そんなことしたら、も……問題にしてやるんだから……!」


「……安心しろ、俺ぁ女と子供は殴らねー。でもな……」



 後ずさる少女を壁際まで追い込んだ朔楽は、逃げ道を絶つように片手を壁へと押し付けた。

 そして言葉を失っている彼女の耳元へと顔を近付け、低い声音で告げる。



「二度とこんな真似すんじゃねー。さもないと……、コラ」


「……ッ!!」



 一瞬たりとも目を逸らすことなく、念を押すように脅しかける。

 すると少女はよほど怖い思いをしたのか、糸が切れた人形のようにその場でへたり込んでしまった。

 すぐに朔楽が彼女から離れると、それまで傍観ぼうかんしていた取り巻きたちが慌てて駆け寄っていく。



「だ、大丈夫っ!?」


「なんかコイツやばいよぉー、今日はもうここまでにしとこ……?」



 2人は弱々しく吐き捨てつつもリーダー格の少女に肩を貸すと、彼女を連れてスタコラと校舎裏から逃げ去っていく。

 その背中を見送りながら、あまりにも呆気ない幕切れにため息を吐く朔楽。

 彼もすぐにこの場から立ち去ろうとしたそのとき、ふいに後ろから聞こえてきた声によって呼び止められた。



「サクラ!」



 振り返ると、階段の方から双葉が大慌てでこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。

 彼女は朔楽の前にやってくるなり、今にも殴りかかりそうな形相で怒りをぶつけ出す。



「ホンッ……ト馬鹿なのあんた!? 今ので完全にあの子達にマークされちゃったわよ!!」


「こ、声がデケェよ神崎パイセン……怪我人も出なかったわけだし別にいいじゃあねーか」


「全っっっ然いくない!! ああもう、これで入学早々あんたの学園生活がメチャクチャになったりでもしたらどーすんのよ……」


「……ひょっとして心配してくれてる?」


「はぁっ!? なんで私があんたの心配なんかしなきゃいけないわけ!? 付け上がるのも大概に──」



 と、そこで朔楽と双葉はようやく、自分たちを怯えた顔で見ている人物の視線に気付いた。

 前髪がやや目元にかかっている小柄なその少女は、先ほどカツアゲされそうになっていた気弱そうな女子生徒である。



「……ま、まあ、何事もなくてよかったわ。あなたも危ないところだったわね」



 慌てて笑顔を取り繕いながら、先ほどまでとは打って変わって優しく声をかける双葉。

 それは彼女なりに敵意がないことを示すための咄嗟の行動でもあったが、しかし少女の方はかえって警戒心を強めてしまった。

 今のでさらに半歩分ほど距離を取られてしまい、普段は強気な双葉もさすがに落ち込んでしまう。



(ひ、引かれた……? 笑顔が似合うアイドルナンバーワンに選ばれたこの私が……)


「つーかお前もお前だぞメカクレ子。言いなりになってると、ああいう奴らは調子に乗っちまうんだからよー」



 笑って誤魔化そうとした双葉とは対照的に、朔楽はあくまでも厳しい表情で正論をぶつけた。

 その言葉に少なからずショックを受けたのか、少女は哀しげに顔を俯かせてしまう。そして焦点の定まっていない虚ろな目で地面の土を見つめながら、今にも消え入りそうな小さな声で呟いた。



「いいんです。慣れてますから……」


「は?」


「中学の時からずっとあの先輩たちに絡まれてて、それで地元から離れたこの高校に入学したのに……まさかまた同じ学校だったなんて……ハハッ」



 聞いてもいない身の上話を急にし始めた少女だったが、話を聞くにどうやら中学時代から同じ女子生徒グループに絡まれ続けていたらしい。



「あの子達、これくらいじゃ懲りたりしませんよ」



 再び顔を上げた少女は、朔楽を静かに一瞥する。

 余計な真似をした朔楽を辟易するわけでも、激しく怒り立てるわけでもない。既にすべてを諦めているような投げやりな微笑が、その顔には浮かんでいた。



「助けてくださってありがとうございました。……まあ、たぶん無駄でしょうけど」


「お、おい。お前……」


「では、私はこれで失礼します」



 ペコリと小さくお辞儀をしてから、少女はそそくさと走り去っていった。

 嵐が過ぎ去ったように静寂が舞い戻ってきた校舎裏。そこにポツリと取り残されてしまった朔楽は、傍にいる双葉と困ったように目を見合わせる。



「……なんか俺、悪いことしちまったかな」


「さ、さあ……なにかワケありっぽかったものね。彼女」



 何がともあれ、こうして朔楽の高校生活1日目は、決して平穏無事とは言えない幕開けを迎えたのであった。

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