Act.18『逆襲のスティール・バイク(上)』

 麻倉朔楽がこの世に生を受けたとき、なんと彼の母親はまだ15歳であった。


 体を重ねるたびに『責任は必ず取る』と耳元で囁いてくれていたはずの相手の男性は、朔楽を妊娠していることが発覚した翌日には蒸発していた。

 もちろん当時の母の年齢的に籍を入れていたはずもなく、実家からも勘当されてしまっていため、かくして朔楽は初めから父親という存在がいない家庭環境で育つこととなる。



「いわゆる母子家庭ってやつだね」



 そのような境遇だったこともあり……女手一つで大切に育てられた朔楽は、幼少期のころから『いない父親の分まで自分が母を守らなければいけない』という責任感がとにかく強い子供だった。

 なので母親が勝手に応募していた子役オーディションに偶然にも受かってしまった時には、母に腹を立てるどころか、


 ──これは日頃の恩返しをするチャンスだ。


 と、逆に意欲を見せていたほどである。



「あれ、でも当時ってまだ6歳だっけ? もう親孝行を考えてたなんて、いやはや大人だねぇ」



 芸能活動は見事に功を奏し、特に子役ユニットの『SakuRaik@サクライカ』は紅白に出場するほどの大人気を博す。彼の人生においても、そこまでは順風満帆じゅんぷうまんぱんだったと言っていいだろう。

 しかしユニットの結成から3年が経ったある日に相方の来夏を殴ってしまい、二人の仲は最悪に。そのまま活動継続は困難と見なされ、ユニットは人気絶頂のまま解散してしまう。



「解散宣言のときのマスコミの慌てっぷりは凄かったよね。例の大げんかのことも結局週刊誌に載っけられちゃったりしてさ」



 そこへさらに追い討ちをかけるかのごとく所属していた事務所がいきなり倒産してしまい、こうして彼の芸能人生は早すぎる終幕を迎える。

 多くのものに裏切られた朔楽は、母親以外の大人が信じられなくなってしまう。そんな彼が不良少年へと堕ちていってしまうのも、もはや時間の問題だった──



「そしてすっかりグレてしまった元子役の喧嘩番長は、とある美人塾講師との出会いによって変わることとなるが、それはまた別の話である──と。ウンウン、web小説の主人公みたいな怒涛の半生だね」


「…………ところでテメー、何さっきから勝手に人の心ん中を読んでやがる」



 アクターズ・ネスト基地内にある休憩スペースのベンチにて。

 これ以上スルーし続けることに限界を感じた朔楽は、いつの間にか隣に座っていた男のほうをようやく振り向いた。

 線の細い体に黒のスーツをまとった眼鏡の若い男性は、まるで数年ぶりに同級生と会ったときのようなニコニコとした笑顔で応える。



「久しぶりだね、朔楽くん! いやあ、こうしてまた会えるだなんて思ってもみなかったよぉー」


「いや、そもそもあんた誰だよ……?」



 妙に馴れ馴れしく接してくるその男は、どうにも朔楽の記憶にはない人物だった。

 しかしそう言われた男はかなりショックだったのか、なんとも大袈裟なリアクションとともに驚いてみせる。



「ええっ、もしかして覚えていないのかい!? 田中です、田中!」


「そう言われても、同じ苗字のやつ結構いるしなァ……」


「3年前まで来夏くんのマネージャーだった田中ですよう! ほら、プロローグで二人の喧嘩を止めに入っていた眼鏡のあの人!」


「い、意味わかんねぇ……!」



 田中と名乗ったその男には悪いが、覚えていないものは覚えていない。

 これでも撮影現場にいたスタッフの名前などはきちんと記憶しているつもりなので、彼の場合は……まあ、単に印象が薄かったのだろう。

 少なくとも現在の彼の、まるで『無個性という言葉を絵に描いた』ような外見や服装を見た限りでは、強く印象に残ったとは到底思いがたかった。



「悪ぃけど高橋、用がないなら一人にしてくんねぇか……」


「田中です。ところでさっき警報音アラートが鳴っていたみたいだけど、君は出撃しなくてもいいのかい?」


「………………」


「もしかして、うちの社長に何か言われちゃったかな? だからこんなところで凹んでるんだよね」


「…………チッ」



 大人しめな見かけに反してグイグイと踏み込んでくる田中という男に、朔楽はつい舌打ちする。

 とはいえ、このまま鬱憤を抱えたままというのも何だか気持ち悪いような気がした。


 なので(こちらは完全に忘れていたとはいえ)以前から自分を知っているという相手に、思い切って朔楽は愚痴を聞いてもらうことにする。

 ひどく傷心しているせいなのか、不思議とそうしたい気分にさせられた。



「あんたのところの社長、俺と来夏がまたコンビを組もうとしてたのが許せなかったんだとよ」


「ふうん。それで君は、そんなコンビ再結成の邪魔をしてきたお偉いさんに怒りを感じている……と」


「いんや……むしろ逆、あっちがド正論すぎて怒る気にもなれなかったよ……」



 かつて自分の息子に手を挙げたことのある相手とコンビを再結成すると聞いて、父親が止めに入らないはずがない。それが男性恐怖症のきっかけとなった張本人ともなれば尚更である。



「なるほどね。君が本当に許せないのは、君自身ってわけだ」



 朔楽の物憂ものうげな横顔からそういった心境を読み取ったであろう田中は、見事にこちらの抱いている怒りの正体を言い当ててきた。

 自分でもうまく言語化できていなかった感情を他者により教えられた朔楽は、しかしどこかパズルのピースがはまった時のようにすんなりと腑に落ちてしまう。



「そう、かもな……昔あいつを傷つけたことは知ってたはずなのに、俺はそれを棚に上げて……寿子さえ助けられるならそれでいい、本気でそう思ってた」



 そしてその目的を果たすためには、どうしても力が……“ゼクスト・システム”が必要不可欠である。

 そのためだけに朔楽は、疎遠だったかつての相方と再び手を取り合おうとしたのだ。今にして思えば、無意識のうちになんとも打算的な行動を取っていたものである。



「ははっ……結局のところ、俺はあいつを利用しようとしていただけだったのかもな!」



 実際に声に出してみると、思いのほか自分がその事実を受け入れてることに気付く。

 一応、来夏と仲直りをしようと思ったのは本心からだ。しかしそれはあくまでも『自分の目的を遂げるためのいち過程』であり、言うなれば手段に他ならない。

 挙げ句の果てに来夏の同情を誘ってまで漬け込もうとしていた自分が、ひどく滑稽こっけいいやしく思えた。



「まあ、それも失敗しちまったんだけどな。昔のツケが回ってきたってヤツだ。俺みたいな自分勝手な人間は、来夏に嫌われて当たり前だ……」


「嫌っている? 来夏くんがそう言っていたのかい?」


「そんなの聞かなくてもわかるだろ……ああそうだ、あいつは今でも俺を憎んでるに違いねぇ。そう思われて当然のことを俺はしていた……」


「……そっか。でも君がどう思うと勝手だけれど、このままじゃ現実はなにも進展しないままだ」


「……っ」


「来夏くんとの関係も修復できず、君が救おうとしていた人も救えない。そんな結末で君は本当にいいのかい?」



 いいわけがない。いいはずがない。

 しかしそう思う朔楽とて、自分にやれることは既に嫌というほどやったつもりなのだ。


 恩師である寿子を傷つけた責任を負うため、あれだけ足が遠のいていた芸能界に再び戻ってきた。

 そして男性恐怖症であるという来夏とコミニュケーションを取るべく、女装のイロハを徹底的に叩き込まれたりもした。

 これを『万策尽きた』と言わずに、何というのか。



「じゃあ、どうすれば良いんだよ……ッ!?」



 今の朔楽が何をしたところで、3年半の過失が消えることはない。

 実際それが尾を引いた結果、こうして創一より解散を言い渡されてしまったのだ。これでは何をしたって意味がないのと同じではないのか。



「簡単さ。誰の言葉も気にせず、ただ君がやりたいようにやればいい」



 苦渋に顔を歪めてようやく吐き出した朔楽に対し、田中はさも当たり前のように泰然と答えた。



「昔の君はそうだっただろう?」


「……いつの話してんだよ、俺はもう15だぞ……」


「フッ、だからさ。昔より少しだけ周りのことが見えるようになった君は、いろんな事を気にするあまり自分の行動を制限してしまっている。オトナとしてはある意味、それも正しい生き方かもしれないけど……それじゃあ君が本当にやりたいことは成し遂げられない」



 田中からも指摘されたとおり、確かに今の朔楽はなにもできず八方塞がりになってしまっている。それは例えどのような選択肢を選んだとしても、ろくな結果にならないことが目に見えているように思えてしまっていたからだ。

 しかし田中は諦めるにはまだはやいといった様子で、彼に道なき道を指し示す。



「はっきり言わせてもらうよ、『誰も傷つけない生き方』なんて不可能だ」


「……っ!」


「なにも君が悲観することじゃあない。僕だって悲しいけど、人間というのは得てしてそういう生き物だからね……ではなぜ、君のように優しい生き方をヒトは望むのか? 多分それは『誰にも傷つけられたくない』からなのさ」



 レンズ越しの澄み切った目を輝かせて、田中は朔楽へと語り聞かせる。



「朔楽くん。君が本当に強くなりたいのなら、『誰かに傷つけられてもいいという覚悟』を持つことだ」


「傷つけられてもいい、覚悟……」


「いまの君を縛っているものだって、なにも全部が君にとって大切なわけじゃないだろう? 外野やお偉いさんになんて気を使う必要はない、本当に君がやりたいことだけを優先させるんだ──そう考えるようにすれば、ちょっとは道も見えてくるんじゃあないかな?」



 『って、仮にも社長室専属のマネージャーがこんなことを言ったらマズイかなーあはは!』と田中はシリアスっぽくなってしまったムードを吹き飛ばすように笑ってみせたが、朔楽は彼の言葉に思うところがあったのか無反応なまましばらく呆然としていた。



「高橋……あんた、意外とかっけぇこと言うな……ちょっと見直したわ……」


「ええっ、そんなに物珍しかった……!? あっあと高橋じゃなくて田中だからね」



 とにかく田中からもらった助言のおかげもあって、朔楽は閉ざされかけていた視界が再び開けたような気がした。


 それまでは色んなことを考え過ぎて、何をするにも二の足を踏んでしまっていたが──“どうでもいいヤツからは嫌われても構わない”という前提条件が加われば話は別である。

 朔楽には、何が何でも救いたい恩師のほかに、もうひとり大切にしたい相手がいる。考えることなどそれだけで十分だった。



「っとと、こうしちゃいられねぇ。ありがとな田中、おかげで吹っ切れたぜ」


「だから田中じゃなくて高橋……あれ?」


「そんじゃ、ちょっくら行ってくるわ!」



 ニカッという三年前と変わらない無邪気な笑みを取り戻した朔楽は、すぐさま機体が格納されているハンガーの方向へと駆けていった。

 そうして誰もいない休憩スペースに取り残されてしまった田中は、その場で静かにひとちる。



「ええ、幸せそうで何よりですよ朔楽くん……やはり私の獲物は……ククッ、そうでなければ……」



 遠くなっていく背中を嬉々として見つめながら……人の世に溶け込んでいる物の怪は、“いずれ来る極上の瞬間”をただただ待ち遠しそうにしていた。

 蛇のように裂けた笑みを、その口元に張り付かせて──

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