Act.15『出来ることなら、誰も傷つけずに済む生き方を』

 1日のルーチンワークとなっている訓練を終えたあと、朔楽はまた“アクターズ・ネスト”内にある医務室を訪れていた。

 ベッドに横たわる恋ヶ浜こいがはま寿子ひさこは相変わらず眠ったままで、一向に目覚める気配もない。辛うじて自発呼吸はしている様子だったが、まるで魂だけが肉体から抜けてしまったように植物状態となっていた。



 ──今のところ命に別状はないけれど、おそらく“アンノウン・フレーム”から彼女のドレスを取り返さない限り、昏睡状態は解けないだろうね。



「…………っ」



 以前にメリーから言われたことを思い出してしまい、朔楽はやり場のない苛立ちをつのらせる。

 どうやら寿子の精神は、彼女自身の心が引き金となって顕現したアウタードレス──“フロスト・フラワー”と紐付いているらしい。こうして意識が戻らないのも、くだん正体不明機アンノウン・フレームに精神を囚われてしまっていることが原因だという。


 『決してPCほんたいが壊れているわけではないが、アカウントの権限を第三者に乗っ取られてしまっているためログインできないような状態』……と、現在における寿子の肉体からだ精神こころの関係性を、メリーはそのように例えていた。



夕二ゆうじとだって約束したんだ。こんなところで止まっていられるかよ……)



 アンノウン・フレームを倒し、何としても寿子の意識を奪還すること──それが今の朔楽にとって最大の目標であり、果たすべき義務である。

 そして読心能力をもつ最強の敵に打ち勝つためには、適格者とされたアクター2名の精神を同調させる“ゼクストシステム”を使用するほかに手段はないという。


 つまるところ、ペアリング・パートナーとの険悪な仲をどうにか修復するしか道はないということだった。



「うーん。問題はやっぱ、アイツとどうやって『いちど気持ちをぶつけ合う』かだよなぁ……」



 目的だけはハッキリとしているものの、具体的な方法はまだコレといって浮かんでいない……というのが、いまの朔楽の正直な悩みであった。

 これまでの人生を“ノリ”で生きてきた彼にとって、親しい友人というのは気がつけば自然と出来ているものであったし、『意図的に仲良くなる』などといった経験は一度たりともなかったのである。ましてや男性が苦手な相手など、どう接すればよいのかまるでわからなかった。



「やっぱし飯に誘ってみるのがイチバン無難か……? いや、でもなぁ……俺ってそーいうキャラじゃあねぇしなぁ〜……」



 とは言うものの、他に案が思いつかないというのも事実である。

 なので朔楽は病室に誰も人がいないのを好機に、練習も兼ねて何となく声に出してみることにした。



「お、俺といっしょによぉ……ぎゅ、牛丼食いにいかねぇかよぉ……?」


「へぇ、そういうチョイスするんだ」


「ぎゃあああああああああああっ!!?」



 突然背後から聴こえてきた声に、驚きのあまり悲鳴を上げながら振り返る。

 いつの間にかそこにいたのは、まさにたったいま食事に誘う練習をしていた相手──冬馬とうま来夏らいか、その人だった。医務室の入り口に立っている彼は、ひどく大げさなリアクションをする朔楽をうんざりした顔で見やっている。



「らっ、らららライカ!? いつからそこに……!」


「なんか『気持ちをぶつけ合う』とかナントカってところから」


「ほとんど最初からじゃねえか!?」



 どうやら見られたくない場面を一番見られたくない相手にバッチリ見られてしまっていたらしい。実に一生の不覚である。



「うあぁあ、何なんだよもう……用がないなら帰れよぉ……」


「君に用があって来たとは一言も言ってないんだけど。ところで、ここの担当医は離席中かな」


「あン? あ、ああ。多分すぐ戻ってくるとは思うケド……」


「そう。わかった」



 渋々だが一応納得したように短く言うと、来夏は部屋の角の空いているベッドのほうへスタスタと歩いていく。

 そして物音を立てることなくそこへ静かに腰かけると、その位置から何も言わずに朔楽の顔をただじっと見つめてくるのだった。



「…………(じーっ)」


(おいおい、まさかここで待つつもりかよ……てかさっきから超ジト目で俺のことガン見してきてやがるんですけど……!?)



 無言で凝視されたまま会話らしい会話をすることもなく、気まずい沈黙だけが朔楽の中の時間を流れていく。

 彼も決して口下手というわけではないのだが、今回に限っては相手を変に意識しすぎているせいか、ほんの軽い雑談を持ちかけることさえ躊躇ためらってしまっていた。



(……って、なにコミュ障みたいになってんだ俺! 今こそ来夏と面と向かって話をするチャンスじゃあねえのか……っ! うし決めた、3つ数えたら勇気を出してなにか話題を振ろう。よっしゃ行くぜ、3……)


「君ってその女の人のこと好きなの?」


「ぶふぅぉ!?」



 軽くジャブを打とうとしていたところで、思いがけぬカウンターブローを喰らってしまった。

 顔を真っ赤にしながらむせ返ってしまう朔楽。そんな彼の慌てふためいた様子を見るなり、来夏はきょとんと首を傾げる。



「……ずぼし?」


「ち、ちげぇよバカ! てめーがあんまりにも直球でブッ込んできたからびっくりしただけだっつーの!」


「ふーん、そういう割にはずいぶん彼女のことを気にかけているみたいだけど」


「俺のことなんざどうだっていいだろ! お前こそ他人に興味なさそーにしてるわりに意外と食い付いてくるな……!?」



 気恥かしさから朔楽はそう言ってすぐに話を逸らそうとしたものの、しかし予想に反して来夏はとくに意に留めるような様子もなかった。

 彼は決してこちらから目を離そうとはせず、まるで心意気を試すように問いかけてくる。



「で、本当のところはどうなの?」



 少なくとも茶化したり馬鹿にする意図が来夏にないことは、彼のいつになく真剣でひたむきな表情からも見て取ることができた。

 そんな彼に不覚にも感化されてしまった朔楽は、ほんの少しだけ腹を割って話してみることにする。そうすべきであると、彼の中の直感が告げていた。



「……好きか嫌いかでいったら、たぶん好きだ。でもなんつーか……俺にとって寿子は、好きとは違う……と思う」



 眠っている寿子の人形のように整った顔立ちを横目に見据えながら、朔楽は辿々しくもありのままの心中を吐露する。



「寿子は俺を変えてくれたんだ。……いや、変えようとしてくれていた。この世の何もかもが気に入らなくて喧嘩ばっかりしていた俺に……あの先生ひとは、“そうじゃない生き方”を教えてくれたんだよ……」



 寿子と出会ったのは、今からちょうど1年ほど前。進級を間近に控えた中学2年の初春だった。


 ずっと一緒だと思っていた親友・龍暮夕二から『進学校への受験を考えている』と打ち明けられた朔楽は、(かつてないほど激しく殴り合った末)自分だけが将来を何も考えてないように思えてしまい、右も左もわからぬまま駆け込むように学習塾の門を叩いたのである。

 そこで担当となったのが、当時まだ新米の塾講師だった恋ヶ浜寿子であった。



 ──しかし、あんたも災難だったな。まだ新人だってのに、こんな九九もわからねぇような問題児を押し付けられちまったんだからよぉ。



『それじゃあ、まずはかけ算から覚えていこっか。これから1年間、合格めざして二人三脚で頑張っていこっ!』



 ──…………………………………………はあ!?



 彼女は誰でも名前を知っているような有名大学に通うほどの秀才ではあったが、同時に朔楽ですら恐れおののくほどのでもあった。

 笑いながら毎日のように課題の山を用意してくるほどのスパルタ教育。かと思えば夏祭りやクリスマスなどの勉強が億劫になりがちな日には、一緒になって授業をサボってくれたこともあった。

 少なくとも塾講師のアルバイトとして給料を貰っている者としては褒められた真似ではなかったが……そんな彼女の型破りな教えに、朔楽は勉強以上に大切なことを学ぶ。



 他人を思いやり、敬意を示すこと。



 それまでの朔楽の人生において“教師”という人種は、こちらの事情を理解しようともせず理不尽なルールで押さえつけてくるでしかなかった。

 彼らのような大人たちは社会にそぐわない不適合者を劣等生と断じ、勝手に見下してくるような輩ばかりだったのだから、そんな連中に敬意を払えというほうが到底無理な話である。


 だが寿子は、生徒の指導を受け持つ先生として……それ以上にひとりの人間として、不良というレッテルを貼られていた朔楽に対しても偏見を持たずに正面から向き合ってくれた。

 母親か、ごく少数の気の合う友人としか馴れ合うつもりのなかった朔楽にとって、そんな寿子の『優しい生き方』はあまりにも衝撃的であり──そしていつしか、彼女に淡い憧れを抱いたのだ。



 ──1年後、キミがどれだけ成長した姿を見せてくれるのか……ふふ、楽しみだねっ!



「ふざけんな。俺はあんたに、まだ何も見せられちゃあいねーんだぞ……?」



 無念を拳で握りつぶしながら、朔楽は心苦しそうな表情で吐き捨てる。

 そんな彼の話をなにも言わずに聞いていた来夏もまた、どこかやるせなさそうに切ない顔を浮かべていた。彼はそれまでベッドに注いでいた視線を再び朔楽へと戻してから、こちらの意思を確認するべく訊ねてくる。



「……君にとって彼女がどれだけ特別な存在だったのかはよくわかったよ。そして君の心ない言葉が彼女を傷つけ、あのアウタードレスフロスト・フラワーを顕現させてしまったということもね」


「…………っ」



 こういう時でも遠慮なくストレートにものを言う来夏の言葉は正直かなり堪えたが、事実であることに変わりはないため朔楽も否定する気はない。むしろ下手な気休めなんかは絶対に言わない彼の性格が、いまはむしろ有り難いとさえ思えてしまうのだった。

 ゆえに朔楽は、決して来夏から目を逸らすことなく挑むように答える。



「ああ……寿子をこんなにしちまったのは、間違いなく俺の責任ツケだ。今さら自分の落ち度を棚に上げるつもりはねぇよ」



 誰も傷つけない生き方を望んでいたにも関わらず、一番傷つけてはいけない人を傷つけてしまった。

 だからこそ、今ここで止まるわけにはいかない。その揺るぎない決意を覚悟に変え、朔楽は今まで口にできなかったことをようやく声に出して告げる。



「来夏、すまねぇ……!!」


「え、ちょっ──」



 唐突に朔楽が肩に手を置いてきたため、驚いた来夏は思わず後ろに飛び上がってしまった。

 つい力加減を忘れて勢いあまった朔楽もその場で転びそうになってしまい、両者はそのままもつれ合うようにベッドの上へと倒れこむ。かくして来夏は真っ白なシーツに半身を押し倒されながら、仰向けになって朔楽の顔を見上げる奇妙な体勢となった。



「…………まったく、ずいぶんと乱暴だね……」


「ああ。そんな乱暴な俺のせいで、お前が男を怖がるようになっちまったってんなら……俺は本物の大バカ野郎だ……!」


「き、み……?」



 何か様子のおかしいことに気付いた来夏が顔を上げると、その肌に落ちてきた熱い雫が触れる。

 それは朔楽の瞳から零れ落ちた涙だった。



「わかってんだよ……俺のこの手は、触れたものを何でも傷つけちまう。寿子も、『SakuRaik@サクライカ』の関係も、結局は俺がぜんぶ壊しちまった。ダメだとわかってても、一度カッとなっちまうと、自分をコントロールできなくなる……」


「…………」


「それでも、せめて寿子は俺のこの手で救い出して、そしたらちゃんと謝ってよぉ……元どおりってのはさすがに無理でも、また前みたいに笑いあえるくらいにはなりてぇ。


 ……本当は、……」


「……!」



 消え入りそうなかすれ声でそう呟いたのを、来夏はたしかに聞き逃さなかった。

 少なくとも朔楽のほうは関係の修復を望んでいるようである。それは『元どおりなどあり得ない』と断じていた来夏からしてみれば意外に思えるものではあったが、しかし今の彼の言葉で感情を揺さぶられてしまったのもまた事実だった。



「さ……さく、ら……僕も、ずっと前から君に言い──」



 数年ぶりに名前を呼んで、何かを告げようとした──そのときである。

 不意に医務室の扉が開かれたかと思えば、突然スーツ姿の男が入室してきた。その人物はベッドに押し倒されている来夏を見るなり、顔を硬直させたまましばらく入り口の辺りに立ち尽くしていた。


 白衣を着ていない恰幅な男は、どう見ても医者には見えない。いきなり現れたその部外者は少なくとも朔楽の知らない人物ではあったが、直後に来夏が呟いた声を聞いて様子が変わった。



「お、お父……さん……」


(なに、来夏の親父だって?)



 来夏が男をそう呼んだことにも驚いたが……それよりも朔楽が気になったのは、父親を見たとたんに来夏の体がほんの僅かに震えていたことだった。

 こうして間近に見ないと気付かないレベルではあったが、間違いない。彼は父親に対して何らかの恐れを抱いているようである。



「……君が麻倉朔楽くんか。こうして直接会うのは初めてかもしれんな」


「あ、俺?」


「ここで君と鉢合わせることになるとは正直想定外だったが……うむ、せっかくなので私の口から直接言わせてもらおう」



 男は平静を取り戻すようにメガネをかけ直してから、改まった様子で朔楽たちの前へと詰め寄ってくる。

 そしてチラリと来夏の顔を一瞥したあと、再び朔楽のほうへと顔を向けなおし──



「今すぐコンビを解散しなさい。君のような人間は来夏のパートナーに相応しくない」



 まるで下界の民を見下す傲慢な神のように──大手芸能プロダクションの代表取締役・冬馬とうま創一そういちは、遥かなる高みから理不尽な宣告を言い渡してきた。

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