Act.11『ホンモノのヒーロー』
「ゼェ……ハァ……くそぉ、なんで俺までこんな目に……」
駅前の市街から少し離れた場所にある小さな公園。
そこへ辿り着いた
長時間走ったことにより荒くなっている呼吸を必死に整えながら、手近なところにあったベンチへと沈み込むように腰掛ける。そのまましばらく呆然と休んでいると、ほのかに熱を帯びていた頬に冷たく固い感触が当たった。
「冷たっ!?」
「あ、ごめん。ボーッとしていたからつい」
今しがた自動販売機のほうから帰ってきた青年──もとい俳優の
なにが『つい』なのかは今一よくわからなかったが、それ以上はあまり深く考えないことにする。役を演じていないときの彼が少し
「さっきは巻き込んでしまって本当にごめんね。これは自分からのお詫びです」
「お、おう。サンキュ……」
奏多のファンたちに散々追い回されたことですっかり喉が渇いていた朔楽は、受け取った飲み物をさっそく喉へと流し込む。
すると次の瞬間、彼はまるで即効性の毒を盛られたかのごとく唐突に苦しみ悶えはじめた。味覚の暴走は止まることをしらず、ついに口から赤茶色をしたおどろおどろしい炭酸水を噴き出してしまう。
「ゲホッゲホッ……うえぇ、なんだよこのクソ不味いジュース!?」
「スキヤキサイダー。世界で一番美味しい神の
「商品名から悪意と殺意しか感じられねぇんだけど!?」
決して出逢ってはいけない両者が混じり合ってしまった結果、この世に産まれ落ちてしまった
「だ、大丈夫かい? あまりにも美味しすぎてビックリしちゃったのかな?」
「この惨状を見てなおも美味しいと言い張るお前にビックリしてる」
テレビやインタビュー動画などではしばしば天然キャラとして知られている奏多だが、実際のところどこまでが彼の本性なのだろうか。
ひょっとすれば天然さもすべて
「あっ、失礼。隣に座っても?」
「もうとっくに座ってんじゃねーか……」
前言撤回、彼はどうやら
それでいて(タイミングはだいぶ遅いものの)ベンチの隣へ座るのにわざわざ断りを入れてくるあたり、根は真面目な性格であることも
「………………」
「な、なんだよ……? 急に黙ったままジロジロ見やがって」
「いや、君の顔……どこかで見覚えがあるような気がして……」
(! やべっ、さすがにバレたか……!?)
じっと疑うような視線を向けられてしまい、とたんに朔楽は猛烈な危機感に襲われはじめる。
いくら女装をしている状態とはいえ、相手は自分と同じ
何よりキスのせいで気が動転して以降は、女性らしく振舞うことをすっかり忘れてしまっていた。散々メリーから言われた教訓をきちんと守らなかった挙句にこのような状況に陥っているのは、なんとも皮肉な結果である。
「ち、ちちっち違うからなっ!? これにはれっきとした事情があるわけで、別に俺は好きでこんな格好をしてるわけじゃあ……!」
「あっ、ということはもしかして君……モデルの子かい?」
つい反射的に『は?』と聞き返してしまった。
そんな困惑しきっている朔楽に所構わず奏多は続ける。
「失礼。自分の仕事柄、なんとなくプロのスタイリストが選んだような服装にみえてね」
(
「でもスカートは履き慣れていない気もするし……ああゴメン、似合ってないって意味じゃないよ。むしろ完璧すぎるくらいに着こなしているんだけど、キミ自身が少し
要するに奏多は、あろうことか朔楽を『スタイリストに服を選んでもらう職業』かなにかだと勘違いしているらしい。
あまりにも的外れな予想に少しだけ呆れてしまうが、それでも女装を看破されてしまう屈辱よりは幾らかマシである。そう思った朔楽はとっさに──
「あはは……そ、そうなんですよ〜! 普段はいつもズボンルック(?)だから、あんまりミニスカみたいな女の子っぽい格好って苦手で……ほら、私ってば見ての通りボーイッシュ系だし!?」
自分自身を偽ることにしたのだった。
幸いこちらがアクターであることに
「わ、やっぱりモデルさんだったんだね! ちなみにどこの所属かを聞いても?」
「えと、ルビー……」
株式会社ルビードライブ──かつて自分が所属していた芸能事務所の名前を言いかけて、朔楽は慌てて言い直す。
「じゃなくって……す、スターサファイア・プロダクションです」
「へぇ、じゃあ
「え、ええ。まぁ、仲良くさせてもらってる……かな」
本当は再会してから会話すらもロクに出来ていないのだが、とりあえずこの場では事実を捻じ曲げることにした。
それを知らない奏多は朔楽の答えを聞くなり、どこか安心したようにホッと胸を撫で下ろす。
「そっか。ちょっと安心した……」
「……?」
「ああ、ゴメン。こっちの話だけれど、来夏くんのことがずっと気がかりだったんだよね。ほら、彼はその……ある時期から男の人と接することが出来なくなってしまったらしいから、それ以降は映画やドラマで共演するときも別撮りで……」
(オイオイあいつマジか)
男性タレントとの共演がすべてNGになっているという話は聞いていたが、いくらなんでも徹底しすぎだと朔楽は素でドン引きしてしまう。
言うなればそれはまさしく、これまで元気に学校へ通っていたクラスメイトが、急に音信不通のまま皆の前から居なくなってしまうようなものだ。道理で奏多も心配になってしまうはずである。
「アイツ……来夏さんとの付き合いは結構長いんですか?」
「うん、それなりに。自分のほうが歳上ではあるけど、芸歴でいえば彼のほうが自分よりも3年ほど先輩だからね。そうそう、あの『
(あーハイハイ、知ってる。なぜなら俺もそこにいたから)
自慢げに鼻をこすっている奏多を見て、つい朔楽は呆れたような笑みを浮かべてしまう。
……もっとも、その映画の撮影現場にて『
その後は二人が出演する予定だったシーンの脚本に大幅な修正が加えられたうえで、一応映画そのものは無事に公開されることとなったのだ。とはいえ本来想定していたものとは違うシナリオだったこともあり作品の評判はあまり著しいものではなく、『俳優陣が豪華なだけのクソ映画』という最悪のレッテルを貼られてしまうこととなるのだが──それはまた別の話である。
「あの頃はまだ男性と話すのも全然大丈夫だったのに……来夏くん、いったい何があったんだろう」
「……風凪さんにも、理由はわからないんですか?」
ふと朔楽が
「うん、残念だけど自分もそこまでは知らないな……。昔は平気だったってことを考えると、きっと何かキッカケがあって男性恐怖症になってしまったんだと思うけど……」
奏多はそう自らの考えを述べると、改まったように朔楽のほうを向き直る。そして飾り気のない真剣そのものといった表情で、正面から真っ直ぐに見つめてくるのだった。
「ねえ、キミのほうでは何か来夏くんから聞いていないかな?」
「へ、俺!? ……じゃなくて、私ですか……?」
「うん。キミみたいな女の子のお友達になら、本当のことを話してるかもと思って。こう、例えば『男の人に乱暴された』……とか」
「男に乱暴を……」
奏多の言うとおり、来夏の身に男性がトラウマとなるような“なにか”があったと考えるのが自然である。
そう思った朔楽は、とりあえず過去にそのような出来事があったかどうかを思い返してみる。すると自分でも意外に思えるほどに、思い当たる節は案外すぐに見つかってしまった。
(……ってか、ひょっとしてアイツに乱暴な真似をした野郎ってのは……もしかしなくても俺じゃあねーか!?)
今から3年半ほど前。撮影ロケ中に大げんかしたあの日、朔楽には相方の顔を思いっきりブン殴った記憶がたしかにあった。
もしもあのときの出来事が、来夏が男性恐怖症となった原因なのだとしたら──彼が朔楽に触れられただけで異様に怯え出したのにも説明がつく。それどころか考えれば考えるほど、すべての辻褄が合っているかのように思えてしまうのだった。
(うおおお……やっぱり俺なのか、俺が原因なのかぁ……ッ!?)
「だ、大丈夫かい? なんだか滝のように汗をかいているけれど……」
「聞いてません! 知りません! 何もやってません!」
「? そ、そっか。聞いてないならいいんだ」
手がかりを得られなかった奏多は、少しだけ残念そうに肩を落とした。
一方で朔楽はそんな彼の姿を見るなり、何とも言い難い後ろめたさでいっぱいになってしまう。心から来夏のことを案じているのだとわかる奏多の横顔が、胸を刺すように痛みつけて来るのだった。
「『同情だけで人は救えない』、か……悲しいけど」
「風凪さん……?」
「自分はね、これでも俳優という職業には誇りを持っているつもりなんだ。演じた作品を観てもらえるのはとても嬉しいし、感動を通してみんなに勇気や元気を与えること……それこそが自分にとって最大の幸福であると知っている」
『でもね』と、奏多は無念を噛みしめるように重々しく言葉を紡ぐ。
「最近はこうも思うんだ……ドラマや映画はどこまでいっても、結局は
そのように語る奏多の思想は、ある意味で傲慢にも聞こえるものだったが、それ以上に彼自身の純粋な優しさから来る願いでもあった。
なまじ多くの夢を実現するだけの能力を持っている彼だからこそ、そういった人ひとりには到底背負いきれないような苦悩まで抱えてしまっているのだろう。
しばらく沈黙が流れたのち、意図せず空気を重苦しくしてしまっていたことにようやく気が付いた奏多は、慌てて隣に座っている朔楽へと謝りだした。
「あっ……ご、ごめん! 初対面の相手にこんな話をされても困っちゃうよね。できれば今のは忘れてほし──」
「ほんと、聞きたくなかったぜ。ずっと憧れていた人の口から、そんな弱気なセリフはよぉ」
途中で言葉を遮られ、奏多はほんの少し驚いたように目を丸くする。
朔楽は構わずに続けた。
「
「! 7年前の、自分のデビュー作……」
「困っている人を救えないだと? 冗談じゃねぇ……俺の知ってる佐山岳は、命がけで世界を救った
昔よく見ていた特撮ヒーロー番組のセリフを引用しつつ、朔楽は念を押すように喝を入れた。
彼の迫力に気圧されて奏多はしばらく唖然としていたが、次第に元気を取り戻しフフッと笑みをこぼす。
「女の子なのに、随分と詳しいんだね?」
「へっ!? あ、いや、えっとぉ……これはその……そ、そう! 弟と一緒に見てたからであって……!」
「ううん、そう言ってくれてとても嬉しいよ。それにおかげで、前にも他のファンから同じコトを言われたのを思い出した」
「俺……わ、私と同じコトを前にも……?」
「うん、何年か前にね。ある小さな少年に励まされたことがあって……」
奏多が感慨深そうに思い出話を聞かせようとしていたそのとき、突如として鳴り響いた
そこで彼はふと、なぜか警報音が二重に響いていることに気付いた。
「ん? おかしいな、どうして音が重なって……えっ」
(ギクッ)
音の鳴ったほうへ奏多が目を向けたのと、朔楽が慌てたように“ゼクスブレス”を取り出したのは、ほぼ同時のタイミングだった。
「キミは……もしかして……」
「…………っ」
朔楽の左手首に巻かれた“ゼクスブレス”を見てしまった奏多は、やはり何かを問いたげな様子になったが──今だけは
雲ひとつない青空に、赤い絵の具をこぼしたような波紋が広がりつつある。
俗に『
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