Act.10『スカートある処に風は吹く』

 アクターズ・ネスト関東支部 ティーチングルーム。



【『STEP2ステップツー』──外見だけではなく、



 そんなわけのわからない教訓……もとい狂訓がでかでかとホワイトボードに書かれた教室にて、女装初心者ビギナーこと麻倉あさくら朔楽さくらはなぜか講習を受けさせられていた。

 室内には彼と講師役の2人以外に誰もおらず、ほとんどマンツーマンのような授業形式である。そして朔楽の座っている机の上には、ノートの他に『はじめての女装』という表題の見るからに怪しげな参考書が広げられているのだった。



「──であるからして、女装の起源はかなり古い時代にまでさかのぼるとされており……ムムッ、朔楽くん!」


「んあ?」


「みっともないから脚を閉じたまえ!」


「な、なんだよ急に…………ハッ」



 講師ことメリーケン=サッカーサーから厳しく注意され、そこで朔楽は自分が丈の短いスカートを履いていたことを思い出す。

 彼は慌てて脚を閉じつつ、大胆にさらされた太ももを隠すようにミニスカートのすそを引っ張った。



「…………み、みえてた?」


「うん。白と黒のしましま」


(うわああああああああああああ〜っ!!)



 履き慣れていないミニスカート──そのに穿かせられた着衣の模様まで言い当てられ、羞恥心のあまり朔楽は声にならない悲鳴を上げる。そんな彼の女装姿をみて、メリーはニヤニヤと意地悪な笑みをこぼした。


 長い髪をサイドテールに結い、ゆったりとして涼しげなシースルーブラウスに、上から羽織はおった七分袖のロングカーディガン。その下にはトレンチライクなミニスカートを履いており、細く引き締まった太ももからハイヒールを履いた踵にかけて、大胆にも生足の脚線美があらわになっている。


 朔楽のもつ長身を最大限に活かし、なおかつ大人の女性的な魅力をかもし出している見事なガーリーコーデだった。

 もちろん服をチョイスしたのは彼自身ではなくメリーである。



「だいたいなんで女装しながら授業を受けなきゃならねえんだ!? こんなんじゃ集中できないだろ!」


「これも女装訓練の一環だからさ」


「女装訓練って何!?」


「やれやれ朔楽クン……ミニスカ戦士たるもの、いつ如何いかなるときも油断してはいけないのだよ?」


「そんなクソみたいな戦士になった覚えはねぇよ!」


「もうっ、またそんな汚い言葉遣いをして……いいかい、今のキミは女の子なんだよ? 次に男っぽい口調で喋ったら、いっそ石鹸でその口を洗うしかないなぁー。HA HA HA〜」


(ダメだ。今のこいつに何を言っても通用する気がしねぇ……!?)



 男性恐怖症である相方ライカと最低限の意思疎通コミニュケーションはかるためには、“女装”をするしかない──

 そう言われた朔楽は(嫌々ながらも)その条件を呑み、そして(実に不本意ながらも)女物の洋服に袖を通すことを(渋々だが)認めた。それは事実である。


 実際問題『SakuRaik@サクライカ』としての活動を再開するにはなるべく来夏を怖がらせない必要があるし、コンビとして連携しなければ“アンノウン・フレーム”を倒すことはできない。

 すなわち自分のせいで昏睡状態となってしまった寿子を救い出すこともできないのだから、もはや彼の中に女装しないという選択肢はなかった。


 だが、しかし、さすがに、こればかりは……



(なにがスカートだ……こ、こんなの、パンイチて外を出歩くのとなにも変わらないじゃあねえか……! マジで女はこんな布っ切れを腰に履いてるだけで平気なのか!?)



 を履いたのは当然ながらこれが初めてだった。股の間をスースーと通り抜けていく風の感覚が、なにかとても良からぬ領域へと朔楽をいざなってしまいそうになる。

 履き慣れていないせいか、正直とても着心地が悪い。そもそも彼らがここまでフランクに女装趣味を押し付けてくること自体、どう考えても明らかに普通ではないと思える。百歩ゆずって(あくまで寿子を救うという目的のための手段として)女装することは受け容れられても、こんな丈の短いスカートにまで魂を売り渡した覚えはないのだ──!



「コホン。され、それじゃあ授業を再開し……って、あれれ?」



 数秒前まで目の前に座っていたはずの人物がいつの間にか消えていることに気付き、思わずメリーは慌てふためいてしまう。

 そしてハッとしたメリーが急いで視線を巡らせたとき、すでに朔楽は教室の出入り口まで辿り着いていた。



「こらー! 待ちたまえー!」



 逃亡を図ろうとする教え子をメリーはすぐに呼び止めたが、それでも朔楽は構わずにドアの外へと飛び出していく。



「けっ、だったらもっとマシな訓練をさせろって…………どわっ!?」


「いやんっ♡」



 全速力で廊下を駆ける朔楽が突き当たりを曲がろうとしたそのとき、ちょうど角から飛び出してきた巨大な胸板と激突してしまった。

 倒れ込んだ朔楽はその場で尻餅をついてしまう。



「痛っつつ……わ、悪りぃ。前方不注意で……」


「あら、キュートな白黒のしましま♪」


「……は?」



 今しがたぶつかった人物によくわからない言葉を投げかけられ……

 一瞬遅れて朔楽は、またしてもスカートのまま開脚してしまっていたことに気付く。



「うわあぁっ!?」


「オホホ、リアクションもだいぶ“らしく”なってきたわねぇ」



 慌てて太ももをひた隠す朔楽に、眼前の巨体は微笑みながら手を差し伸べてくる。壁のように高い長身をハデな紫色の衣服で包み込んでいるその特徴的な人物は、いちいち顔を確認するまでもなく絢辻あやつじ=ハルカ=フランソワーズであった。



「なんだハルカかよ……」


「残念ながらハルカちゃんヨン♪ ふふっ、どうやらメリーさんに相当しごかれているみたいねぇ」


「全くだぜ。ったく、なにが女装を完璧にマスターするための授業だっつの。俺は目的のために仕方なくこんな格好をしてるだけで、別に極めるつもりは──」



「あら、でもこの時間はまだその授業中じゃなかったかしら? まさかサボってるんじゃ……」


(やべっ)


「朔楽くーん?」



 嫌疑のこもった眼差しをハルカから向けられ、朔楽は授業を抜け出した後ろめたさから思わず顔を逸らしてしまう。

 基地内のスピーカーから音声が発せられたのは、まさにその瞬間だった。まず木管楽器のようなベルが響き、それに続いてアナウンスの声が喋り出す。



緊急連絡メーデーメーデー、新人ゼスアクターの麻倉朔楽くんが授業中に抜け出しちゃいました! 基地内のスタッフの皆さん、誰でもいいので彼をレクチャールームに連れ戻してきてくださいっ!》



 声の主はメリーケン=サッカーサーだった。

 その放送内容は明らかに緊急のものではなかったが、その直後に続いた言葉が逃亡者である朔楽に、それこそ緊急事態相応の危機感を抱かせることとなる。



《なお連れ戻してくれた先着1名には、朔楽くんに1つだけ何でも言うことを聞かせる権利を贈呈ぞうていいたします!》


「は……?」


《もちろん女装verでも男装verでもオッケー、自由に選べます! さあさあスタッフの紳士しんし淑女しゅくじょたち、こんなチャンスは滅多にないのだぜーっ!?》


「…………えっ。ちょ、あいつなに勝手に言ってんの!?」



 まるでお祭り騒ぎをあおるような放送を基地内に垂れ流した挙句、それきりアナウンスはぶつ切られたように終了のベルを鳴らしてしまった。私用もいいところである。

 だが今の朔楽には、そんなメリーの奇行に対して呆れ返る余裕すら与えられていなかった。すでに背後から、自分を付け狙う狩人ハンターの気配が感じ取れるからだ。



「いま、何でもするって言ってたわよね?」


「い、言ってない! 俺はなにも言ってねぇぞ……!」


「な・ん・で・も……フフフッ♡ はてさて、どうしたものかしらねぇ〜?」


(や、やべぇ。このままじゃ捕まっちまう……そして俺の大事なナニカが危ない気もする!?)



 あわててきびすを返して走り去る朔楽。その背中を追って、すかさずハルカも基地内の廊下を駆け出した。

 朔楽は慣れないスカートのせいで思うように走ることができず、ハイヒールの履き辛さも相まって何度もつまずきかけてしまう。一方でハルカは丸太のような腕を力強く左右にブルンブルンと振るいながら、いわゆる“女の子走り”とは到底思えぬスピードで迫り来る。

 さらに──



「いたぞ! 朔楽きゅんだ!」


「俺、女装した朔楽きゅんに味噌汁つくってもらいたい……」


「あたしは執事服で壁ドンしてもらうわ!」


「とにかく追いかけるぞ!」

 


 気付くと他の基地スタッフたちも、こちらの姿を見つけては目の色を変えて追って来ようとするだったた。自分たち欲望を微塵みじんも隠すつもりがない彼らを見て、朔楽は思わず気圧されそうになってしまう。

 まるで逃げ惑う一匹の小魚を、血に飢えたサメの群れが付け狙っているかのような図。そしてサメの群れの先頭を走っているハルカのねっとりとしたささやきが、小魚である朔楽にかつてないほどの悪寒を走らせる。



「フフフ、逃がさないわよぉん……♡」


「うわあああああああああっ!?」



 あまりの恐怖に悲鳴をあげながら、朔楽は無我夢中で基地の外へと続く巨大エスカレーターを駆け上がっていく。

 横浜の広大な地下空間に建設された『アクターズ・ネスト』は、地上に複数ある秘密ゲートから出入りすることができる。そのうちの1つである“駅の関係者専用入り口に偽装したゲート”から、朔楽は地上へと飛び出していった。


 地上へと出るなり視界にまず飛び込んできたのは、休日でにぎわう駅前のロータリーだった。すぐ近くにデパートや映画館があることもあり、家族連れやカップルも大勢いるようである。



(こ……この人混みにうまく紛れられりゃ、ワンチャンあいつらをけるか……?)



 とにかく考えている時間はない。ひとまず無事に逃げ延びるためにも、朔楽はすぐ目に入ったショッピングモールへと続く下りエスカレーターへと乗り込む。

 だが積極的に人混みへと加わろうとした判断は、はやくもそれが悪手であったことに気付いてしまった。なんとエスカレーターは人で溢れかえるあまり、走り下りるだけのスペースさえも塞がれてしまっていたのである。



「朔楽くんはどこに逃げたんだッ!?」


「まだそう遠くへは行ってないはずよ! きっとそこら辺の人混みに隠れているハズ……!」


(げっ、ハルカがこっちに来てる……!?)



 遠くから聞こえてきた話し声が、段々と大きくなっていく。バレないように朔楽がこっそり一瞥いちべつすると、その先にはこちらへ一直線に向かってきているハルカの姿が見えた。

 このままでは彼に連れ戻されてしまうのも時間の問題である。そうして朔楽が汗を浮かべながら焦燥感に襲われていたとき、不意にエスカレーターの背後に乗っていた人物から声をかけられた。



「ねえキミ、追われているのかい?」


「あン……?」



 呼ばれていることに気付いた朔楽はすぐ後ろを振り向く。

 中肉中背といった平凡な体つきに、上下ともカーキっぽい緑色に統一された地味目な服装、ぐるぐる模様の描かれたメガネをかけた、見るからに怪しい風貌の青年がそこにいた。

 しかし彼はこちらの状況を何となく察してくれているのか、潜めるように小さな声量で再度問いかけてくる。



「自分も“そういうの”には慣れてるからわかるよ。キミ、追われているんだろ?」


「? ……お、おう。じゃなくて、ええ……実はわたし、いまとても怖い人に追いかけられていて……」



 なるべく不審がられないように女性言葉を遣いつつ、朔楽は首を縦に降る。

 それを見て青年はコクリと頷き、そして真剣な声音で告げた。



「わかった。ここは自分に任せて」



 すると青年は朔楽の姿が後ろから見えないようにするためか、少し体を横へと移動してくれた。さらに彼は突然こちらの腰へと手を回すと、ギュッと自分のほうへ朔楽を体ごと引き寄せる。



「ひゃっ!? き、急になにを……!?」


「静かに、連中に見られてる。少しだけ我慢して」



 やや強引に言いくるめようとする青年に、納得のいかない朔楽がすかさず言い返そうとした──次の瞬間。

 

 とっさに言葉をつむごうとして開かれたくちびるは、グイッと顔を近づけてきた青年の口によってふさがれた。



「……!? 〜〜、〜〜っ!!」



 予想外かつあまりにも不意打ち気味な彼の行動に、思わず朔楽は暴れだしてしまいそうになる。が、なぜか力が思うように上手く入らない。

 かくして呼吸困難になりかけながらも、男からのキスはエスカレーターが到着する直前まで続いた。



「…………ふぅ。キミ、大丈夫?」



 ようやく唇を離した青年は気遣きづわしげに声をかけるが、目の前にいる朔楽は顔を真っ赤にしながらわなわなと口をふるわせてしまっている。



「どうしたの? そんなに口元をおさえて……」


「は、はじめ…………お、俺の…………初……め……てがぁ……っ」


「? でもよかった。キミを追いかけていた人も無事に巻くことができたみたいだから、もう安心して──」


「安心、できるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」



 まるで何事もなかったように爽やかな笑みを浮かべてみせた青年。その顔面へと次の瞬間、朔楽の怒りと魂をのせた拳が突き刺さった。

 あまりの威力に瓶底びんぞこメガネのレンズは一撃で粉砕し、残ったフレームも頭上へと打ち上げられる。そして唇を奪った張本人は1秒弱ほど空を舞ったのち、少し離れた場所の地面へと頭から落ちた。



「ぐはっ。い、痛いじゃないかキミ……急になにをするんだい……?」


「なにかしたのはてめーだろバッキャロー! もう絶対ただじゃおかねぇ…………って……」



 赤くなった鼻先を痛そうにさすっている青年へと、怒気を帯びた朔楽がさらに一歩詰め寄ろうとする。

 が、しかし。殴られた拍子にメガネが外れてしまった青年の素顔を目にしたとたん、思わず朔楽はその拳を収めてしまうのだった。


 というよりもこの場合、どれだけ殴りたくても一時中断せざるを得ない。

 見かけによらず『追われるのには慣れている』と豪語していた青年──その正体はなんと、変装をして一般人に紛れ込んでいたカメレオン俳優こと、風凪かざなぎ奏多かなたであったからだ。



「う、嘘……だろ……」



 意外な場での意外な人物との邂逅かいこうに、立ち尽くしたまましばらく唖然あぜんとしてしまう朔楽。

 そうして彼が言葉を失っている間にも、周囲の人々には着々と波紋はもんが広がりつつあった。



「! ね、ねえ。あそこにいるのって風凪奏多じゃない?」


「えっ、マジで本物!? えっえっちょっヤバイヤバイ、奏多くん本当に実在したんだ……!」


「あ、あたし、一緒に写真撮ってもらおうかなぁ……」


「『ナマ奏多様なう』っと……ツイート送信」



 いつしかショッピングモールの入り口前にはあっという間に大勢の人々(主に若い女性たち)がどっと集まり、奏多を中心として隙間もないほどに密集し始めた。

 まるで大波のように押し寄せる人の群れに、巻き込まれた朔楽ははやくも押し潰されてしまいそうになる。しかしバランスを崩しかけたその時、とっさに奏多がこちらの手を引っ張ってくれたおかげで、どうにか彼は転ばずに踏み止まれた。



「とりあえずここから逃げよう。キミ、自分について来て!」


「な、なんだってんだよぉ〜〜っ!!?」



 やや強引に言い包めてきた奏多に手を引かれ、朔楽は半泣きになりながらも彼の後を必死で付いて行く。

 それから約数十分の間。2人は先ほどよりも倍以上いる追っ手たちから、宛てもなくただひたすら逃げ続ける羽目になってしまうのだった。

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