王女と庭師

白檀

本文


昔々、ある王国に、小さなお姫様がおりました。

お姫様は、自分だけの美しい庭を持っており、たいそう自慢にしておりました。

決して広くはないものの、丁寧に整えられており、四季折々の綺麗な花を咲かせる庭園は、お城勤めに疲れたみんなの心を癒していました。


その庭園を手入れしているのは、一人の庭師の少年でした。

数年前、お城の入り口で行き倒れていたのを、神父が助け、お姫様が可哀想に思って、王様にお願いして雇ってもらったのです。

お姫様は少年のことをたいそう気に入っており、少年もまた、お姫様のことを深く慕っておりました。

庭師と共に庭園に出ると、お姫様の顔は、ぱあっと明るくなります。

庭師もまた、お姫様に草花の美しさをお話している時は、土仕事で汚れた顔を真っ赤にするのでした。

高貴な血筋のお姫様と、身分も定かではない庭師。

到底身分違いなことは二人とも分かっていましたが、それでも、一緒にいると心が穏やかになるのでした。


ある時、その庭を訪れていた王様が、バルコニーから落ちて大怪我をしてしまいます。

王様は寝たきりになってしまうほどの怪我を負い、庭の手入れをしていた少年は、厳しく責任を問われることになりました。

数日後、粗末な部屋の中で謹慎していた少年のもとに、武器を持った兵士たちがやってきました。

「庭師! 国王陛下暗殺の罪で、お前を逮捕する!」

なんと、大臣たちの調査によれば、手すりに油が塗ってあったというのです。

庭師の少年は、ひどく驚きました。当然彼は、そんなことはしていません。

けれども、兵士たちは聞く耳を持ちません。

兵士たちは、あまりのことに呆然としている庭師を縛り上げると、暗くてじめじめした地下牢に放り込んでしまいました。


お姫様は、毎日王様の看病をしていましたが、その報告を聞いて、大変驚きました。

「あの子が、どうしてそんなことをするでしょう」

お姫様は、どうしてもその報告を信じられず、少年から直接話を聞きたいと思いました。

しかし、大臣たちは、危ないからと言って許してくれません。

「姫様、そんなことより、王様の代わりに仕事をして下さい」

お姫様はその日から、王様の代わりに、たくさんの書類にサインしたり、貴族との謁見に出席したりしなければならなくなりました。

訪れる人も、手入れする者もいなくなった庭は、やがて、すっかり荒れ果ててしまいました。


しばらくして、お姫様の看病を受けられなくなった王様は、次第に弱って、天に召されてしまいました。

王様には男の子がいなかったので、お姫様が女王にならねばなりません。

「姫様に何かある前に、お世継ぎを産んで下さらないと」

大臣たちの強い勧めで、お姫様は、大臣の息子と結婚することになりました。

大臣の息子は、身のこなしの優雅な貴公子で、お城の武芸大会で優勝した立派な騎士でもあります。

誰もがお似合いの二人とほめそやしましたが、お姫様の顔は、少し曇っているように見えました。


さて、大臣たちはてきぱきと準備を進め、結婚式は、即位の日と同じ日に決まりました。

国じゅうの貴族が招待され、町や村では、連日、お祝いのお祭りが盛大に行われています。

式もいよいよ明日に迫った日、お姫様は大臣を呼びました。

お祝い事の日にはすべての罪人を許す、というしきたりを思い出したのです。

このしきたりに従えば、庭師を無事、牢屋から出してあげることが出来るかもしれません。

この話を聞いた大臣は、苦い顔で言いました。

「あの庭師は、国王陛下のお命を狙ったのです。許すわけにはまいりません」

お姫様は黙ってうつむき、お部屋に戻るしかありませんでした。


その夜、お姫様はこっそりとお部屋を抜け出しました。

女王様になる前に、自分がまだお姫様であるうちに、最後に一度だけ、思い出の場所である庭園を見ておこうと思ったのです。

居眠りをしている衛兵の横を通り抜け、廊下に出て、大臣の部屋の窓の下を通りかかったとき、ひそひそ話が聞こえました。どうやら、大臣とその息子が、内緒話をしているようです。

気になったお姫様は、こっそりとその話を聞いてみました。

すると、なんということでしょう。

大臣たちは、明日の朝、結婚式が始まる前に、お姫様に内緒で、庭師をこっそり殺してしまおうとしていたのです。

お姫様は、真っ青になりました。

しかし、今自分が出ていったところで、大臣たちを説得できるわけがありません。

お姫様は、しばらくは目に涙をいっぱいにためて座り込んでいましたが、やがてすっと立ち上がると、牢屋の方に走っていきました。




暗い地下牢の中で、庭師は一人きりでした。

話し相手どころか、顔を合わせる人もいない地下牢での生活は、お城での温かい暮らしに慣れた少年には、耐えきれないほどに辛いものでした。

食事も十分には与えられず、寝床の掃除もされず、衛兵に乱暴な言葉を吐きかけられる毎日は、彼の心をひどく傷つけていました。

なにより、弁解の余地すら与えられず、自分が王様殺しの犯人に仕立て上げられたこと、そして、それがお姫様にも伝えられたであろうことが、辛くて辛くて、耐えられませんでした。

けれど、庭師は、絶望してはいませんでした。

どうすれば良いかは分からないけれど、いつの日か、必ず無実を明らかにして、もう一度、お姫様と一緒にあの庭園を歩きたい……

その一心が、庭師を支えているのでした。


牢屋に入れられて、何日が立ったでしょう。

今日は、なんだかお城の様子がいつもと違うことに、庭師は気付きました。

いつもは粗末な食事がなんだか少し豪華ですし、番兵もどこかそわそわしています。

何があったのかと尋ねる少年に、番兵は、明日の朝、お姫様の即位式と結婚式が執り行われるのだと教えてくれました。

少年は、とても嬉しく、そして少しだけ悲しくなりました。

あの優しいお姫様なら、きっとこの国を立派に治めてくれるでしょう。

でも、隣などというおこがましいことは言いません、せめて陰からでも、その姿を一目、垣間見たかった。

そう、思ったからでした。


庭師が、冷たい壁に背中を持たれかけてぼんやりとしていると、だらしなく座っていた衛兵が急に飛び起きて、背筋を正しました。

地下牢の扉を開けて入ってきた人物の姿に、庭師は目を丸くしました。

なんと、そこには、ずっとずっと会いたいと思っていたお姫様が立っていたのです。

嬉しさよりも驚きの方が勝って呆けている庭師を見ると、お姫様は、泣き出しそうな、優しい笑顔で笑いかけました。

そして、強い口調で、番兵に命令しました。

「今すぐに、牢屋の鍵を開けなさい」

番兵はためらうそぶりを見せましたが、お姫様の視線に負け、牢屋の鍵を開けました。

お姫様はまっすぐに牢屋に入っていき、庭師の手を取って、外に出しました。

「何も言わず、急いで。手遅れになってしまいます」

そう言うと、お姫様は庭師の手を握りしめ、引きずるようにして歩き出しました。


牢屋のある建物の外に出ると、お姫様は、庭師が明日殺されてしまうことを話しました。

そうして、自分が明日、大臣の息子と結婚することも。

お姫様は、庭師からの言葉を待っているようでした。

それを聞いた庭師は、悲しそうに微笑みました。そして、何か言いたそうに口を開きかけましたが、やっぱり途中で閉じてしまいました。

お姫様も、何も言おうとはしませんでした。

黙ってしまった二人の間を、静かな夜が流れていきました。


その時、突然、お城の中が騒がしくなりました。どうやら、庭師が逃げ出したことが分かってしまったようです。兵舎の中からは、武器の擦れる音もしてきました。

勢いで逃がしてしまったものの、どうしよう。

お姫様は、また青くなってしまいました。

お城の喧騒は次第に大きくなり、建物や塔のあちこちに、あかりが灯り始めています。

今度は、庭師が手を引いて歩き始める番でした。


人目を避けて、隠れて歩いて、辿り着いた先は、あの庭園でした。

今は手入れをする者もなく、雑草が生い茂る道を、庭師は無言で歩いていきます。

お姫様も迷いなく、その後ろをついていきます。

近くの道を何度も兵士が通り過ぎ、その度、二人は身を寄せあって木陰に隠れました。

冬の空気の中で、お互いの体が触れ合う部分だけが、ほんのりと温かく感じられました。

二人はその度に、危険な状況だというのに、ちらちらとお互いの顔を盗み見ては、赤くなってしまうのでした。

やがて二人は、小さな小屋の中に隠れました。

それは、庭師が庭園の手入れをする時、よく寝泊まりしていた小屋でした。


小屋に入って扉を閉めると、暗闇が二人を出迎えました。

庭園の周りでは、たくさんの人々が二人を探し回っている気配が感じられます。

二人は、ごちゃごちゃと置かれた園芸用具の間をそっと移動して、ベッドの上に並んで座りました。

少し黴臭い埃塗れの空気に包まれ、二人は、どちらからともなく、そうっと身を寄せました。

繋いだままだった手から、とくん、とくん、とお互いの脈拍が伝わってきます。

とくん、とくん、とくん。

そうすると、まるで相手の血液が送られてくるかのように、繋がっている部分から温かな波がじんわりと広がって、心臓に届き、体中を満たすのでした。

やがて、ぽつりと零れた「好き」は、どちらからのものだったでしょうか。

二人は、もう何年も前からそうしていたかのように、ぎゅうっと抱き締め合いました。

どくん、どくん、どくん。

お互いの胸を隔てて、心臓が向かい合います。

どくん、どくん、どくん、どくん。

どくん、どくん、どくん、どくん。

心臓が一打ちするごとに、重なる心音は、大きく、大きくなっていきます。

どくん、どくん、どくん、どくん。

どくん、どくん、どくん。

心臓が一打ちするごとに、重なる心音は、近く、近くなっていきます。

どくん、どくん。

どくん。

どくん。

どく……ん。

やがて、外の喧騒も、黴臭い空気も、冬の冷気もかき消して。

感じられるのは、ただ。

ゆっくりと刻まれる、鼓動だけになりました。


即位式直前のお姫様の行方不明と、国王暗殺犯の庭師の脱獄。

二つの大事件が重なり合った夜、お城の人々は、皆、一睡もできずに朝を迎えました。

一晩中探し回ったにも関わらず、二人を見つけることが出来なかったからです。

大臣たちが大慌てで兵士に指図している横を、神父はこっそりと抜け出しました。

神父には、もしかしたら、という心当たりがありました。

二人が幼い頃によく遊んでいた、庭園の小屋なら、隠れ場所にぴったりです。

誰一人として、庭園を探すことを思いつかなかったのが、逆に不思議なくらいでした。

神父は、もし二人がそこに隠れていたら、教会の中に匿おうと思い、誰も連れずに向かいました。

目を凝らせば、僅かですが、木陰の草が倒れています。

昨日の夜、二人は庭園にいたのだ、と確信して、神父は小屋へと向かいました。


小屋の扉を押し開けると、一筋の朝日が、ぱあっと中に差し込みます。

うつし出された光景を見て、神父は、その場に立ち尽くしました。

部屋の奥、粗末なベッドの上には、ぼろぼろの服と豪奢なドレスが、重なり合うようにして置かれていました。

その服たちの上には、寄り添うように、心臓が二つ。

どくん。どくん。

同じリズムで、鼓動していました。


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王女と庭師 白檀 @luculentus

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