【無敵の情】
祖母は苦しまずに他界した。死に顔は誰もが穏やかだと形容した。出棺の日、誰もが悲しみ、涙を流す中、私は零れそうになる涙を必死で堪えていた。当時の私にとって涙は〝負け〟の象徴だったのだ。
私は頭を撫でられるのが嫌いだった。頑張ったね、偉いねといって髪の毛をかき分ける手は、例え相手に悪気がなくとも強く撥ね除けた。私は私なりに、出来たことも出来なかったことも、全て自分で背負いたかった。それが弱かった私なりの矜持であり、頭を撫でられるのはその矜持に傷が付くようで怖かった。それでも、ただただ溜るばかりの劣等感に捌け口はなく、次第に私の心は自分以外を閉め出すようになった。そんな私が家族との縁を切られたのは19歳の時だった。
両親は、弱かった私の頭をよく撫でた。大丈夫だよ、負けても良いんだよと抱きしめた時の温もりが、かちんこちんに固まった私の矜持を根こそぎ溶かしてしまうことが怖かった。私は人間の情が怖かった。人間の情を天敵だと思っていた。家族以外にも私を絆そうとした連中には決まって本性をぶちまけた。いなくなれと心の中で叫び、叫びは口を経て意訳され相手を突き放す暴言となった。音楽に出会ったのは勘当から二年目の春だった。マイクは叫びをぶちまけるのに最適で、腹の底に重く居座る叫びはマイクを通すことで少しだけ軽くなった。
音楽を始めてから3年目。家族が死んだ。
家族が死んだとき、今まで腹の片隅で鎮座していた叫びが、キュッと喉元にせり上がってくるのを感じた。それでこの叫びの正体が情であることを知った。私は人がそうであるように、大切な人の死に際して情に負けた。流れた涙が果たして家族が死んだからなのか、情に負けたことが悔しかったからなのか、まだ私には判別できなかった。
家族の死から1年半の間、生活は混乱を極めた。気分がサイコロのように転がり続ける毎日。正常に戻ろうとする意思と、あくまでも気ままな気分との間に決定的な摩擦が生じ、飢餓に似た叫びが熱と混ざって腹の中をぐるぐるする。凝固した私の叫びをマイクだけが拾い続け、歌い終わると決まって寝込んだ。それでも私の叫びには、脳みそに備わった狂気を良い具合に擽る作用があったらしい。私の音楽は金になった。そうして音楽で食いつないでいたある日、家族の死の実情を知った。2年ぶりに訪れた地元のライブハウスにおいてだった。交通事故だった。何とも突発的でどうしようもない、笑える死因だ。
ひとしきり笑い終えたあと、私は私の家族を殺した奴の顔を見に行くことにした。
刑務所で犯人と面会した。灰色の面会室に現れたのは腰を小さく折り曲げた少年だった。丸坊主になった少年は高校生くらいに見えた。少年は私の顔を見ず、言葉も発さず、ただ震えていた。私もうなだれた坊主頭をじっと見続けた。
「…俺じゃないんです」
たっぷり5分は待っただろうか。少年の声は高く掠れていた。
何故その話を信じる気になったのか、はっきりとは分からない。けれど少年の声はかつての私の弟によく似ていた。そいつはウサギが死んだら三日三晩泣き明かすような弱い奴だった。自分が背負うべきでないことを背負い込んで、当然ながら押し潰されて、それでも前へ進んでいくような奴だった。
私は目の前で項垂れる少年を見て、こいつの無念を晴らしてやろうと思ったのだろうか。違う。私は私のためだけに動く人間だ。けれど、一つ言えるのは、結局私は〝情〟に負けてしまったのだということ。腹の中で蠢き続ける情が、抵抗する私をねじ伏せて、自分を救えとがなりちらした。その言葉に私は抗うことが出来なかった。
これを世間は敗北とは呼ばないだろう。だが少なくとも私だけが、この自己犠牲が生涯を終えるに足る理由を持つことを知っている。
けして私は他人の銃弾では倒れない。
例え蜂の巣になろうと、最後の引き金を引くのはこの私なのだ。
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