はじめてのよる
白峰 京子
はじめてのよるに
最終便が、滲んだ夜を連れてやってくる。
乾いた朝。無機質な着信音で目が覚める。
また男友達から遊びの誘いだろうなと思い、僕は頭を上げずに手さぐりでスマホをつかむ。
画面には、彼女の名前が浮かんでいた。
「もしもし、今からそっち行くから」
「え?」
「覚悟しとけよ、じゃあ」
頭がついていかないまま、電話はプツンと音を立てて切れる。
彼女は高校入学と同時に北海道で一人暮らしを始めた。
彼女の行きたい高校は、北海道にしかなかったらしい。
僕は毎晩のように泣いた。崩れていく夜を見て、枯れるように泣いた。
それでも彼女は夢を追いかけた。
その彼女が、今日ここに来る。
僕は嬉しくて、天井の柱にくくりつけるために用意した縄の輪も忘れて服に着替えた。
昼過ぎ、アパートのインターホンが鳴る。
「おう、案外早かったんだな」
僕は彼女を今すぐにでも抱きしめたかったが、泣いてしまいそうなのでやめた。
「とりあえず、上がるか」
小さいテーブルに、押し入れ、キッチン、ユニットバス、ベット。それだけの部屋。
それでも彼女は「わー!いい部屋だね!」と目を輝かせる。
胸が苦しくなった。
いつか、この関係も崩れていくのだろうか。
毎晩見たあの景色のように、崩れてしまうのだろうか。
涙がこぼれ落ちるのと、彼女に抱きしめられたのはほぼ同時だった。
頭を撫でられて、僕はただ「会いたかったよ」と子供のように泣きじゃくった。
「今日はあなたを慰めに来ました!」
「慰め...?」
「ということで、これを用意しました!」
落ち着き始めて、ココアを飲んでいた僕の目の前で彼女がカバンから勢いよく何かを出す。
『ぺぺ』
「ぺぺ」、と僕はロボットのように繰り返す。
『0.02』
「れいてんれいに」、箱に書かれた数字を真面目に読み上げた。
数秒後、僕は全てを理解する。
「は!?え、ちょっと待て、本気か!?」
「もちろん、買う時けっこう緊張したんだぞ。」
彼女はえへんと胸を張る。
僕の彼女は、昔から行動派だ。僕はいつもそれに振り回されてきた。
そして、なされるがままにベットへ押し倒された。
緊張と興奮で、その後のことはあまり覚えていない。
しかし、彼女の匂いと、甘い唇の味は鮮明に覚えている。
卒業したのか、ちょっといきなりすぎたな。と思いつつ、
彼女がやりたかったならそれでいいか、と
隣で満足そうに寝る彼女をそっと包み込むように抱きしめた。
ずっと、ずっと、離さないように。
最終便が来る。
彼女と過ごした一日は一瞬だった。
「色々といきなりでごめんね!」と、彼女は笑った。
「もう行っちゃうのか」僕は笑い返しながらそう言う。
約3秒の沈黙。星のきらめく音が今にも聞こえてきそうなくらい、静かな3秒だった。
「...うん」
彼女は目を伏せて、すこし哀しそうな顔をしてそう言った。
僕は彼女を勢いよく、強く抱きしめる。
「好きだ。」
最大限の、彼女への想いだった。
「ずっと好きでいてくれる?」
「もちろん」
「...よかった」
彼女ははにかんで、ゆっくりと停まった電車に、名残惜しそうに乗り込んだ。
ドアが閉まっていく。
ゆっくり、ゆっくり、地面がずれていく。
滲む。月が夜に滲んで溶ける。
僕は星にも聞こえないような小さな声でそっとつぶやいた。
「行かないで」
電車はもう、見えなくなっていた。
家に帰ると、そこに彼女はいなかった。
さっき見送ったばかりなのに、まだベットに彼女が座っていることを期待していた。
ああ、もう彼女はここにいないのだ。
そう思ってベットに身を放り投げたその時
ふわり、と彼女の匂いがする。
クッションから、シーツから、彼女の匂いがする。
僕はそれに気づいた時には、その全てを抱きしめてぼろぼろと泣いていた。
会えてよかった。
今はただただそう思っている。
その日の夜はクッションを抱きしめて、彼女を感じながら寝た。
乾いた朝が来る。
でも、今日からはいつもとは違う。
辛いことがあっても、学校でいじめられてるとしても、僕は生きていく。
彼女のために、生きていく。
押し入れの中の縄をゴミ袋に入れ、きつく口をしばった。
クッションカバーとシーツを洗濯機に放り込む。
新しい朝が来た。
制服に着いた靴のあとを綺麗に払い、僕は前へと歩みだした。
「いってきます。」
はじめてのよる 白峰 京子 @strawberry_15
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