捨て猫と私達

@tomato0621

第1話  田辺勇一

『ピッピピ、ピッピピ、ピッピピ』

 携帯電話に設定されたアラームが部屋に鳴り響いている。

 布団の中で蹲りながら、携帯電話に手を伸ばす。

(六時か・・・ あと五分だけ)

 そう思いながら再び目を閉じようとしたその時、今度は妻の声が部屋中に響く。

「あなた、起きて! ねぇ、起きなさいってば!」

「頼むよ。ここ最近残業続きでろくに寝れていないんだから。あと5分。なっ?」

「ハシゴして飲みに行くのが残業ですって!? 随分と良い御身分ねっ!」

 妻が私のスーツのポケットから、行きつけのスナックのマッチ箱を取り出し床に叩きつけ部屋を出て行った。

 

(そうカリカリするなよ・・・ 付き合いってものもあるのによ。)

 

 欠伸をしながら渋々布団から起き上がり、部屋のカーテンと窓を開ける。

 目に映るのは、いつもと変わらない風景と雲一つない快晴の空だ。鳥の囀り聞きながら目を閉じ深呼吸をして、しばしの余韻に浸る。 

 階段を降りて、台所に向かうと味噌汁と焼き魚の食をそそる良い匂いが漂っていた。いつもの席に座り朝刊に手を伸ばす。

「顔ぐらい洗ってから来なさいよ。みっともない。」

 妻がぶつくさ文句を言いながら、よそったご飯を私の前に置く。

「なぁ、夏樹はどうした? 寝てるのか?」

 ご飯とおかずを箸で口に運びながら妻に尋ねる。

「とっくに学校に出かけたわよ。部活の大会が近付いているから朝練で忙しいんですって。」

 一人娘の夏樹はテニス部に所属している。中学校から始めたばかりではあるが、持ち前の運動神経と才能からか学校創立以来の最年少で地区大会での入賞を果たした。勉強もトップクラスに入り優等生として顧問からは気に入られているが、そんな夏樹の才能を嫉んでいる部員もいるらしい。

「なぁ、アイツ最近調子どうなんだ? 勉強とか、部活とか?」

お茶をすすりながら妻に尋ねる。

「別に・・・ まぁ、彼氏が出来たことくらいかしらねぇ。」

思わず、口に含んだお茶を吐き出す。

「彼氏って・・・アイツまだ中学校一年生だぞ!」

「汚いわねぇ、それぐらい普通よ。早い子なんか小学校から付き合ってんのよ。」

布巾で汚れたテーブルを拭きながら、妻がぶっきらぼうに言い放つ。

「それで、その彼氏ってのはどんな奴なんだ!? 」

「知らないわよ! 同じ部活の先輩って言ってたわ。」

「知らないって・・ 母親だろ! 何かあったらどうするんだ!?」

「何かって、何よ? イヤラシイわね!」


(これ以上、話をしてもラチがあかない)


そう思った私は無言で席を立ち洗面所に向かい、身支度を整えることにした。

 歯を磨きながら、整髪剤で髪を整える。鏡に映った自分を見て、心なしか白髪が増えたように思えた。

 腕時計を見ると六時半を過ぎていた。ヒゲを剃り急いでワイシャツに腕をとおして、ネクタイを締める。

 玄関に向かうと妻が何か手に持って立っている。無言で私に差し出す。

「何だよ、これ? 」

「お弁当。夏樹に持たせた弁当の具材が余っていたから、ついでに作ったのよ。」

 弁当を受け取ると、まだ少し暖かった。手作り弁当など久しぶりだが妻の心遣いが何となく嬉しい。

「なぁ、さっきは悪かったな。俺が言い過ぎた。」

「別に気にして何かいないわよ。それよりあなた、今日は遅いの?」

「月末だからな、やることが多くて少し遅くなるかもしれない。どうした?」

「今日は、勤務先のパートさんの懇親会で夕方から出かけるの。あなたと夏樹の夕食のカレーライスの準備はしておくから帰ってきたら温めて食べて。」

「分かった。最近アイツと会話も御無沙汰だからな。なるべく仕事も早めに切り上げて帰るよ。」

 妻との会話を済ませ、靴に履きかえる。玄関の扉を開けると、いつもよりも一段と日差しが照りつけているようで眩しくも感じた。天気予報では30度を超える猛暑になるらしい。

 愛用の自転車に乗りペダルを漕ぎはじめる。年々体にこたえてくる感じはするが、運動不足解消の為とメタボ防止の為、かかすことは出来ない。ゆっくりと加速していき心地よい風を全身に浴びる感覚。これがまたクセになる。

 勤務先は自宅から自転車で40分位の場所にあり、大学卒業と同時に入社して暫く世話になっている。様々な企業に応募したが何れも不採用となり行き場が無くなりかけ留年も視野に入れ考えていた矢先、大学の就職課の紹介で面接にこぎつけた。ビルメンテナンスという職種で契約先の建物を管理している会社であり、会社自体の規模は小さいが面接時の気さくな社長の人柄に惹かれたことと留年時の費用がかさむことを考え入社を決意し、後日採用の連絡を頂いた。

 会社に到着して駐輪場に自転車を置き、玄関に向かう。

「田辺さん、おはようございます!」

声の方向を向いて振り返ると、後輩の武川の姿があった。

「おぅ。相変わらず元気だな!」

「それしか取り柄がないっすから! 田辺さん、良かったら朝の一服行きません?」

 人差し指と中指を口元に持っていく仕草をみせ、私を誘う。

「そうだな、じゃあ行くか?」

「んじゃ、早速!」

 武川と二人、喫煙所に向かう。おもむろに煙草を取り出しライターで火をつける。

「武川、何飲む?」

自販機に小銭を入れて、武川に尋ねる。

「御馳走様っす。じゃ、ブラックコーヒーで。」

私も同じものを選び、二人で缶コーヒーを開ける。

煙草をふかしながら、武川が私に語りかける。

「田辺さん、聞きました? クレームの話。」

「クレーム? 何だそりゃ?」

「あっ、御存知ないっすか。実は、うちの設備管理の人間がヘマをしたみたいで先方から豪く怒鳴られたみたいなんすよ。一応、専務がお詫びに行ったみたいなんすけど、噂じゃ先方さんとの契約終了とか・・・。」

「おいおい、穏やかな話じゃないな。何があった?」

「詳しくは分からないっすけど、結構マズイみたいっすよ。」

「そうか、分かった。俺から聞いてみるよ。」

「すんません。お願いしまっす。」

武川との会話を済ませ、専務の部屋に向かおうとすると、


「おぃ、田辺!」


前方で苦悶の表情の専務が手招きをしている。

「おはようございます!ちょうど良かった、お話があったんですよ!」

「こっちもお前を探していてな、すぐに俺の部屋に来てくれ!」


(武川の言ったことは当たったみたいだな)


専務の部屋に入り詳細を訪ねる。

「専務、何があったんですか?」

専務が椅子に腰を掛け机に置いてあったコップの水を一気に飲み干し、疲れた表情で私に話し掛ける。

「実はな、契約先の真正商事さんに常駐で入っていたウチの奴が消火設備の取扱いを誤ってな、スプリンクラーを誤作動させちまったんだよ。」

「それで、先方さんの被害は?」

「幸いなことに人が怪我をしたとか人的な被害は無かったんだが、パソコンや書類関係が水浸しになってしまってな。ある程度のデータはパソコンのバックアップを取っていて無事だったそうだが、全ての業務を再開するのに時間がかかるらしい。」


(面倒なことが起きたな・・・)そう思いながら話を続ける。


「今後の賠償はどうなるんですか?」

「分からん。水浸しでダメになった電化製品はウチで弁償しなければならないし、全てのものを保険で対応することは難しいらしい。なんせ、ウチの過失だからな。だが問題は、今後の契約だ。」

「先方さんはウチと古い付き合いですけど、今回はシャレになりませんね。」

「あぁ。先方さんも人事が変わって、昔よりも関係がシビアだ。それに、今回の件の風評が広まれば、他の現場の年度ごとの入札にも影響する。官公庁の入札が一番心配だ。」

「ウチは、この辺の地場では名が知れてますから、そうそう契約を切るとは・・・」

「分からんぞ。他の大手ビルメンが参入してきたら、ウチみたいな零細企業は太刀打ちできん。官公庁からの利益は大きいしな。競り負ければ、ウチはおまんまの食い上げだ。」

「詳細は分かりました。私も先方の重役さんのところにお詫びに行きます。

「そうだな。お前も受け持っている現場であるから、そうしてくれ。」

「承知致しました。」

専務に一礼をして部屋を後にする。


 今日は朝からツイてない気がした。妻とは口喧嘩になるし、娘の彼氏のこと、

そして契約先からのクレーム。朝の自転車通勤の爽やかな気分がいっぺんに吹き飛んでしまった。急いで武川を探す。


事務員の新人の女の子に尋ねる。

「おはよう。武川を見なかったかな?」

「おはようございます、田辺係長。武川主任でしたら、先程お手洗いに行きましたけど ・・・ あっ、戻ってきました。武川主任~!」

武川も私の方に気が付いたみたいで、小走りで近づいてくる。


「田辺さん、どうでした?」

「お前の言った通りだったよ、すぐに車を出してくれ。真正商事さんのところにお詫びに行く。それから、菓子折りを買ってくから途中で何処かに寄ってくれ。」

「了解っす!」

「それからな・・・ その(っす)という言葉使い、間違っても先方さんの前では出すなよ。」

私が先に乗り、続いて武川が平謝りをしながら運転席に乗り込みエンジンをかける。

「よし、出してくれ。」

武川に命じると、軽快なハンドルさばきで車道に乗り出し相手先に向かった。


午前9時。日差しがよりいっそう強くなってきた。社用車の窓を開けていたが暑さに耐えられず、窓を閉めエアコンを全開にする。


「今日も暑いっすね~。うわっ、温度計見たら30度超えてるっすよ。」武川がネクタイを緩めながら、隣の私に話し掛ける。

「今年一番だとよ。武川、ライター貸してくれ。」

「田辺さん煙草っすか? 残念っすけど、これ禁煙車っす。着くまで我慢してください。」

「禁煙車って・・・ じゃあ、お前が吸っているそれは何だよ?」

「これっすか? 巷で噂の加熱式煙草っすよ! 煙でないからOKなんです。田辺さんもどうっすか?」

「いや、俺には性に合わないからやめとくよ。あとよ(っす)はやめろ。」

他愛もない会話が続く。


暫く走ると、渋滞にハマってしまった。

「事故ですかねぇ~。 この道路、滅多に渋滞なんか起きないんですけど。」

「しょうがないな、その先のコンビニに脇道があるだろ。そこから行くぞ。」

脇道から入り暫くすると、別の大通りに出た。猛暑にも関わらず人通りが多い。

缶コーヒー片手に談笑するサラリーマン達、ウィンドーショッピングを楽しむアベック、燥ぐ子供とそれを諭す両親らしき人物、何気ない風景を窓越しにボンヤリと見つめる。暫く見ていると、見覚えのある女性と若い端正な顔立ちの男性が親しげに腕を組みながら歩道を歩いている姿が目に飛び込んできた。

 

(美代子・・・?)


 一瞬ではあったが妻とすぐに分かった。それにしても何でここに?あの男は誰だ?色々な思いが頭を交錯しうつろな表情でいた私に武川が気づき話しかけてきた。

「田辺さん、どうしたんですか? そんな顔しちゃって。」

「いや、何でもない。おぃ、手土産忘れるなよ。」

「銀時饅頭でいいですよね?」

「あぁ、それていい。」


時計の針は午前10時をさしていた。














 










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