第14話 決着
三日目の朝。時刻は七時三十分。
場所は白梅公園。
俺はいつもより早く起き、しっかりと朝食をとって、制服を着、家を出てこの場所へ向かった。着くと、メンバーはすでに揃っていた。
話を持ってきた
俺とともにその話を聞いた
怪異退治の専門家セリーヌ・クーヴレール。
そして、この話のカギを握る不良、
「遅かったね、一斗」
「みんな、待っていたのよ」
「全く、約束時間ギリギリよ」
「そんなことはどうでもいい。早く始めるぞ」
桜生さんの目を見て分かる。すでに臨戦態勢だ。
女たちは桜生さんと俺を残して、公園の出入り口をふさぐように立った。ここはもう公園ではない。全てのことが終わる、闘技場と化していた。戦う戦士は言わずもがな。俺はそれを見届ける審判という感じだ。
「おい、
響くのは俺の声ばかり。返事はない。
「おい、聞いてるのか!」
「やかましいなあ。何時や思てる?」
そんな声が聞こえて、俺たちは梅の木を見上げた。三日前、初めて会ったときもあそこにやつはいた。そこに今日も、やつはいた。
都筑碧希はこの前と同じ、金髪の前髪を頭の上でまとめ、半袖のシャツに制服の黒いズボンで、腰に上着を巻いている。
やつは、すっと上から飛び降りてきた。
「こないな朝早うから、何の用かいな。大勢で押し寄せて、わしを袋叩きにでもしに来たのか」
「約束を果たしに来たんだ」
俺は桜生さんを目で指した。そうしてようやく彼は事情を把握したようだった。
「久しぶりやな、桜生。元気やったか?」
「お前は元気そうだな」
「おかげさまでな」
「挨拶はこんなんでいいだろ。始めようか」
桜生さんは拳を握った。構えたりはしない。喧嘩はあくまで喧嘩であって、試合ではない。ルールさえ意味はない。強いて守るべきルールがあるとするなら、一対一で戦うこと。介入は許されない。
都筑は拳さえ握らない。それどころか、片方の手をズボンのポケットに突っ込んでいた。これから人を殴るとは思えない恰好だった。
俺は彼らの決闘を邪魔しないように、静かに公園の出入り口に移動した。声はかけない。この決闘は二人のタイミングで始めるものだ。俺や他のギャラリーに、口を出すことは許されないのだ。
「早う来い」
「いいのか。手加減はできないぞ」
「望むとこや。本気でやろう」
そういう掛け合いをしてからは、一瞬だった。お互い同時に動き出し、次の瞬間には拳で殴り合っていた。桜生さんは昔、俺と出会ったときは喧嘩が大好きな不良だった。人を殴ると快感を得る変態なやつだったけれど、今はそんな雰囲気はない。真剣勝負というのがぴったり合うような、真剣そのものだ。
一方、都筑はのらりくらりと桜生さんの拳を躱している。片っぽの手をポケットに入れたまま、片方の手で器用に攻撃を繰り出していた。俺は彼の喧嘩を初めて見た。どうも昔の桜生さんと重なった。喧嘩を楽しんでいるような動きだと、個人的に思った。のらりくらりと避けては、何度も何度も拳を叩き込む。先に脚を使ったのは、彼の方だった。そして同時に片方の手をポケットから出した。
その頃には、すでに桜生さんは傷だらけになっていた。制服にも切り込みがいくつも入り、そこからは血が
それが見るに堪えるのか、そんな戦いの途中で声を掛けてきたのは陽菜だった。
「ねえ、そういえばさ」
「何だよ」
「続き、聞きたいな。一斗くんの昔話の続き」
「………………」
「分かってるよ、話したくないことだって。でも、興味本位で聞いてるわけじゃないから」
「じゃあ、どうして?」
「ちゃんと最後まで話してほしいだけ。桃太郎だって、鬼ヶ島まで来ました、っていう文章で終わってたら嫌でしょ。その先どうなるのってなっちゃうでしょ」
「っぽくない返事だな」
「あら、そう?」
「……そうだな。あんまり大したことをしてない話だけど、それでもいい?」
「いいよ。何でも聞く」
「あたしも聞きたい」
入ってきたのは、三留だった。
俺はそっちとちょっと目を合わせてから、
「なんてことない話だ。出会ってから喧嘩はしなくなった。廃ビルに行って、しゃべったりしゃべらなかったり、飯食ったり、三人で鬼ごっこしてみたり、たまには町に出て、散歩して帰ってくる。そんな毎日だった」
目の前で繰り広げられる戦いは、だんだんと激しさを失っている。生身の人間ではない彼にも疲れの色が出てきている。
「俺とあの人たちは別れたんじゃないんだ。中学一年生の三月、突然姿を消した。今思えば、都筑が事故に遭ったのと時期が重なるか。その頃の俺は、そろそろそんな生活をやめようと思っていた。当時から陽菜にはかなり面倒をかけていたし、これ以上迷惑はかけられないとも思っていたから、廃ビルに行く回数も減らしていた。そんな中、俺は廃ビルに足を運んだ。当時は久しぶりだし、来ていなくても当然だと納得していたけれど、やっぱりあれは都筑の事故が絡んでいたのかもしれない」
「ビルに行って、どうだった?」
逸れかけた話を戻したのは、三留。
「誰もいなかったんだ。影もなかった。本当にそこはただの
「しばらく学校に通って、きっとまたビルに行ったのよね」
陽菜は話の先を見透かしたように、言う。
「その通りだ。具体的には二年生になって一か月後、久しぶりに廃ビルに足を運んだ。その頃には週に三回は、朝から夕まで授業を受けられるようになっていた。その日はちゃんと最後まで授業を受けて、廃ビルに行った。心のどこかできっとまたいないのだと思っていたから、そんな真面目なことをしたあとに、廃ビルに行ったんだ。――でも、あの人はそんな日に限ってそこに来ていた。あの頃のように、待っていたんだ」
眼前の戦いはもうすでに勢いを完全になくしていた。立ち上がる力さえないのが、見て分かる。それでも二人は気力で立って、握れない拳を必死に握って相手の腹まで腕を伸ばす。蹴りは出ない。立っているだけでやっとだ。
「その人は一人でそこにいた。俺はその人が一人でいるところを初めて見た。少し伸びた赤い髪で目をうっすらと隠していたけれど、俺がその人を見た瞬間、死んだ目でこっちを見た。俺はその目の意味がそのときは知らなかった。相方の金髪がいないのはたまたまだと思っていた。俺は声を掛けた。とりあえず『どうも』って。そんな挨拶をする礼儀の正しい子ではなかったけれど、俺はそんな声を掛けていた。そしたら向こうも同じ言葉で返してきた。次に紡ぐ言葉に迷って、『もう一人は?』って聞いた。今思えば、それはミスだった。すでに金髪の相方は病院にいたんだから。でも、その頃の俺はそれを知らない。彼は詳しいことは言わず、ただ俺の目の前に立った。そして目を改めて合わせた。そして言ったんだ」
『喧嘩はもうしない方がいい。お前は真っ当に生きろ』
「俺はとっさに『あなたはやめないんですか』なんて言った。そしたら死んだ目を寂しい目に変えて、『もうやめられなねえ』って」
『もうやめられなねえよ。喧嘩が楽しいって思っちまったからな』
『……喧嘩は楽しいですよ』
『違う。お前は俺とは違う。お前は誰かを守るために戦える』
「そう言って、いなくなった。それ以来、本当に彼は姿を消した」
そうやって話を締めくくりながら公園の中心を見ると、傷だらけの赤髪だけが転がっていた。
戦いが終わったことは、その場の全員が理解していた。
「……終わったんだな、全部」
「そうね」
俺の呟きにそう声を掛けたのは、セリーヌさんだった。まるで子供の遊びを見ている大人のように立っていたけれど、緑色の美しい髪をなびかせる姿からは緊張が解けた感じが伝わってくる。
「今頃、病院で目を覚ましているでしょうね」
「……すみませんでした」
「何よ、いきなり」
「俺たちが余計なことをしなきゃ、もっと早く解決していたのに。手間取らせちゃって、申し訳ないです」
「いいわよ。結局は解決したんだから。あの生き霊があなたとの約束を律義に守ってくれたのが助かったわ。被害が広がらずに済んだの。その点は感謝するわ」
「それはどうも」
「でも、この件は怪異管理局に報告させてもらうわ。どんな結果であれ、保護観察中のあなたが絡んだとなれば、報告義務が伴うの」
「いいですよ。俺はどんなになっても」
「まあ、退治対象にならないように説得はするつもりだけど」
セリーヌさんは俺の頭にポンと手を乗せた。
「よく頑張ったわ」
これにて終了、とでも言うようにセリーヌさんと若月は公園をあとにした。ただ見守りに来ただけだったらしい。
時計を見ると、すでに学校が始まっていた。今から向かえば授業には間に合うかもしれないが、俺も陽菜も三留もそんなのはどうでもよかった。
俺たちは揃って、倒れた桜生さんに歩み寄った。
「桜生さん、どうでしたか? 久しぶりの喧嘩は」
「全然楽しくないな。でも、すかっとした。ずっと不安だったから。もうあいつに会えなくなるんじゃないかって……やっと終わったよ。これで、会えるんだよな。生きてるあいつに会えるんだよな?」
「会えますよ」
「……よかった」
桜生さんは天を仰ぎながら目をぬぐった。
こうして、今回の件は片付いた。誰一人、失うことなく。
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