第10.5話 陰で動く彼女らと不良

 町外れの工場跡地を、その女は根城にしていた。広い空間の一角に仕事・・の道具をまとめて置き、その場所には似合わない赤いソファに寝転がり、緑色の美しい髪をブラシでいている。

 セリーヌ・クーヴレール、というのが彼女の名前だ。怪異と言われる存在への対処や保護などを目的とした組織、怪異管理局に所属している女だ。中でも彼女は悪い怪異の対処を仕事とする怪異討伐師という肩書を持っている。

「セリーヌさん」

 そんな彼女を呼ぶのは、私立七星高等学校の制服を身にまとった少年であった。

 若月わかつき風助ふうすけという彼も怪異管理局に所属する者で、彼の肩書は怪異密偵師、怪異についての調査を行う仕事をしている。

 今日も彼は仕事を終えて、セリーヌに報告に来ているのである。

「今、我々が追っている生き霊について、あの元ドラゴンが動いているようです」

「そのようね」

「監視中のサラマンダーやドラゴンの件で襲われたあの少女とともにその件を調べているようです。どうなさいましょう、セリーヌさん。やつらをこの件から引きがさないと、怪異管理局からお叱りが……」

「私なら大丈夫よ」

「そうではありません。元ドラゴンの保護観察はまだ半年も経っておりません。それなのに我々の邪魔をしているとなれば、セリーヌさんの恩情で助かったあの男は怪異として退治されるかもしれません」

「確実に退治されるわね」

「あなたはそれでいいのですか? あの男を助けたいと助けたはずです」

「彼は人間だから助けた。それだけよ」

 セリーヌはブラシをカップに持ち替え、夜のティータイムを楽しんでいた。テーブルには小皿に載ったマカロンが置かれていて、風助用のカップも置いてある。

 が、風助はカップを見もしない。その両目はしっかりとセリーヌを捉えている。彼はセリーヌを心の底から信頼することができずにいた。自分より何年も何百年も先輩であることはよく知っているし、能力も桁違いであることも身をもって知っていた。が、彼には彼女が何を考えているか分からないのだ。それが何よりも怖かった。

 四か月前にドラゴンを退治するために出会ってから、幾度かともに仕事をしてきたけれど、彼女の頭の中が全く分からない。

 その理由だけは、少しだけ想像がついた。

 この女は、人間ではない。

「私情はないですよね」

「仕事とプライベートは分けるタイプよ」

 その言葉を聞いても、風助はやはりこの女を信用しきれていはいない。

 この女は人間ではない――怪異だ。マーメイドの肉を食って不死身の肉体になった、元人間の怪異である。袖から伸びる腕にも艶めかしく組まれた脚にも、傷一つないけれど、傷はいくつも負ってきている。完全に治癒しているのだ。どんな傷でも治してしまう。十分、化け物だ。

 風助はあくまでも仕事として、彼女と向き合っているだけである。

「で、どうなさるおつもりで?」

「何が?」

「元ドラゴンらの対処です。明日中にでも何らかの対処をしなければ、怪異管理局からの新たな指令が来るでしょう」

「そうね」

 セリーヌは特に急ぐ様子もなく、のんびりとティータイムを過ごしている。

「セリーヌさん!」

「何よ。うるさいわね。ご近所さんに迷惑でしょ」

「何か言って下さい。この件はあなたの案件でもあるんですよ」

「分かっているわよ。私がただゆったりしているように見える?」

 見える、と言いかけると、風助はある人物がこちらに向かってくるのを見た。学生服をいい加減に着ている赤髪の、男。服の胸元には私立七星高等学校の校章が描かれたバッチをつけている。

 風助は初めて見るそいつのことを、話だけは聞いていた。

「……橘高きつたか桜生おうせい! どうして!」

「その女に呼ばれたんだ」

 セリーヌはいつの間に三つ目のカップを用意していた。中には湯気が昇る紅茶が入っている。

「こんばんは、橘高桜生」

「何の用だ。こんな夜に呼び出しやがって」

「あら、私に逆らうの? あなたのやり方に従って、負けたのは誰だったかしら」

「……用は何だ」

「口の悪さは大目に見てあげるわ」

 セリーヌは、さあ座りなさいと言うように手でソファを指したが、橘高は少し彼女に近づいただけでカップにも触ろうとしなかった。

「セリーヌさん、これはどういう……?」

「あの坊やたちへの対処よ。彼を使わせてもらうわ」

「何を考えているんですか! 一般人を巻き込むのも規律違反ですよ!」

「そうね」

「元ドラゴンの件のときは退治に協力してくれたから目をつぶってくれたものの、二回目はどうなるか分かりませんよ!」

「今回も手伝ってもらうのよ。彼じゃないと解決できない」

「解決できるでしょう! あなたのいつも持っている槍は何のために……」

「私は暴力で全部解決する、粗暴なやり方は好きじゃないの。人間に害が及ばなきゃいいんでしょう。大丈夫よ。害が及んでも、私が治すから」

 風助はこういう人間離れした力を持つ彼女のことが、苦手だった。

 彼女は人間ではない――怪異だ。遠い昔にマーメイドの肉を食い、不死身の肉体を得た怪異である。この不死身性は強力な回復力に由来するもので、肉体に限らず血や唾液などの体液にも力が宿っている。それらを少し与えるだけで、傷は一瞬で完治する。

 だからこそ、人間に危険なことをさせても許される。失敗して大怪我をさせても責任が取れる――完治させるという行動で。

 こういうことが許される彼女は、ただの人間である風助にとってズルい存在なのである。

「……そうでした」

「さて、桜生。最近、この町でとある幽霊が暴れているのは知っている?」

「……都筑つづきか」

「そう。私たちは彼を退治するために動いているの。でも、私たちが退治するのは最善じゃない」

「単刀直入に言え。難しい話は分からん」

「そうね。あなたには、都筑碧希と対決してほしいの」

「対決」

「勝ち負けはこだわらないわ。とにかく全力で、彼と戦いなさい」

「それだけでいいのか?」

「何よ。ご不満?」

「そういうわけじゃないが、あそこまでして頼むことがこれだけなのは、どうも物足りない感じがする」

「そうかしら。私たちにとっては大きくておいしい役割なんだけど。まあいいわ。ちゃんとやれば報酬と謝礼をするわ」

「ああ」

 そう返事をしながらも、橘高は報酬も謝礼もどうでもよかった。セリーヌは『対決』という言葉を使ったが、彼にとってはただの喧嘩以外のなにものでもない。勝ち負けは関係ないと言われたけれど、彼にとっては勝ち以外の選択肢はない。

 俺は勝つ。

 必ず勝ってみせる。

 どうであれ、俺とあいつは拳を交える運命だ。

 橘高は強い意志を持って、セリーヌの目を見ていた。

「セリーヌさん。本当にこれで大丈夫なんですか? あの少年はただの人間ですよ。怪異を退治する専門家じゃ……」

「都筑碧希についてなら、私たちより詳しいわ。彼が適任よ」

「適任? あなた、何か勘違いをなさっていませんか? 怪異は《・・・》あなた《・・・》が持つ《・・・》怪異管理局・・・・・から《・・》支給された《・・・・・》武器なら《・・・・》確実に《・・・》退治できる《・・・・・》んですよ。その方が手っ取り早いじゃないですか。あなたは超強力な治癒力と合わせて何百年と鍛え上げてきた戦闘能力があるからこそ、怪異討伐師の肩書きをもらっているんじゃないんですか?」

「勘違いしているのはあなたじゃなくって、若月? 確かにあなたの言っていることに反論はないわ。でも、私がいつ、武器を使って乱暴に怪異を退治するって言ったかしら」

「それが怪異討伐師の仕事じゃ……」

「他の奴らは知らないわ。私は私のやり方で退治するだけよ。不満なら外れてもいいのよ。あなたの役目はもうないから」

 そう言い放つ彼女の目は、マーメイドの美しさを持ちながら、狼のような鋭さもはらんでいた。若月はその目に何も言い返すことができず、無言の了承をせざるを得なかった。

 一方、橘高は堅く拳を握っていた。彼にとってこんなに本気でぶつかるのは何年かぶりだった。本番はまだとはいえ、久々の戦いに胸が躍っているのは事実であった。ようやく対等に戦える。誰かに用意されたとか、勝ち負けが関係ないとか、そんなのはどうでもよかった。

 戦う以上、勝つのみ。

「明日の朝七時、白梅しらうめ公園に行きなさい。都筑碧希が待っていると思うわ」

「了解した」

 任務を受けた橘高は、拳を握ったまま夜の闇に溶けていった。

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