第8話 あの場所で、あの人と
廃ビルはコンクリートが崩れたぼろぼろのビルとはいえ、室内の階段はきちんとある。これもところどころ崩れているのだけれど、ちゃんと最上階まであがることができる。
俺が目指すのは三階。不良時代に通っていた場所がある。あの人が昔のままなら、いるはずだが……そんなわけないか。俺がワルかったのはもう三、四年前の話だ。そんなに経っても変わらない人なんていない。三留の話ではやつは高校三年生なはずだ。もしかしたら、俺のように喧嘩の毎日から足を洗ったのかもしれない。
最初から望みは薄かった。与えられた時間は十分だ。ここまで来るのに数分を費やしてしまったので、残りは半分と少しくらいだろう。いないと分かればすぐに撤退するのが吉だろう。
俺は元来た道を引き返した。もう二度と来ることはないだろう場所から、まるで下校するように普通に歩いた。いつかは壊されてしまうかもしれない。こんなぼろぼろの建物だ、危ないし、実は建物の周りに規制線が貼られていたりした。
それでも、俺は来られてよかったと思った。こんな機会でもないと、俺は忘れかけたまま忘れただろう。振り返るべき過去を振り返らぬまま、青春時代を生きていたかもしれない。
そんなことを思いつつ、一階まで階段を下った。セリーヌさんの言った時間には余裕で間に合っていた――このまま出ていれば。
「おい、こんなところで何をしている」
低くて少しとがった口調だった。なんとなく下を向いて歩いていた俺は、少し顔を上げた。暗くてよく分からないけれど、少しだけ背の高い男だった。制服を着ている。見覚えのある制服だった。七星高校の制服だ。向こうは着崩しているが、俺が着ているのと同じ制服。
「まさか、お前か。この辺のやつらをボコっているっていうのは」
向こうが顔を上げたとき、俺は見た。外からの風でなびく――赤髪を。
「
「堅苦しいのは好きじゃない。俺はただ……」
そこまで言ったところで、向こうもようやく気付いたようだった。俺の顔を見るやいなや、少し驚いた顔をした。俺も驚いたのだから、当然だ。
「一斗、か」
「久しぶりです、桜生さん」
「どうしてお前が?」
「あなたに会いに来たんです」
「お前はもう喧嘩やらそういうことはやめたと聞いたが?」
「桜生さんがさっき言っていた件を調べているんです。それであなたに用が」
「俺はやっていない」
「知っています。元凶には会ってきました」
俺は詳しい事情はこれ以上言わずに、本題を切り出した。
「
「………………」
そう尋ねると、彼の顔は
「彼はあなたを探しています。そのために、俺がかつてやっていたみたいに喧嘩を売りまくっているんです。桜生さんも知るように、たくさんの被害者がいます。それを止めるために、あなたを彼に会わせたい」
「覚えていないのか」
ぽつりと呟かれた言葉を俺は聞き逃さなかった。が、俺の言葉を待たず、階段を上り始めた。
「待って下さい。その言葉の意味を教えて下さい」
「そのまんまの意味だ」
「俺が都筑碧希を知っているということですか」
「そうだって言ってるだろうが。さっさと
「まだ用は終わってないですよ。俺はあなたを――」
「俺は会わん」
ぴしゃりと言われた。俺から表情は見えないけれど、きっと怖い顔をしていることだろう。あの頃とは違う殺気を、背中からひしひしと感じた。何も言い返せない。
だから俺は、その背中を追った。
言葉をもう一度発せたのは二階と三階の間にある踊り場に出たときだった。
「どうして会いたくないんですか?」
「それを聞いてどうする?」
「理由次第です」
「じゃあ答える義務はないな」
彼はまた階段を上る。
「――待てよ」
と、俺はじっと相手の背中を見つめたまま、拳を握った。
「逃げるのか、お前」
「何だと」
「口調から、お前は多分都筑碧希をよく知っている。俺に会ったことがあることも知っているのだから、それなりに人間関係を築いていたんだろ。だったら、ちょっと顔を見てやるくらい、どうしてやってやらねえんだ。そいつのせいで何人も傷ついた」
「俺のせいじゃない」
「関係ねえよ。誰のせいとか自分のせいじゃないとか、そんなのはどうでもいい。ただ分かっているのは、あの男にはたくさんの人を傷つけてまで会いたい人がいるってことだ」
「それが俺だって確証はあるのか?」
「ない。でも試しに連れていく価値はある。喧嘩が怖いのか? 怪我するのか嫌なのか? だったら俺が守ってやる。だから!」
だから、会ってやってくれ。
俺はほとんど出まかせの言葉で、最後にそう締めくくった。
俺は知っている。彼は喧嘩が大好きで狂ったように暴れるけれど、人の心はちゃんとある。あのときだって自分のしたことを素直に謝ってくれた。俺の言葉で心を動かせるなんて思っていないけど、揺れ動くくらいしてくれれば……
「――さっさと帰れ。これ以上つきまとうなら、俺はお前を殺す」
殺意の込められた目だった。
俺は何も言い返すことはできなかった。だって、俺と初めて喧嘩をしたときの目とは明らかに違ったから。
俺は本当にこいつに殺されると、恐怖した。
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