第7話 あの場所で、専門家と

 海凪みなぎ先生の言っていた廃ビルは、俺のよく知るところだった。七星高校から歩いて十数分、家も近い。昔はたまにここに来ていた。来るのは三年ぶりくらいだ。あの頃と比べて破損が激しくなっている感じもするが、雰囲気は変わらない。

 あれから何年か経っているから、今もここにたむろ・・・しているとは思えないが橘高きつたか桜生おうせいがかつていた場所を巡れば何か見えるかもしれない。確証はないが、やってみるだけやってみる。

 今はこれしかないのだから。

「あら。先客があなたなんて、悪い偶然ね」

 綺麗な女の声がした。聞き覚えがあった。俺が何も返さずにいると、ヒールのある靴で近づいてくる音がして、俺の前に姿を見せた。

 緑の長い髪を揺らして、艶やかな唇の隙間から白い歯をこぼしていた。

「……セリーヌさん」

「こんにちは、坊や」

「何の用ですか?」

「あなたに用があるわけじゃないのよ。私はこの先に用があるの」

「俺もですよ」

「じゃあ、来た道を引き返すことね」

「そんなわけにはいきませんよ」

「事情は若月を経由して陽菜から聞いたわ」

 目をきりっとして、真っ直ぐに俺を見つめていた。怒りなどの感情はない。ただ彼女は仕事をしているだけだ。

 セリーヌ・クーヴレール。彼女は怪異退治を職とする、怪異かいい管理かんりきょく所属の怪異討伐とうばつだ。人間に害を与える怪異を退治するために戦っている。

 つまり。

「あなたたちが探っている幽霊の件は、私の案件よ」

 と、セリーヌさんは言った。

「手を引きなさい」

「嫌ですよ、今更」

「ただの人間が手を出していいことじゃないわ」

「ただの人間じゃありません。元ドラゴンです」

「今は変身できる怪異性はないでしょ。ただの人間よ」

「それでも、俺は――俺たちは、手を引きませんよ。俺の学校のやつらが何人もやられている」

「だから見過ごせない、と? そんなキャラだったかしら」

 性格のことをキャラというなら、俺はそういうキャラではない。他人のことはどうでもよかったし、どうなろうと関係ないと思っていた。

 でも、俺は恋をしてドラゴンになった。

 恋をされて、サラマンダーに襲われた。

 その中で俺は自分じゃない誰かの気持ちを知った。それは逃げてばかりいてはいけないものだ。逃げてはいけないものだ。人と関係を紡ぎたいならば、気持ちと向き合わなければいけない。気持ちやら意志やらが生み出すものが怪異なら、怪異とは向き合わなければいけない。

 俺はそういうことを怠ってきたから、この美人に嫌われた。

「向き合えって怒ったのはあなたでしょう、セリーヌさん。俺は言われた通りにしただけですよ。俺らはあいつと約束したんです。ちゃんと連れてくるって」

「ええ、知っているわ。大体の事情は陽菜から詳細を聞く前から調べていたから。橘高桜生っていう人が何かしら絡んでいるらしいことも、もう掴んでいる」

 セリーヌさんは背中に背負っていた槍を抜いた。決して人間に向けることのない刃を、俺に向けてきた。何も言わなくても『引け』という二文字が伝わってくる。

「ここに橘高桜生はいるんですか」

「あなたが向き合う必要のないことよ」

「橘高桜生に会いたいんです」

都筑つづき碧希あおきとあなたたちの関係を調べたわ。何もなかった。彼が幽霊になってこの世に残っている理由は、あなたたちとは関係ない」

「そうでも、俺は橘高桜生に会わなきゃいけない。今日じゃないいつか・・・でもいいのだろうけれど、いいきっかけなんです」

「だったら、今日はやめなさい」

「――過去と向き合う、いいきっかけなんです」

 槍が少し動いた。少し引いたのだ。もっと奥を見ると、眉間の皺が少しだけ緩んでいた。

「俺の過去は、都筑碧希との関係を調べる上で、調べたんでしょう。だったら黙って通してくれませんか。俺の問題は俺しか解決できないんだから」

 槍の刃は視界から消えた。気付けば、彼女の眉間の皺はなくなっていた。

「……私はあなたより十分遅れて到着した」

「え?」

「会話をしたり槍を向けたりは、していない」

「………………」

「さっさと行きなさい」

 それ以上は言わなかった。それでも意図はしっかり伝わった。

 俺は何も言わず、駆け出した。

 この人は俺のことは嫌いだが、そんな俺をも守るために動くのだ。

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